映画や、本や本や本や本や本。

 映画の日は結局一本しか行けず。「フライトプラン」やっていた渋谷の映画館は、満席と言うだけなら分かるが、立ち見させないという狭量な場所で(渋谷ピカデリー、アンタ方だよ!)、残りの「レジェンド・オブ・ゾロ」だけ行ったわけ。
 爆発とかアクションはなかなかだけど、カリフォルニアがアメリカに併合されるという時代背景に、なんでゾロが選挙妨害を取り締まったりするんだ?民衆のヒーローが米帝を擁護するなんて、それだけがただひたすら不快な作品。前作がアンソニー・ホプキンスから二代目を継いだアントニオ・バンデラスの話なので、てっきり今度こそヒーローのピンの飛翔が見られると思っていたが、つまらない夫婦の痴話喧嘩と餓鬼をメインに据えた、唾棄すべきファミリー映画になっていた。
 そこまでの紆余曲折を描くならともかく、一足飛びに子煩悩なヒーローなんぞは、別に観たくねぇよ。敢えて今作らなくても良かったんじゃないか?それに、石鹸、が小道具に出てくる時点で、敵の陰謀も軽く読める情けなさもあったが、最後のニトロ満載の列車バトルだけは熱くなった。でも、それだけ。頭の不自由な人や、セックスの口実に映画見に来ている人以外は、石鹸が出てくる時点で、「ファイト・クラブ」以降の覚醒した映画観客として、きな臭いものを感じないわけにはいかないだろ。そんなのも流して流してオールドスタイルに徹底してどうすんの。と珍しく激しく突っ込みたい作品。ただ、キャサリン・ゼタ・ジョーンズには相変わらず欲情させられたのも事実。

 映画の日は出鼻をくじかれ、以降あまり見る時間もなく今月は本ばかり読んでしまった。先日レナードを引き合いに出したので、レナード・タッチで毒書経験を浄化するために、エルモア・レナード「野獣の街」読了。いや〜、いいね。いつも思うけど、レナードってストーリーは極めてシンプルなのに、会話とか、ディテールでキッチリ楽しませてくれる。最後の、デカと犯罪者による一対一の決着などは、西部劇小説を書いていた経歴を窺わせて、そこが凡百の「ミステリー」という括られ方をレナードがされない所以だと思う。「ミステリーなど糞食らえ!」(byジェイムズ・エルロイ)だろ?個人の正義は個人で決着をつけるところが、体制側にしろ反体制にしろ一貫しているんだ。これは「法に頼るな、法は何もしてくれない。自分のつけるべき落とし前は自分で命がけでやれ!」というメッセージだ。だから犯罪小説、ないしはハードボイルドの範疇に踏みとどまっているんだよ。あれだけ軽妙なタッチで、それを徹底しているのは凄いことだ。ひたすら敬服。

 そして、藤田五郎(人斬り五郎その人だ!)著「仁義の墓場」読了。でも深作欣二の「仁義の墓場」の正式な原作じゃない感じ。ルポ、つうか実録本じゃないんだね。確かに前半、深作版「仁義の墓場」で描かれていた実在の極道、石川力夫(演ずるは渡哲也!)的な人物は出てくるけど、事実を色々混ぜ込んで新たな物語にしている感じ。それとも数年前の三池崇史版リメイク「新・仁義の墓場」(岸谷五朗バージョンとも言う、役名は石松陸夫!笑)に併せて再構成されたものなんだろうか?とも思ってしまう。が、色と欲の絶妙なリアリティある筆致に、一気読み。

