「ミュンヘン」が導いた、暴力と復讐への考察。

 一観客としてやっと「ミュンヘン」へ。本作の初期タイトルは「VENGEANCE(報復)」だった筈だが、結局、初期タイトルのままの方が内容を端的に言い表していると思う。事実、テロに対するテロと言うよりは、ミュンヘンオリンピックでの、イスラエル選手団へのパレスチナ過激派によるテロに対しての報復なのだから。
 ただ、発端はそうであっても、復讐をすべき相手にそれがなされていないことに主人公たちは気付いていくことによって、物語はだんだん違う方向へとシフトし始める。これじゃあ主人公が葛藤するのも無理はない、って展開になるんだよ。誰かに殴られた時、その殴った奴に殴り返さないとスッキリしないだろ?まして、関係ない奴に当たり散らしたって気分なんて良くなる訳がない。バカじゃなけりゃ、罪悪感が募るだけだ。これとまるで同じ。
 俺は復讐を否定しない。むしろ全面肯定だ。でも、復讐と呼ぶに値する行為かどうか、また、その実行と完遂に当たっては、三つの熟慮すべき点があると考える。
 一つに、必ずその報復されるべき相手にそれがなされること。
 そしてもう一つに、復讐しなければならない理由が本当にあるかどうかだ。結局その遠因が自分にあった、なんてことだったら、笑い話にもならない(この部分に思い至る人間が少ないからこそ、「オールド・ボーイ」は画期的なのだ)。
 そして最後に重要なのが、重んじられるべきは、復讐という行為そのものであって、自分の命などは端から捨ててかかる覚悟で臨むことだ。それが私怨を大義に昇華させる。
 これらを徹底的に突き詰め、それを果たすことにより、復讐は初めて正当化される。そして、その条件が見事に合致した希有な例だからこそ、「忠臣蔵」は現代にまで語り継がれている訳だし、それを果たした四十七士は「義士」なんて最高の賞賛を込められた名で呼ばれているのだ。
 その点で見るとこの映画は、というかこの事実は、全く復讐の条件を満たしていないと言うことになる。よって復讐映画とは言えないわけだが、だからといって駄作というわけじゃない。テロの原因だってイスラエルの無理矢理な建国にあるんだし、それをスピルバーグも大体は言いたかったんじゃないの?つーか、今のアメリカへの完全な揶揄だよ。結局、それから30年以上経っている現代においても、復讐の基本すら見直されずに愚行が繰り返されている、ってことだ。
 加えて本作は「プライベート・ライアン」で開花させたリアル路線を見事に引き継いでいて、人間が銃で撃たれるとどうなるか、ってことがよく分かるので(要するに暴力描写満載)、その部分においても知的な欲求に応えてくれた。
 個人的には以上の三点を心得ていながら、それに合致しないからこそ、俺個人はこの怨流の思いを果たさずに、また果たせずにいるんだし、そんなことはどうでもいいんだよ、現実がそれを凌駕すれば。この世には法で裁ける悪さえも裁かせない、「汚い人間」の事情が横溢している。
 その意味では俺的にはPLOのメンバーが言い切った、「ホーム・イズ・エヴリシング(故国こそが全てだ)」が一番染みたね。言い換えれば、家族が全てだ。家族がないために、家族をないがしろにしているために、人は歪む。もちろん、家族そのものが重要なわけではなくて、その中で支え合う信義、これが重要だ。それが遵守されていなければ家族として機能なんかしまい。俺はそんな基本にも裏切られたために今むざむざと生きている。完全な孤立無援だ。帰るべき家もない。だからこそ、やはり家族は必要だ。正しい家族のあるべき姿が、正しい人間を作る。そう思い描いて挫折したなれの果てが俺のような人間を作るのかも知れないが、その賭けは、やらないよりはいいだろう。でもこの独房暮らしはそんな希望さえも打ち砕くぜ。どうにもならん。
 とはいえ、この考察は、クローネンバーグの新作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観るまで引き継がれることになるだろう。
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