夏映画の落穂拾いもしたり。

 ファントム・フィルムさんのご招待で「名もなき塀の中の王」試写へ。要するに「バッド・ボーイズ」における“メジャーリーグ”へ自らの意思によって昇格した少年の地獄巡りを描く物語なのだが、少年犯の罪の凶悪さによっては成人刑務所送りという措置を出せる制度を持つ国もあるということを本作で知ることができたのは新鮮だった。また、単に刑務所内で形成される師弟(疑似親子)関係を描いたものなら、新しいところでは「ガンズ&ゴールド」や、「チング 永遠の絆」、中だけの話であれば「預言者」や、「アニマル・ファクトリー」等と枚挙に暇がないが、ここでジャック・オコンネル演じる少年は、終身刑を食らっている実の父親であるベン・メンデルソーンを目指して上記の措置を利用したことが判明する点が、他の類似映画と一線を画す特色となり得ている。自らの暴力性をバネに昇格しているだけあって、既に暴力性では勝ち目のなくなっている父親や他の囚人との確執を眼目とするのだが、そこは「ベルファスト71」が既に公開済みであることから、ネトウヨどもの不当極まりないネガキャンによって未だに塩漬けとなっている「アンブロークン」を夢想するのに多少の助けとなり、そこはかとない彼の被虐性(ふてぶてしさから垣間見える脆さがその魅力の一部であることも分かる。とはいえ、「イースタン・プロミス」ばりに風呂場で生命を狙われても、一大フルチンバトルによって「ブロンソン」ばりの撃退を見せるのだから、むしろこうした逆境路線にあって極めつけとなる筈の「アンブロークン」への期待は高まる一方で、同時にネトウヨへの憎悪も一際増すというものだ。なお、今回特殊な制度を物語の発端にした作品でもあるからか、男世界である刑務所における女看守の存在もさりげなく描いている点も数多の刑務所ムービーとも似ていない、現代のイギリスの刑務所を描くものとして、塀の中の親子を描いた「父の祈りを」等と比べるのも面白い。


 一観客として「ジュラシック・ワールド」へ。予告段階で“ワールド”を仕切ってるかのように見えたせいで、ブライス・ダラス・ハワードは「ヘルプ」的な“冷血ブロンド女”というタイプキャストを想起させられたが、それは別に悪いと思ってなかっただけに、普通に血の通った“叔母さん”で、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」では“ガモーラ”にしか目が行かなかった自分は、話の絵空事加減や彼女の惚れた腫れたも含め、クリス・プラットのマチズモは意外で遥かに興味が持続し、嬉しい誤算。今回は“パーク”の残骸が出ることで問わず語りに幻影がちらつき、事実創設者の“ハモンド”だけ言及されるので、彼に対抗心を持つインド人再建者の存在が本作の作り手(出資元)にも重なり、新人監督による続編にもリメイクにも受け止められる構造である。つまり、“叔母さん”を立てるためもれなく付属する「E.T.」以降のスピルバーグ風映画定番の“子供の屈折”と“家族再生”とかのオマージュ要素は普通に邪魔で、それは「なぜ危険な“ワールド”の成功に拘泥するのか?」という、「(軍事転用可能だから)原発利権にしがみつく心理」にも似た、物語の骨格への拘りとも共通して首を捻る問題点とも化している。但し、同時にスピルバーグにとり「ジョーズ」の変種としての側面を持つ“「JP」シリーズ”に期待される残酷度もレイティングの割にキープしており、特に既に恐竜でもない遺伝子混合生物“インドミナス・レックス”のお蔭でしっかり怖い。そのため、サービスのつもりで恐竜の種類も確実に増やしたにも拘わらず散漫ではなく、各恐竜の無理矢理な見せ場も用意されていて笑わせてもらった。それでも、こっちはもうこの世界観には来園者同様に懲りているので、続編を期待する訳にも行かず、映画界全体の深刻なネタ切れが露呈されるのみなのである。


 一観客として「テッド2」へ。出だしのミュージカル寄りのレビューで分かるように、極めて取っ掛かりよく作ってあるが、始まってみればそれ自体がフックだったかのようなフィッツジェラルドへの言及があるかと思えば、相変わらずの「フラッシュ・ゴードン」、「ロッキー」等々、コミコンを舞台にしても前作同様、無理に入れたかのようなマニアへのアプローチが微妙だが、「新スーパーマン」に決定したと発表される人物と、「アーネスト」への言及にはしょうもなくて多少受けた。それでも、シリーズ本来の持ち味である下ネタは未だ異様に充実し、むしろどぎつさを増している。加えて、“感覚が鋭敏になり外の喧騒が怖くなる程効く葉っぱ”とか、“チンポ型のボング”とか、全部がわざわざ「ジュラシック・パーク」に引っ掛けずとも通じるマリファナネタばかりで、逆にそこら中に酔っ払いのいる日本では、“公共の場での飲酒”に関するドメスティックな配慮の方が繊細に見える有り様だ。今回テッドは結婚するも、相方マークは妊娠による降板となったミラ・クニスに離婚された設定から物語が転がるため、彼女の不在は不幸中の幸いだった。代わりにゴラム似のヒロインが加わったことで発展性も窺え、こっちはコメディならではで続編にも期待できるのが強みである。とはいえ、「テッド」の成功により「荒野はつらいよ」みたいな作品を撮らせてもらえたからこそのリーアム・ニーソン登場のようなネタもあるので、また何かを挟んで忘れた頃に続編が来る位が、また程々に笑わせてももらえるのだろう。