孤独→崇高=低俗、そのRUMBLE。

 行くべき所などどこにもない俺は、いつもの暗闇へ。そこに待っていた「ロード・オブ・ウォー/史上最強の武器商人と呼ばれた男」は、話はタイトル通り。随所に時事ネタを織り込み、主人公が暗躍した80年代後半〜現在までの世界情勢からもその姿をあぶり出そうという意図のようだ。しかし寓話的な展開や描写のせいで、武器売買の具体的な手口にあまり言及しないため、いかんせんリアリティが感じられず、その点は残念。所々黒い笑いをまぶしているなど、見るべきところもあるが、実録モノにもブラック・コメディにも撤し切れていないので、笑いが笑いとしてイマイチ機能しないのだ。
 ただ、深刻そうな語り口で、問題提起をしそうに見せながら、その実何の解決も見せず観客を突き放すオチはよろしい。アンドリュー・ニコル監督の前作「シモーヌ」より俺はこっちの方が刺激的で好きだ。確かに前作も華やかなネーチャン(当然、エヴァン・レイチェル・ウッド含む)に気を取られていると見えない、とても恐ろしいテーマを内包していたのは評価しているけどな。
 今まで監督は「テクノロジーへの警鐘」を寓話的スタイルで描くことには成功してきたが、それが「現実の暴力」に対しては通用しないということを自ら証明してしまったのかも知れない。ここは開き直って徹底的にもっと目茶苦茶なブラック・コメディにすれば良かったのに。我が敬愛するポール・バーホーベン御大なら、同じネタで異常な傑作が撮れそうだ。そういう意味ではこの監督が次回、どのようなテーマに取り組むのかはとても興味深いところではある。しかもこんだけ語らせてくれるんだから、本作も注目作であることは間違いない。カラシニコフ乱射したくなるしな。
 役者的には、ニコラス・ケイジはあくまで瓢々と商才があるかないか不明の主人公に撤し、安心できる。だが、ブリジット・モイナハンはルックスだけ(俺にはただの鳥ガラにしか見えねぇが)で中身のないその妻を、いつもの無個性な演技でセルフパロディ的に演じており、それが役柄の醜悪さを際立たせていたので終わり近くまでは好感が持てた。ところが散々人の死にあぐらをかいて贅沢三昧してきたくせに、いきなりそこに葛藤し始めるのは不快で蛇足。やっぱり添え物女優の域は出ないな。もちろん、ケイジの葛藤を代弁する弟を演じた俺のフェイバリット、ジャレット・レトのような人物もいるが、これは身体張っているので問題ない。問題は女だ。この映画を観た大多数の女性(男に依存する女)は、もちろん全部とは限らないが、その程度の良識しか持ち合わせていないだけに、リアルといえばリアルかも知れない。さらに言やぁ、人の死にあぐらをかいているのは、女に限らず、結果としては大概のアメリカ人がそうだけどさ。
 
 最近読んだのは新渡戸稲造著/岬龍一郎訳「武士道」。これを読めば、なぜ新渡戸稲造がかつて五千円札の肖像に選ばれたのかが一発で分かるだろう。翻訳に助けられているのもあるかも知れないが、それくらいの名著。「葉隠」と併せて読むことで武士道の何たるか、というのは完璧になると思う。もう、本気で名著。この汚辱の世にあって、読むだけで自分が浄化される気がする。ページを繰るごとに、求める手に次々と答えがポンポン与えられる感じ。こんなの、「平気でうそをつく人たち/虚偽と邪悪の心理学」を読んで以来だよ。小義にとらわれるから人間は嘘をつく。嘘をつくから人間は気づいていなくても卑屈になるし、その嘘を護るためにさらに嘘を重ねる。結果として、それは自分を維持していることにはならないんだ。その場だけ。そもそもカネがあの世に持っていけないんだから、金に執着してもしょうがない。ならば重んずるべきものは名であって、下らない保身や享楽に嘘をついても名は汚れるし、生きる証だって自ら否定するようなものだ。それは、人として生きることにおいて自殺と同義なくらい、愚かなことなんだよ。
 そう偉そうに言ってみて、己の自殺衝動(記憶を消したい。孤独を消したい。)を必死で制御しようとするのも俺の愚かさかも知れないけどな。

