夢こそが現実ならば。

 夢こそが現実ならば、俺は酒に溺れているのも、不眠に悩まされているのも、孤独に打ちひしがれているのも、全部そういう夢。夢こそが現実ならば、俺は毎日大冒険の連続だし、劇的な出会いに燃えるような恋を、全身で感じている。不道徳なセックスも少なからず経験し、多くの人を殺して生き抜いている。夢こそが現実ならば、ひとつの不実な愛の呪縛に苦しめられているのも、全部夢。本当はたくさんの愛を経験し、新しい恋に常に胸を震わせている。魂が生きている瞬間こそが、俺の真実に生きている瞬間ならば、俺は間違いなく現実を夢として生きているし、夢こそが現実に生きるべき時間だ。ならば現実の挫折も、痛みも、孤独も、苦しむに値しない。戦う価値すらないかもな。俺は元々、今ここに生きているだけで、擬態の人生を生きることを強制されているんだ、勝手にしやがれ。そのことに、いま、気がついた。

 宣伝会社のP2さんにご招待いただき、メキシコ+エクアドル合作「タブロイド」試写へ。原題は「CRONICAS」。単純に原題の響きがカッコイイのでこのままでも良かったような気もするが、まぁヨシとしよう、問題は中身だ。ジャーナリズムとそこに従事する人間の良心について考察した、誠実な小品。基本的に南米映画ひいきなので、評価が甘くなるにしても、物語以前にこの濃厚な湿度と熱い空気、それをカメラは漏らさず切り取っているのが強烈だ。そこで汗ばみながら葛藤するジョン・レグイザモ。今回は「ランド・オブ・ザ・デッド」みたいにゾンビ化もしないので、珍しくレグイザモの真面目な演技が堪能できる。そしてプロデューサー役のレオノール・ワトリングがひたすら美しく、欲情する。
 着眼点がそもそもシリアスなので、売りにすべき衝撃のエンディングというのはそれほど重要ではない。問題なのはその質であって、これは辛辣極まりない皮肉とやり切れなさが尾を引くので、その部分こそがキモなんだが、後味の悪さを売りには出来ない気持ちも充分分かるので、その宣伝も充分アリだろう。製作が「ハリ・ポッターとアズカバンの囚人」を撮ったアルフォンソ・キュアロンなんで、一足先にアメリカ公開もされているが、先にキュアロンが製作を手がけた「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」同様、こういう緻密な力作というのは、バカなアメリカ人には受けが悪いだろうな。アメリカ(合衆国)にはもったいない作品。でもまた、こういう志が高いものが容易に撮れるというのもアメリカ(大陸)の良さではあるのだが。
 さあ、明日は映画の日、寝坊せずに、腐れオマワリに邪魔されずに、ラインナップを消化できるといいが・・・。