結婚に学ぶこの世の成り立ち。+α

 友人が結婚した。で、その式に行った訳だが、どれもこれも列席者は大変に人間らしく、感極まって何度も泣いたりなどしているのには、彼らを敵視するつもりなどなくても、やはり辟易してしまう。
 誰かが死んだ時泣くならまだしも、結婚で当事者として泣いたりするのは、結局男に都合よく女として教育された者のひとつの到達点だからだ。そういう事態に感極まる女、としての感性を外側からデザインされ続けたことの完成を意味する。ここで俺が女と書いたのは、男なら幼少時の時点で外側から来るこうしたデザインをある程度察知して排除できるからだ。
 気付かない奴は、一般的に「男は浮気をする生き物」なんてしたり顔でいう奴や、事の善悪を抜きにして「女は殴らない」なんて偽善的な正義を振りかざす男だったりするんだけどな。そりゃ誰も殴らないに越したことはないけど、悪い奴は男だろうが女だろうが殴られることはあって然るべきなんだよ。DVだなんだの小さい事を言っているんじゃない。話がそれたが、抜け出せない奴はやはり多いにしても、男の方が抜け出すチャンスが多いんだから、こうした意味でも男に都合いい世の中であることは明白だよな。
 対する女にとってこうしたコントロールやデザインに気付いたり排除することは、よほど鋭敏でないとできないように社会は作られていて、幼少時からそれは男に対してのものより巧妙だったりする。
 例えば、「女の幸せ」なんていう言葉がある。この言葉を誰も彼もが繰り返し聞かされて育つわけじゃないが、浸透したこの言葉はそうした帰結が当然だと錯覚させ、集団意識に植えつけられた不安感を煽ることから、ある種の欲望を生み出させる。そしておあつらえ向きの市場が用意されているって訳だ。
 その帰結が至上の事とされるために、人間としての善悪はおざなりになりがちになる。市場が拡大すればするほど、人の道を欠いたまま、欲望の幅も広がって、傾向は加速していく。
 人としての道を欠いたまま、そんな欲望ばかりが肥大した状態で発情してしまった女は、中には何をやっても許されるみたいな尊大な考えを持ったメスにもなりかねない。事実、俺はそういう女にことある事に触れてきたし、振り回されてきた。責任感も欠片もない、独善的な欠陥人間どもに。 
 話を戻してさらに言えば、「男の幸せ」って言葉はないだろ?そんな市場も用意されていないから、それだけ男は気がつくチャンスがあると書いた所以だ。だからそういう風にデサインされている女は被害者だし、そういう状況に心を動かされるようにデザインされたまま気付かなかった男も被害者。
 なにもこれは俺の友人に限ったことじゃなく全般的に言えることじゃないか。そんな社会の歪みを端的にでも再認識できたし、そしてそれが見えるが故に、俺も社会的に孤立していることも良く解った。上辺の共感を見せることなどいくらでも出来るが、深い共感は互いにし合えない中にいることも。人類の中にいる宇宙人みたいな感覚。
 二人が愛し合って、幸せになるのは大いに結構でめでたいことだが、そんなことも気になってしまったんだよな。

 ヘラルドさんの試写室にて「ターネーション」。映画に関しては、この自伝ドキュメンタリーを作れるほどの「自分にまつわるネタ」をストックしていた監督の勝利。この一言に尽きる。それを自宅のMacで仕上げてしまうのだから、テーマにまつわるネタのストックがあれば、誰でもドキュメンタリーは作れるって事。さらに極論すれば、テーマのない奴だって「自分にまつわるネタ」がある程度量あれば、誰にでもドキュメンタリーは作れるものだってことをこれほど分かりやすく示している映画はないと思う。
 本作については、事実の部分は重い。だけど独りよがりな部分もあって軽く観られる。独りよがりな部分は、人によっては本当にただの独りよがりに見えて不快かも知れないが、それが監督の色なんだからいいんじゃない?ってな風に、実は一番自由な表現手段であるドキュメンタリーってものにも気づかされる。  
 個人的にはゲイ同士の乳繰り合いは観ていて楽しいものじゃないが(美しくないからね)、プロデュースがガス・ヴァン・サント(ゲイ)なんだからしゃーない。でも先に述べた理由から、充分見応えはあるよ。

 加えて今日の大失敗。ご招待いただいたミラクルヴォイスの宣伝担当さんの前で以前世話になった担当の方の名前を他社の担当と間違えてしまい、名刺もなく、最近の仕事もスッと出てこずシドロモドロになってしまうという、大変失礼かつ惨めな事態に。すいませんでした。
 そこで思ったのは、もう自分を騙しながら逃げ回っている(そう思いながら生きている)のはうんざりだということ。俺は、いまだに擬態を続けているんだ。
 本当に現状を破壊するにはどうしたらいいのか。考えなきゃならない。その準備をしているつもりでも時間が追いつかなさ過ぎる。本当に気が狂う前に吸収せねば。書くには材料が足りないが、書かねばならないか。