「水嶋ヒロ=イチハシ」的なる笑い(世界の解釈法)。

 「水嶋ヒロ=イチハシ」説というのがある。別に逮捕をきっかけに盛り上がったものではなく、逃亡中から俺が個人的にず〜っと周囲に主張してきた説である。だから周囲の人は当然知っているが、別に俺がこの両者を似ているとも、イチハシなる者がイケメンだと思っているということでも全くないのである。というか、どっちもぜんぜん思わない。
 その発端は、そもそもこの両者を似ているというか、「区別がつかない」と主張した、身近な“あるオバサンの説”に非常に惹かれたためである。ハッキリ言えば見た目でこれほど違いが分かるものもないのだが、なぜその主張に惹かれたかと言えば、世の中を単純化して二種類に分けるなら、“水嶋的なるもの”と“イチハシ的なるもの”は、“それら以外のもの”と相容れないのであり、故に“水嶋的なるもの”と“イチハシ的なるもの”は同じなのだ、という極めて乱暴な分類が現に存在し、オバサン的なある種の衰えとガサツさがこれらの分類法を誘引するだけでなく、特に衰えていない人間にもまた、当たり前のようにこれらの乱暴な才能が備わっている場合があることに改めて思い至ったせいである。
 しかも、自らも子供のころ、かつてはそうした誤謬に囚われている(というか世界がシンプルに見えていた)時期があり、一例で言うと、子供の俺の脳には、「ショー・コスギ村西とおる」説やら、「鶴太郎=大仁田」説といったものが出来上がっていたのである。要するに多くの人間の顔を見ていなかったからか、区別がついていなかったわけだ。
 そして、子供の特質として、同時にこの混乱を自ら楽しめてもいたのである。つまり衰えやある種の才能がもたらす、こうした一見蒙昧に見える世界の分類法は、世界を単純化してくれており、事実そういう人間は何の咎も問われず、何の葛藤もなくのうのうと生きていて、現にそうした認識で生きている人間は腐るほどおり、実際“ただ生きる”分にはその程度で構わないのだ、という、充分なヒントを与えてくれる。つまり、こうした見方(世界の受け止め方)は、世界を生きやすくしてくれる恵みなのだ。
 確か杉作さんも、友人が「筑紫哲也山田洋次」説を主張していたことを何かに書いていた気がするが、まだ衰えておらず、とてもそう見ることができないとか、または「似てない!」と強硬に主張できてしまうほど、そうした感性が備わっていない人間であるなら、無理矢理にでも物事をこの論法で分類し直してみるといい、ということだ。そうすると彼らが指紋照合のように一緒になってくるだけでなく、一事が万事、世界そのものも格段に分かりやすくなった気に少しはなれる(しかもかなり笑える)ことは保障しよう。
 特に実例としてこの分類に当てはめて見ると、イケメンだと騒がれる水泳選手だの、やはりイケメンだとされる、回転寿司のCMに出て悦に入るような若手お笑いコンビの片割れだの、例外なく「水嶋ヒロ=イチハシ」サイドの人間でしかないことが分かり、事実“そっち側の”人間が増殖している傾向も読み取れるのだ。とりあえず、「実録・イチハシ」はヒロで即効映像化実現した方がいいな。