 それを裏付けるかのように立て続けに一気に読んだのが、馳星周著「夜光虫」。彼がエルロイ・チルドレンなのは周知の事実で、本人も認めているところだが、そのリスペクトがどの程度込められているのか、前から確認したかった。どうも周囲の単なる馳ファンは、俺の確認した限りではエルロイの何たるかも知らないようではあるが。俺は「漂流街」から遡って読んでいるし、「不夜城」も映画を先に見てしまっているので、その酷さ故未読だ。もちろんその前からエルロイを読んでいるので、結局その影響を確認するためには読まなければならないだろう。とはいえ冒頭から「ホワイト・ジャズ」の引用をするなど、エルロイ好きにはニヤリとする出だしで、台湾の描写も殺伐としている上に、生き生きしていて魅力的だ。そして己のイノセンスを象徴するかのような女のために、嘘に嘘を重ねて自滅していく主人公、問題ないね。絶無の孤独とリアルな絶望、そして面白い。実の兄弟が殺し合う情念に、もう少し説得力は欲しかったが、ほぼ絶縁している俺の弟には無性に会いたくなった。
 ただ、終盤の、血に絡め取られて破滅し、主人公が転落の果てに整形し、顔を変えることを余儀なくされるあたりのくだりからは急にリアリティを欠いて残念だった。偶然が重なりすぎるし、整形したって、整形逃亡殺人犯・福田和子の例を見れば明らかなように、旧知の人間に会っても判別できないほどの変貌を遂げるのは、骨格までは変えられないので現代医学では無理な話だ。それでも訴えたい情念、依るべき唯一の己の確かさ、つまり血からも呪われてしまう主人公の絶望の深さは充分表現できているので、完読出来たってことだ。
 執拗に繰り返される、主人公の頭の中で聞こえてくる声、
「この男を黙らせろ」
「こいつを黙らせろ」
「ぶち殺せ」
「殺してやる」
「どいつもこいつもぶち殺せ、一人残らず皆殺しにしろ」
 というような声は、俺の頭の中では既にずっと前から聞こえている声なので、親近感は湧いた。もっとも俺は、その声に従うつもりはないし、その声は闇の空洞に空回りしている。それは武士道がくれた克己故だろ?はっきり声として意識したのは3.4年ほど前からだが、あまりにリアリティがあるのでついつい独り言のように声に出してしまいそうになる。そりゃ、うっかり言ってしまったことだってある。でもそれは当たり前のことだと思っているので、俺はそんな声に対処する術は持たない。声に取り合うつもりはない。衝動はあるし、その衝動の根本は罪も問われずのうのうと生きていやがるが。ただそれを反芻し、実行する自由を与えてくれていることで、俺にとっての暗黒小説の意義はあるんだ。ある意味、夢心地だったぜ。俺にとって信じたかったものを確実に失わせる悪夢ではあったけれども。「漂流街」が、その進化型であることは良く理解できた。
 そして台湾、かつて明には琉球と同じ国として認識されていた島国。俺はその半分、今では沖縄、口にするのも虫酸が走る土地。俺はそこの女に、そこが育んだ血に裏切られ、人生を狂わされたからな。とはいえ、誤解を避ける為に言うなら、沖縄全体を差別する気は更々ない。単に複雑な感情がフラッシュバックしてくる故に、避け、避けながら希求している。むしろ、出来ることならそこの人と直にふれあい、そんなのは単なる一部の異常者の血が為せる業だと、俺に教えて欲しい。にもかかわらず裏腹に希求している俺は、そのセンシティブな領域、沖縄そのものを描いているという、週刊ポストに連載中の新作「弥勒世(みるくゆー)」が気になることも、否定できない。
 それでももう半分、台湾はより複雑な事情を抱えた土地であるにせよ、まだその良心を持っている場所と信じたい。現在の台湾が、国民党を支持する秘密結社の尽力で作られた国であると知っていても、残っている文化は、残っている心情は、まだ駆逐されていないだろう、その幻想が俺を支配する。本質を知らないバカが、表面的な文化や風土に吸い寄せられていても、俺はある部分は知ったと自負している。それは暗黒面なのか、日常的な一面なのか、俺に教えてくれる人間はいない。そして俺のデスクトップには、今日もあり得ないくらいの凄絶な美しさをたたえて、林志玲が微笑んでいる・・・。武士道 (PHP文庫)夜光虫 (角川文庫)平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学シモーヌ デラックス版 [DVD]ロード・オブ・ウォー―史上最強の武器商人と呼ばれた男 (竹書房文庫)葉隠 上 (岩波文庫 青 8-1)