バカの潜在力を高めるには映画に尽きるね!
一観客として「この愛のために撃て」へ。フランス映画祭でやってた時から地味ながらも毎度アクション指数の高いフレッド・カヴァイエの新作として注目していた。今回も主役に華がないが、助演のロシュディ・ゼムは男臭い出演作が日本でも既に多数リリースされており、前作の米版リメイク「スリーデイズ」も公開されるのでタイミング的にも恵まれている。一番ノワールなのは暴力性に目覚める普通の女であったはずの妻を演じていたエレナ・アヤナかも知れないが、巻き込まれ型サスペンスであって、バディとしての犯罪者の立ち位置も別にノワールじゃないよ。とはいえ敵の巨大さ、非ヨーロッパ・コープ映画としてのアクション映画の規模、明らかに「パブリック・エネミーズ」に誘発された頭部破壊など、評価すべき点も多かったのは事実。
一観客として「グリーン・ランタン」へ。「マイティ・ソー」と双璧をなすほどの、「“DC”も努力すればここまでバカになれますよ!」って見本みたいなバカバカしい話。こんな単純でマッチョな二元論に支配された世界じゃ、ヘクター・ハモンド的インテリは悪者になるわけだ。ティム・ロビンスと親子ってのが無理がありすぎる。バトルも想念を現実化する哲学的かつ荒唐無稽なもので、絵空事なだけに飛翔感(浮遊感)のみ夢の中で感じるようにリアルで、それほど変わらないアンジェラ・バセットが麗しく、ひたすら眼福そのもの。でも師匠(四本指)がジャンゴ・フェットって全然分かんなかったよ!
一観客として「スパイキッズ4D:ワールドタイム・ミッション」へ。今回主人公となる双子の片割れは聴覚障害を持っているという設定だが、「ファインディング・ニモ」同様、障害を「克服すべきハンデ」としては描いていないのが画期的。でもスルーされているオリジナルのお母さん、超美人女優カーラ・グギノはもとより、アレハンドロや、マチェーテおじさんにしろ、義理による顔出しにもほどがあるぞ。だったらシリーズの特色として相変わらずCGを乱用しているのだから、おじいちゃんこと、故リカルド・モンタルバンにも出て欲しかった。売りの「オドラマ」は匂いが混ざりすぎて全然機能しておらず。
一観客として「アジョシ」へ。俺が「ブラザーフッド」とか、そういうものしか観ていないからなんだろうけどね、ウォンビンは前作「母なる証明」も含め、作品からの頑なな女性性の排除の意図を感じるんだ。だから必然的に男っぽさよりも別の疑惑が立ち上ってくるね。これは別に悪いことでもないし、俺がそうした偏見で彼を見るというわけでもないんだけど。しかし香港映画なんかでも散々目にしてきたけど、アジアの男はもっと手斧をブン回したアクションを積極的に取り入れるべきと思い知らされるほど似合う。そしてなんと言ってもこの作品はカランビット!現時点では映画でその用途や描写が割かれている最良で最長の部類に入ると断言したい。真の憎まれ役としての悪役たちも、自分の痛みにのみ敏感になれるのは、その度合い自体が暴力への想像力の欠如を示しているという間抜けさ加減が描写として的確。「その男、凶暴につき」にオマージュを捧げた顔面連続パンチの冒頭から、額辺りの傷をおもむろに指し示すジェスチャーなど(「ブラック・レイン」)、過去の暴力映画から誠実に学んでいる姿勢は「熱血男児」と同じ監督と思えない暴力映画への熱血を感じる。しかし、「悪魔を見た」といい、韓国映画と暴力描写がなぜこれほど肌が合うのかについての答えは、両者に共通して突出する、徹底的な“格差と権力不信”という社会の病根にあるということはよく分かる。[rakuten:digisto:10002154:image:small]