殺戮映画道の挫折。

 映画の日は体調不良により、結局二本しかこなせなかった。
 「イントゥ・ザ・サン」はバカ映画であることを期待していたが、さすがセガール、それほどのバカはやってねぇな。劇中で「東京出身」とかいいながら大阪弁丸出し、とか、敬語とタメ口がまぜこぜとか、その程度。それも外人にとってはどうでも良いことなので、国辱映画として評価する上では問題にもならない。それ以上のサムシングがないとよ〜!結局「ブラック・レイン」のように、日本人も見入ってしまう圧倒的な異世界を創出することもない凡作。前からセガールは「ザ・ヤクザ」のリメイクをやりたいと言っていたので、その風味は若干感じるけど。刀さばきは合気道的な動きが残り過ぎな感じだけど、なかなかに堂に入っていいるのは感心。前にも若干やっていたけど。大沢たかおのアジトの壁面に、池上遼一の絵(多分「信長」から。しかも無許可と思われる)を極端に拡大した壁画があったのが気になったといえばなったか。でも池上先生的には、「信長」は鬼門だから、何にも言わないと思う。それはそれで、国辱映画ファンとしては「さゆり」に期待だな。

 「ブラザーズ・グリム」はジョナサン・プライスの悪役ぶりが感慨深いだけで、結構ハリウッド映画的に手堅い作り。以前のギリアム作品のように登場人物に狂気が感じられないのが最大の難点かも知れない。マット・デイモンは「ふたりにクギづけ」ほど無茶してないけど、原人顔で体育会系のバカなキャラだったのは説得力あったけど。もっと怪異が起きる塔の中や、フランス軍の拷問部屋のディテールに時間割いて欲しかったよ。それができないならモニカ・ベルッチのPVにしても良かったと思ったけど、その出番も少ないのが残念。しょせん映画なんて極端に美しいか、醜いものが見られりゃいいのよ!
 でも、映像の題材で扱われることが少ない、そんなに都会的じゃないけど、ナポレオン戦争時代のドイツのビジュアル、さらにはラストのピーター・ストーメアの豹変ぶりと、劇中のロマンスに安易な結末を付けない点は、ギリアム意思表示が見える気はした。体調不良の返礼は近々行う予定。

 以前から思考の流れを全て文章化すれば、それは自ずと文学となるし、それが深まれば言語を超越した共感の世界になる。そこは、ここにはないもの、即ち愛に満ちているはずなのに。人間の精神的な交流は究極的にはそうあるべきだし、そうしたいと思っているが、なかなかそうも出来ない現実に苛立つ。そうするには己の脳をマシーンに直結させ、その流れを自動書記させるような進化を遂げなければならないのはもちろん分かっているけど。
 とうに人間は捨てている。とうに俺の中で動物的な感情は死んでいる。誠実だとか、ひたむきさだとか、特にウソの教育で大事だと言っているものほど、そして俺や誰もが持って生まれたそうしたものは全く役に立たないと、世の中全体に否定された決定的な事実がある。さらにそれは持続し、少なくともそれが必要なんて声高に叫ぶ人間は俺の前には一人もいない。いくら世界を変えてもそんな現実しかなかった。そうだよ、人間でもないし、動物ですらない。絶対的な孤独と、絶望はすぐこの目の前にあるのに。その流れを見せられれば、そうしたものは表現として結実するはずなんだが。結局こうしてシコシコ書くしかねえのが情けないし、それがまだ現時点の人間の限界か。安易な癒しや、涙を求める人間ほど、自然界における淘汰の対象である。死ね。世の中は残酷なものだ、残酷こそ真実と知れ。絶望しきっていない俺の愚かさも、またジレンマだ。
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