クラブと夢で上がったテンション、そして・・・。

 素敵な夢を見た。革命の映画が作られて、凄く安っぽいんだけど、非の打ち所が無くて、そのロジックで映画を作れば、誰でも洗脳可能、煽動可能な画期的な方法、をその安っぽい作品から発見する、みたいな夢。久々に夢で興奮したよ。思い出せることを書き留めるだけ書き出した。でも何の具体性もないんだけどね。まだ今は。

 そんな夢を見た次の日に、同僚と一緒に久々にクラブに行ったんだ。俺はクラブに行くのは久しぶり。そんなに起きていられないし、もう俺も若くない。そりゃ、十代は毎日六本木に繰り出していたよ。それなりにいい目も見たさ。老いたのは心かも知れない。そこに費やす労力や情熱が欠落してしまったんだね。そんなところで得たものや感じたことは、やはり刹那の場、簡単に失われる、簡単に裏切られる。
 だからその場所、渋谷NUTSでそれなりに酒飲んで踊ってみたけど、その刹那の場でやってみたいことがあったから行ったのもあるんだ。それは全然傾倒していないが、分かりやすいジェイムズ・エルロイって意味で、とりわけその憎悪が身近な馳星周「漂流街」を読むこと。もう何十回も読み返しているよ。簡潔で。これはこれで傑作だと思う。俺は馳作品はこれ以外読んでないんだけど、これはこれで完成度が高いだけに、他のもので印象を下げたくないってのが大きい。もっともっと長いけど、情念においてはエルロイには勝てないしね。スピード感は圧倒的に勝っているので読みやすい、ポケット暗黒。
 でも結局暗くて良く読めなかったんで、携帯に詩、というかとりとめのないアフォリズムを、ベロベロに酔いながらも書いたんだよ。これは洗練されてもいないし、人目を気にもしていないだけ、最も恥ずかしく、最も情けない俺そのものだと思う。

「酔えば酔うほど、深更深まればそのほどに、頭部を一閃する、ガラスの針のような貫通力の魅力に、ただ抗い難くなり、従う気持ちは強まって行く。そうすれば、ずっと止まるから。希望の強さとは嘘そのもの。なしくずしに流れるこそ害悪。惨めなものでも、そこに崇高な精神があった、と過去形でも信じられるなら、選べるのは、どうやら人間らしい意識だけなんだから。」

「クソがクソの中で何をするかが最も重要なテーマだ。」

「夢の明晰さ、洞察の深さは、現実にはない。」

「一見普通で正しいことのように見えるが、みんな文字どおり踊らされ、見た目もみんな誰かの真似事。革命なんて言葉を知らない時代の憐れよ。これだけの数が、少なくとも自分なんてありませんと集う悲しさよ。俺も含めて。見い出すことが必要なのは、これだけの衆愚を操る新たな
陶酔なのだ。」

 だとよ。冷静に読んでどうかは別として、脳内をリアルタイムに書き留めたんだから、それはそれで意味あるのかも知れないが、無茶苦茶だわ。要は絶望しているって事しかないし、他に何もない駄文。ただここは俺が野グソ垂れる場として作った便所だから、何でも垂れ流すわ。

 田舎(実家ではない)の沖縄に帰省したという友人が「土産を買ってきた」とのことでスケジュール調整。メールのやりとりの限りでは、どうやら来週になりそうだ。俺は沖縄のものなど、根深い私怨があるために、今は全て拒絶したいのだが、好意だから受け取っておこう。
 彼は一般的に観ればナチマニアで戦争マニア。俺はそうではない。彼に好意で教えてあげた「ヒトラー」、どうも観たらしい。全面的に信頼しているわけではないが、映画評的には酷評なので別に観る気はない。でも一緒に観たいと行って来ているので、なし崩しに観なきゃならないかもな。そんな時間は取れないが。
 はっきり言って戦争が好きな人間が好きな映画は、ディテールがしっかりしていても、物語には冗漫な部分ばかりで、それは映画的に完成度が低いと言うことを意味するので、どうでも良いんだよね。そんな戦争の知識ばかり入れるつもりないし、俺の目指す地平とは違う。俺がナチマニアだったり戦争マニアと勘違いされては困るのだよ。あくまで若干たしなむだけ。必要以上にディープになりたくないのさ。俺はそれに何の価値も見出さない。勝手にしてくれと言いたいところだが、どうなるやら。
 さ、来週はもっともっと大事な「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」だ。俺に必要なのは、個人の情念なのよ。大事なのはデートだって事もあるしね。漂流街 (徳間文庫)