 ファントム・フィルムさんのご招待で、「蘇りの血」試写へ。最近の邦画では豊田利晃作品にこそ注目していたので、ブランクの後に本作が製作発表された時は、従来と全く違う題材に、従来と大筋では外れていない布陣とギャップがあり、不安を感じていた。しかし、原作(あるいは実在のモデル)がないと明快な決着がないまま終わるパターンは今回も同じで、これは元々全く問題を感じてないからこそ注目していたため、異色(に見える)題材を従来と遜色のない方向性へ落着させたことにまず安心した。ある意味においては変わり、ある意味においては変わってないのだ。絵になるかも知れないがプロの役者ではなく、不安材料にもなり得る、主役の中村達也は、あえてセリフ少な目で所々ハイテンションが要求されており、硬直した演技も含め昔の裕也さんのような印象で悪くない。対する渋川清彦は、王なので従来の芸風から一転して重厚かと思ったが、「青い春」での他校の番長における、軽さと突発的な暴力性を強化して、「9SOULS」ほどダメ男役でもないのが新しい。ただ、草刈正雄の娘は子供過ぎな上、父親に激似であり、まだ女優やヒロインとして観るのが難しい。逆に音楽担当の“TWIN TAIL”は、セッション的な音なのに抑制されつつ、必要に応じ饒舌となり、意外な収穫である。今まで豊田利晃作品に俺が注目して来たのは、テーマが一貫し“暴力”であるためだが、以前の作品が“閉じた世界の隙間から滲出する暴力”が描かれて来たのに対し、こちらは“予め暴力が解放された世界での暴力”で、広げられた傷口を丁寧に見せるような野蛮さが前面に出ている点は確実な新境地だ。一見それは、“開放された世界=無秩序”にも受け取れるが、この見せ方だと、自然という秩序に、人間=暴力という無秩序が浸食しようとしているようにも見え、そこに警鐘を鳴らす異物が、中村演じるオグリのようにも見える。よって、このアプローチで次回は、再び閉じた現世にも向き合って欲しいと強く感じた次第なのだ。


 一観客として「ホワイトアウト」へ。俺は奇特にも、一般の商売の餌食になる“肌の白さ”などには全く美を見出せないので、一面の銀世界に、ヴァンパイアすら演じた色白のヒロインが逃げ惑っても、それ自体は何の訴求にもならない。むしろ肌の色は濃くなければ女性美は際立たないのだが、ケイト・ベッキンセイルはレタッチやメイク、さらには整形の成果でもあり、断然肌のきめ細かさが違うのである。その上舞台は南極で、そんな彼女が自らの落ち度から凍傷による身体欠損を招く様を詳細に描写しており、本国でさえも完成後放置され、お蔵入りの憂き目に遭っていながらも、この度公開の運びになったのは、そうした描写や美が楽しめるということも大きく作用しているだろう。よって、本来描かれるべきテーマである、国境のない南極、即ち法的な線引きの曖昧な地域において発生した殺人事件により、唯一頼るべき倫理観さえも麻痺していく過程が丁寧に描かれているかというと、吹雪の中で行われる、「LOVERS」のように見えづらいアクション共々ホワイトアウト気味で、「南極日誌」を思い出すほどに状況が掴みにくく、殺人者の掘り下げは、過去のドミニク・セナ作品であった「カリフォルニア」を超えるようなものではない。それでも織田裕二同名作品なんか話にならない程の質を、アクションおよびサスペンスに至るまで維持しているのだから、意外とこうしたジャンルの作品を“ダーク・キャッスル”の看板で手掛けるのも、ホラー専門製作会社というのは限界があるので、ジョエル・シルバー的には正しい選択だ。ならば、ハードコアな設定の「ファーゴ」であり「シンプル・プラン」とも言える作品でもあるので、ホラーを手掛けてきた製作会社の矜持として、もっと人が死んでも良かったが、どんな気違いよりも、欲に目が眩んだ“模範的に見える人間”こそが残虐で躊躇いがない点は表現し切れているので問題はない。ちなみにトム・スケリットクリス・クリストファーソンでもパーツ交換可。ポルノスター [DVD]アンチェイン [DVD]ナイン・ソウルズ [DVD]空中庭園 通常版 [DVD]ホワイトアウト (ケイト・ベッキンセール 出演) [DVD]アンダーワールド 期間限定スペシャルプライス [DVD]アンダーワールド 2 エボリューション コレクターズ・エディション [DVD]LOVERS [DVD]南極日誌 [DVD]カリフォルニア [DVD]ファーゴ [DVD]シンプル・プラン [DVD]