良書と出会う快楽、そして・・・?

 滝本誠著「渋く、薄汚れ。ノワール・ジャンルの快楽」読了。自分がこのような狂気に満ちた悲喜劇と孤独を経なければ、漠然と予感していただけに過ぎなかった、人間と世界の実相(誰も彼も信ずるに足らず、裏切り合うだけの世界)について、これほど強い確信と実感を得られなかっただろう。
 さらに、その頃既に足を踏み入れかけていた、ノワール研究についても、そのノワールが持つ、徹底的な絶望感への嗅覚が研ぎ澄まされることもなかっただろう。
 つまり、俺にもその嗅覚というか、ノワール的思考が自然に身に付いて来ていたことが、本書を読むことで痛感されたのだった。というのも、ここで展開されているのは、ノワール耽溺者なら思い至る当然の帰結なのかも知れないが、同質の人間の脳の中を見た気がして、自分の所見は間違ってはいなかった!と嬉しくなるような事ばかりだ。
 例えば、以前この場で指摘した、「ファーゴ」が「白いノワール」であるという点。コーエン兄弟は一貫してフィルム・ノワールへのオマージュが創作の原動力となっているのだから当然か。
 また、これも指摘した、石井隆が劇画だけでなく、映画制作の折に、必ずと言っていいほど、ノワール的な要素を織り込むことを忘れない「ノワールの人」であるという点。
 さらに、俺の人生最高の一本である、「ワイルド・アット・ハート」を起点とする、監督デヴィッド・リンチ、原作バリー・ギフォード、さらにはギフォードの敬愛するジム・トンプスン、その正統後継者としてずっと注目していた、ジョン・リドリー(これもまたケインへのオマージュである、「Uターン」原作者だ)に至るまでのイメージ的連鎖が、明解なヴィジュアルを伴ったかのように評されており、自分が未来を予知したような快感に満たされて読むことができた。“題材的には”著者と俺は同じようなノワール的思考の持ち主であることが分かったので、先を読むのは苦もなくできるし、それは著者への侮辱ではない。
 難を言えば、翻訳小説の日本出版タイトルや俳優名に一貫した表記が欲しかった。だが、それをチェックするのは編集の仕事なので、著者の非ではなく、それによって本書をものした著者の志の高さが損なわれる訳ではない。
 それにしても、本書の中で滝本さんは告白しているが、連れあいを亡くされているとはいえ、娘さんもいる、つまり家族がいる身の上でありながら、ここまで闇の深くへダイブして大丈夫?と余計な心配をしてしまう。
 俺は野良犬なので、家族もなければ、見せかけに手をさしのべてくる奴らも、偽善か打算しかないから、純粋に闇を我が事と捉えられるけど、少なくとも家族がいる人間はどうなのか?と考えてしまう。ま、そのような立場でも、一時的に闇に自分を引き寄せる想像力こそが、滝本さんが巻頭で説いている“ノワール力”なんだけどね。

 あと、俺、最近、何か、俺にかかった深刻な呪いがようやく解けてきているような、そんな気がしている。俺のノワール力の源泉であったものが。夏が近づいてきているせいかもしれないけどね。
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