ヒーローどもの荒野。

 クロックワークスさんのご招待で「江南ブルース」試写へ。単なる農地だったにもかかわらず、軍関係者や政治家、そして政治家になりたがる半分やくざの事業家によって現在のように高級住宅地とされる地域として江南地区が開発されていったか、その買収とシマの取り合いを、兄弟同然に育った二人の対照的なチンピラの生きざま越しにマクロに描き、やくざ映画の体裁で、「ギャング・オブ・ニューヨーク」のような志も窺える作品である。疑似家族の崩壊を悔やむように繰り返される、日本のフォークソングのような「ANAK(息子)」が印象的に使われるだけでなく、劇中披露される「ブルー・ライト・ヨコハマ」によって単に国の政策的に日本語文化が否定され、反日的スタンスを強いられてはいるが民間ややくざのレベルではそんなことはない様が「コンフェッション 友の告白」同様にさりげなく伝わる。また、やくざ映画として暴力についてのさじ加減が微妙だった「卑劣な街」、学生の話なのに常軌を逸した暴力描写の嵐だった「マルチュク青春通り」に続く、ユ・ハ監督による“街3部作”の中では、最終章にふさわしく、テーマの総括に足るリアリズムとスケールの大きさを持つため、普通に娯楽として完成度が最も高い。加え、「血染めの代紋」にも似た底辺からの上昇を描きながらも、死ぬのは結局チンピラばかりという「仁義なき戦い(代理戦争)」的な社会批判も盛り込まれ、先行作ではあっても時代的にはより現代に近いだけに主人公の狡猾さが際立つ「悪いやつら」とは違った苦味を残す。現在の繁栄振りが写されるほどに、土地に根付く声にならない怨念が嫌でも伝わってくるのだ。なお、性描写はふんだんに修整されてはいるものの、それは日本版のみの自主規制や映倫による指導の結果ではないらしいので涙を飲もう。


 一観客として「キングスマン」へ。スパイ映画としての質は「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」を見れば監督の人選に心配はなく、そのセンスは既に予告で明らかであり、間違っても似たガジェットを多数持つ「アベンジャーズ」のようにはならないとは見込めていた。しかし、同じ原作者による「ウォンテッド」を意識し、殴られて歯が飛ぶ描写を入れたりすることで、余計に物語も似ては見えたが、こちらは殺し屋でなくスパイだ。敵の人類絶滅による選民計画は多分にオールド007的でもあるが、その賢さや庶民性を逆手に取る計画を見る限りでは、同じ作画者の「ウォッチメン」をやや意識して見えなくもない。その荒唐無稽で壮大な冗談にも見える計画に各種ガジェットを駆使して対抗する様がキモであり、訓練シーンのスパルタ具合や内ゲバにも「ウォンテッド」風味はあるものの、完全に英国文化の話としてビジュアルは差別化を図れており、「オースティン・パワーズ」以上に贅沢かつ無駄なマイケル・ケイン起用や、チラッとでも紹介された秘密兵器は全て総動員して機能を実演して見せるサービスの徹底がありがたい。敵の殺し屋“ガゼル”にしても、身体欠損を逆用する残虐な技の持ち主で、そうした存在や仲間スパイにも女キャラは少なくないにもかかわらず、色恋沙汰を無視し、ボンドガール的位置付けとしないのも(キックアスがヒットガールを恋愛対象にしないのと同じ)作家性の発露だろう。特に今回は自作の更新というハードル設定が明確で、かつてのヒットガールによる大殺戮を超えようという意により、一山いくらで死んでも一向に構わないアメリカの田舎のキリスト教原理主義者どもを、行き掛かり上とはいえ皆殺しにする場面は悪意が漲り、単純にコリン・ファースをアクション俳優として認めざるを得ない痛快さと目標達成があった。また、他の出演者では、ファースと共に「裏切りのサーカス」出演を経たため、単なるマシュー・ヴォーン関連作品御用役者ではない“スパイ役者”マーク・ストロングの読めなさも頼もしい。なにより、同時期に盟友であるガイ・リッチーによるリメイク「コードネーム U.N.C.L.E.」以上に、養父ロバート・ヴォーンの代表作「0011ナポレオン・ソロ」へのリスペクトは自分こそが深いという自負が作品の強度として表れ、それこそまさに、劇中の台詞で繰り返される“人間は氏より育ち”である証明となっているのだ。


 一観客として「アントマン」へ。初代アントマンことピム博士がS.H.I.E.L.D.メンバーだった関係で後の「アベンジャーズ」にあらかじめ織り込まれた存在としてのヒーローであり、神や宇宙人のいる同一地平上の荒唐無稽な世界で今度は人間が小さくなろうとも全く驚きはなく、むしろ、初代がスタークへの反感を抱いているらしい口ぶりが頻出するので、むしろ冷める。それに初代を裏切り縮小テクノロジーの軍事転用を企むプレゼンテーションには“ヒドラ党”関係者もいることや、とりわけ行き掛かり上、S.H.I.E.L.D.関係者の中でも真っ先にファルコンへの接触を図ることから、次の「Avengers: Infinity War」ではなく、その前の「Captain America: Civil War」からアントマン本格活躍であり、その単なる顔見世が本作なのだということも分かってしまい、やはり冷める。しかし、それでもムショ帰りの四十男が娘の信頼を取り戻そうと社会復帰に賭ける姿は身につまされるものがあるし、かといってシャバの空気はそんな甘くもなく…といった点に激安子供向けな「ストレートタイム」の趣も感じないこともない。スタン・リーも交えたネタ振りの末展開される、(ミクロ/マクロ)ズームの緩急が激しいバトルには非常に斬新なビジュアル体験と、さらに虫たちの健気さにも心打たれるものをもらったが、ちょっとエンドロール後の“くどさ”といってもいいコテコテの展開には、男がいつかガキ向けのマンガ雑誌を読むのをアホらしくなってやめるタイミングがいつか来るように、どこかで卒業する頃合いを見計らうのも、ひとつの手ではあると思った(もちろん無理だけど)…。