人に二心はない、はずだ。

 我慢をしている。向くべき心を押しつけて。
 だが所詮は我慢。我慢は力で為すもの。己の心を力で押しつけるもの。それを解放すれば俺自身の破滅に繋がることだって分かっている。それでも心は向く。
 虚無の現状が、向かせる。
心はひとつだ。心臓と同じ数。卑怯な人間ほど、それに目をつぶるが、事実が変わるわけではない。
 ふと心をゆるめると、その方向に自然と心が向かいそうになる。それを必死で、押さえる。磁石の針のように、天然、自然のものだ。たとえそれが汚い方向であっても。さらに俺の自滅を暗示するものであっても。
 押しつける力の維持が困難ならば、それは何らかの外的な力で、心の向かう力を奪ってしまうしかない。俺にとってはそれが酒だ。たとえ死ぬにしても。心がそこに向かうせいで死に至るわけではないからな。いずれにしても向かうのは死だ。その原因がなんであれ、そこに至る経緯がなんであれ、みんな、同じ方向を向いている。誰だって時間は限られている。自分に嘘をつかず、他のもので自分を誤魔化したりなどせず、有効に使えるかどうかが、幸不幸の判断基準なのだが。カネや周囲の顔色を窺うことに慣れ過ぎてしまっている人間は、なかなかそうは動けない。だがそれは人間らしい弱さなんかじゃないんだけどな。
 そうすることを良しとしない人間だって、確実にいるっていうことだ。
 とはいえ、俺も涙がなぜか一滴も流れなくなってから、その復活に暇潰しをしつつける現状。向かうべき心の方向性すらも、認めてしまうのが怖くて、三年間も押しつけ続けている。
 これがどこまで続くか、それで俺の終わりは決まる。