 さらに、清谷信一著「弱者のための喧嘩術」読了。言うまでもなく、俺は最底辺をはいずり回る弱者だ。特に若さも、カネも、権力もない。だからこの世の中に、この世界の価値観においては弱者だと思う。特に法は、正義は、俺の味方にはなっていないからな。ってそんな切実な気持ちで読んだわけではないが、味方がいるとか、法が守ってくれるとか、国が保障してくれるとか、そんなのは幻想だ、ということだけはよく分かる。薄々感づいてはいても、認めたくない事実のオンパレード。そして「術」と言うよりは、この汚辱に満ちた世の中に立ち向かう「心構え」を、この本は説いている。受け取り方によっては陰湿に見える箇所があっても、法が守ってくれないのだから仕方がない。俺たちは紛れもなくそういう世の中に住んでいる。そしてそれに気づいている奴も、気づいてもそれを指摘しようとか、マジに変えようとする奴は少ない。自由なんてない。一部の人間に欲得に絡め取られて、囚われて一生を終えるのだ。本当にそれが人間って事なのか、考える能力のある奴は考えてみましょうね〜。

 続いて、ジェイムズ・ガン著「死者の夜明け ドーン・オブ・ザ・デッド」読了。要するに、「ドーン・オブ・ザ・デッド」のノベライズよ。でも読んでおきたかった。場面場面は知り抜いているので、深く考えることもなく、即読。このノベライズは第一稿シナリオを元に、シナリオライター本人によって書かれているので、所々に映画にはない皮肉な描写が含まれていて良かった。まぁ、映画のノベライズなんてそれ以上のものではないんだけどな。でも俺は映画版の辛辣で収拾のつかないラストの方を断然支持するね。さらに言うなら、両方で、それにジョージ・A・ロメロ師(死)が描いた、世界の終末のビジョンを支持する。早く終わっちまいな!こんなクソの世の中よ。

 ダメ押しに、ジェイムズ・M・ケイン著「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」読了。俺は既に昔、新潮文庫版「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を読んでいるのだが、敢えて訳の違うバージョンで読んでみたかった、それくらいの傑作。流れ者が、夫婦でやっている店に流れ着き、妻と関係に陥ったあげく、夫を共謀して殺そうとする、なんてありがちだろう?でもそのオリジンだぜ?しかも徹底した口語体の一人称で、ザラつき、主観から見え隠れする客観をおぼろげに見せながら、お粗末な犯罪のお粗末な末路が綴られていく。ハードボイルドの始祖と括られている向きもあるが、断じてそうではない。
 どこかで見たことないか?こんな杜撰で、カタルシスの欠片もない、ろくでなしの精神の地獄を。そう、ジム・トンプスンなんだよ。トンプスンは殆ど、トンプスンの最盛期から30年ほど前のこの作家の物語に、その語り口に、呪縛されている。そしてそれを洗練し、破壊し、完結させた。
小説を、人間を、おれたちを。
 その確立した語り口と諦念で、今もノワールすらも呪縛し続けている。その原点であるからこそ、ケインもハードボイルドではない。そのような語彙を当時持たなかっただけで、まごうかたなきノワールなのだ。石井隆にも影響を与えているしな(「死んでもいい」はそのあけすけなオマージュだ。故に石井隆はエロの人ではない。ノワールの人なのだ)。心の底まで冷え切っている人間には、バカな女が食う甘味みたいに染みこんでいくぜ。だが癒しにはならない。癒しなど要らない。必要なのは、卑し。自己を究極の諦念に突き落とす、その先の覚醒だ。俺がそれに耐えられるかどうかは知らねぇ。だがもう引き返せないだけだ。他に縋るものはないから。マスク・オブ・ゾロ(二枚組)DCE [DVD]ファイト・クラブ スペシャル・エディション [DVD]野獣の街 (創元推理文庫 (241‐1))仁義の墓場 (徳間文庫)仁義の墓場 [DVD]新・仁義の墓場 [DVD]弱者のための喧嘩術 (幻冬舎アウトロー文庫)死者の夜明け―ドーン・オブ・ザ・デッド (竹書房文庫)ドーン・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット プレミアム・エディション [DVD]郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす (ハヤカワ・ミステリ文庫 77-1)郵便配達は二度ベルを鳴らす (新潮文庫)死んでもいい [VHS]