バンカーとカロリーヌの自己矛盾。

 何か最近は酒に溺れすぎ。自重せねば。溺れてダメ人間になっては、俺を脅迫してのうのうと生き延びていやがる最低のクソ野郎と同じになっちまう。それだけは避けたいね。
 なんて思いながらも、長そうだな、と言う印象のあったエドワード・バンカー「リトル・ボーイ・ブルー」読了。読みやすいとは思わないが、完全な自伝ではないにしてもバンカーの実体験に裏打ちされたリアリティにサクサク進めた。そして、主人公アレックスの孤独ぶりと、幼児性を維持し30過ぎてしまった俺の孤独が重なり、ひたすら反抗と暴力に走るのは別にしても、深く染みたね。「ストレートタイム」、「ドッグ・イート・ドッグ」が読みやすく、しかもそれぞれ傑作だったので翻訳の力量に疑いを抱くことなどなかったって事だ。あとがき通り、俺も確かに、アレックスを抱きしめたくなったよ。
 さて、次は取材ではない本をとある事情から読まねば。それは読み終わったときにまた。

 今日の散歩はただの散歩だし、いつも通り誰とも口を利かないまま一日も過ぎる。でも社会から隔絶していた間に、目黒と中目黒の間にも、結構ラーメン屋できていて気になったね。初めて行った坦々麺専門店、天手毬は値段の割に意外と普通。そのついでに、寄ったブックオフで、ピエール・プロブスト作の絵本、カロリーヌシリーズのリサーチ。まだ買わないけど、結構出回っていることが分かり大満足。
 何でそんなことしているかって言うと、俺はメチャクチャにされたここ十年近くの人生の穴埋めに、どんどん過去に遡って、残っている記憶を補強しようとしているんだ。だから小学校低学年にお袋が買ってくれて、以来ずっとお気に入りだったのに、いつの間にか忘れてしまったこの作品を揃えたいと思っているんだよ。しかも俺は小学館の「世界の童話シリーズ」でしかお目に掛かっていないので、当時の翻訳がごく限られていたことを知るにつけ、集めたくなったんだよね。
 俺を一度は殺した悪を研究するために、二度と傷つかないため、人間の卑俗な部分を文学から見出そうとしているくせに、このションベン臭さ。笑えるよ。
 これからもずっと孤独な気がするし、そうならそうで俺はどんどん幼稚化していくのかも知れない。俺はロリコンでもペドフィリアでもないので、ガキはガキだし、欲情なんてかけらもしないが、なぜかテレビで美少女見ちゃうと、俺の気持ちに残っている、小学生のままの部分が、胸キュンとしちゃったりするからな。そんなものがある時点でタフとは言えないんだが。

 ロストされた小池一夫+小島剛夕「ケイの凄春」は、好意で貸したのにまだ戻ってこない。おまけに飲みに行ったバーで、相変わらず良く面つき合わせる嫌な顔の野郎が、これ以上ない悪意をいつも向けてくるのが不快だ。舞台役者くずれにありがちな、飲みながら演劇論で熱くなってケンカする、みたいなパターンの読める単純なカスなので全く相手にはしないが。そういう暑苦しい人間と一瞬でも関わり合うのは時間の無駄だし、単純にウザいんだよ。死ね。リトル・ボーイ・ブルードッグ・イート・ドッグ (ハヤカワ文庫NV)ストレートタイム (角川文庫)
カロリーヌといなかのべっそう (カロリーヌとゆかいな8ひき)ケイの凄春 第1巻(彷徨編) (キングシリーズ)