ホワイト・ジャズ。

 ワーナー・ブラザーズさんのご招待で、「シリアナ」試写へ。
 アメリカの石油業界、アラブ某国の王族、イスラム原理主義のテロリスト。これらが全て単独では機能し得ない癒着のもとにあることを告発した劇映画。劇映画と言ったのは、かつてこうした癒着は、「華氏911」などのドキュメンタリーで既に明示されているし、世界情勢についての熱心な読書家なら、周知の事実なんだろう。実在の社名や国名などは巧妙に伏せられているが、そこはやはり「トラフィック」のスタッフが濃厚に関わっているだけあって、それなりに緊張感を維持して見せてくれる。
 その上、「トラフィック」では監督兼プロデュースに回っていたスティーブン・ソダーバーグが今回はプロデュースに専念しているので、今回は酔いそうな手持ちカメラ撮影や、フィルターによる実験的な色分けはされておらず、その分話はすんなり入ってくる。だが、「トラフィック」同様、この世界を覆う現実を抜き身で見せつけ、何の解答も示さない(しかもメジャー作らしからぬ、リアルな拷問シーンは出色のデキ。)ので、後味は決して良くない。
 それでも、我々日本人にはあまり現実感の無いこうしたテーマにあっても、観客一人ひとりが考える材料にはなるだろう。「華氏〜」などのドキュメンタリーに抵抗感のある奴も、これなら押しつけがましくないし、キャストのアンサンブルもあって、観て損はないと言える。個人的には、悪の実感無く淡々と石油ビジネスを展開する、クリス・クーパーが絶品だったな。

 その後、一観客として、超大入り「ホテル・ルワンダ」へ。
 題材が何であれ、やはりソダーバーグ組(でも別に俺はソダーバーグは好きではない)のドン・チードル主演というだけで気になって仕様がない俺にはまさに待望の一作。内容もチードル入魂の演技が光る、大変衝撃的な物語(実話)で、こういう表現では語弊があるかもしれないが、大満足。
 しかし、ルワンダの大虐殺を知ってはいたが、ここまで詳細に眼前に突きつけられると、今でも充分にショッキングだ。しかもそのカラクリまで明解になってくる恐ろしさ。「アフリカの小国で起きた、無知な土人の殺し合い」なんて偏見でこの民族浄化を片付けようとする奴こそ観るべきだ。
 概要は、被支配層で多数派の歴史を持つフツ族が、大統領暗殺に伴うデマに乗じて、かつて支配層であった少数派のツチ族に対し虐殺を始めた、というもの。
 そこで浮かび上がって来るのは、民族紛争など欧米の植民地支配の前には無かったという事で、そもそも民族の区分自体が植民地支配から目を逸らせるために、白人に押しつけられたものだったという事だ。
 そんな狂気が現実にあるというだけで打ちのめされる。ある日隣人が殺戮者となって襲いかかってくる。こうしたシチュエーションはフィクションにも多々あった。正にジョージ・A・ロメロ監督やその影響下にあるゾンビ映画そのもの。白昼なので「ドーン・オブ・ザ・デッド(=『ゾンビ』)」+ホテルに立てこもるので「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」+「デビルマン」後半の悪魔狩り÷3=本作(しつこいが実話!)って感じだ。
 そうした危機に、肉体的に優れているわけでもないインテリが、職務に忠実であることと、家族を護ろうとすることの一心で、結果的に多くに人を救ったという、実話ならではのドライなリアリティ。却って主人公の打算などが終始見え隠れするだけに、その感動には綺麗事ではない説得力がある。脱帽だ。
 そしてそれを、世界の警察を自任するくせに見殺しにした、アメリカが映画にすることの自己矛盾。言い換えれば懐の深さ。単に商売になるからだけかも知れないが、金も出してるチードルの熱意は本物だ。
 さらには、社会派はこの国でで受けないから、と本作を埋もれさせようとした、多くの日本の配給会社の見る目のなさ。結果的に配給に踏み切ったメディア・スーツさんの英断。それを後押しした署名運動の行動力。ひたすら考えさせられ、複雑な気分になる。
 本作を当初公開に踏み切らなかった日本の失点は、同じように集団の愚行を行った国として、極めて公平な視点で「亀戸事件」なんかを映画化(過去にされているが、あまり公平ではないと言う。未見。)しない限り、それはこの国の文化水準の低さとして定着し、回復することはないだろう。

 加えてとうとう、「ホワイト・ジャズ」再読完了。今日の映画も、本書も、全て、「『悪い白人たち』が奏でる狂乱のジャズ」〜馳星周による解説〜の一部に過ぎないな。それは今日に至るまでずっと奏でられているし、これからも続くだろう。その調べはこの国にも届いてはいるが、調べに踊らされているために、意識されることはない。十年ぶりの再読、しかも十年前はひたすら難解だったが、淫乱さ故に全てを破綻させる家族関係、女を護るために破滅する男(これはファム・ファタールものの定石を驚くほど忠実に踏んでいる)、顔をなくす主人公、さらにはもちろん、文体。「夜光虫」への影響と、エルロイが編み出した文体の幻惑、肉体的に失われていく主人公のモノローグの強烈さ(そのジム・トンプスン「残酷な夜」との類似点)を再認識した。
 つまり、「シリアナ」でワーナーさんが使っている惹句を引用させてもらえば、「みんなつながっている。」ってことだ。
 そして全てを失ったあとに一人残され、それでも生きなければならない男の一人語りとしても。ヒーローのものではない上、俺も狂気に駆られた淫乱な女に、全てを破壊された一人として、共感できる。脱け殻になっても、その再生は描かれない。俺が描くべきビジョンも決定的に欠落しているのと同様に。それは要するに、てめえ自身で考えろ!ってやつだろう。トラフィック [DVD]華氏 911 コレクターズ・エディション [DVD]ドーン・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット プレミアム・エディション [DVD]「ゾンビ」(1978)ディレクターズ・カット・エディション [DVD]デビルマン(5) (講談社漫画文庫)ホワイト・ジャズ (文春文庫)夜光虫 (角川文庫)残酷な夜