映画のお小言、でもただの殺戮。

 一観客として例のごとく、死ぬまで続く巡礼へ。
 一本目、「ウルトラヴァイオレット」へ。「マトリックス」チルドレンでありながら、そのオリジナリティ溢れる暴力描写が衝撃的だった、カート・ウィマー監督の前作「リベリオン」。それを超えるものが観られるかに俺の興味は絞られていた。それだけに本作に関しては、見せ方のギミックには磨きがかかっていたものの、その世界観は、知ってはいたけどややチープ。前作のハッタリ感に満ちたアクションの痛快さは、歪んだ世界に生きる一介の男の動きが、やがて世界を変えてしまうという物語のダイナミズムがあってこそ、初めてキチンと機能していたのだ。だから、SFのキモであるガジェットも充実してはいたが、その見た目重視、派手さ重視の姿勢の為に、作品そのものが薄く感じてしまうのは何とももったいない。別に派手でも薄っぺらでもいいけど、派手さには重さが欲しいし、薄いなら徹底しないとな。もちろん、その薄さの一因には、ミラ・ジョヴォヴィッチのルックスとアクションの安売り感覚が大きく作用していることは言うまでもないし、俺にそう印象づけたのが、今から十五年位前に、「週刊ヤングジャンプ」のグラビアを飾ったりしていた彼女の活動に端を発していることも否定できない。

 二本目、「インサイド・マン」へ。己の社会的なメッセージに拘っているため、なかなか“映画作家”的な括りから解放されない監督、スパイク・リー。そのために、ここ何本かの作品は盛り込んだ娯楽性が上手く機能せず、少し損をしていたように思う。マイノリティー(俺は個人的には黒人を“少数派”とはもう思わないけど、)せっかくここまで築いてきた“映画作家”としての地位を失いたくなかったのかも知れない。それでもこの作品は多少の人種ネタで自分の匂いを強引には残しているものの、脚本が秀逸なのか娯楽色全開で大いに楽しませてくれる。銀行強盗で完全犯罪を企む男の話なので、冷静に観れば計画に穴がないとは言えない。それでも暴力を極力排除して、物語の奇抜さと、錯綜する情報の洪水で楽しませようとする、娯楽重視の演出に、スパイク・リーが監督したことの意義はあったかも知れない。企画当初監督予定だったという、ロン・ハワードにはこの猥雑さは醸し出せなかっただろう(だから、俺はロン・ハワード作品が好きではない)。俺は常々、スパイク・リーには、短命に終わってしまって久しいが、今なお強烈な存在感を放つ娯楽ジャンル、ブラックスプロイテーションを復活させて欲しいという願いがあるのだ。その点では後輩黒人監督のジョン・シングルトンに一歩先を行かれてしまっているが、今作においての娯楽性重視振りはいい傾向だと思う。そもそもタイトルがオチを暗示しているというのもナメているし、サービス精神の表れのような気がする。だからだいぶ前から聞いてるのに一向に進展しない「フォクシー・ブラウン」を早くリメイクしてくれよ。

 それで三本目、「ポセイドン」へ。ワーナー・ブラザーズさんから試写にご招待頂いていたが、予定が合わずに行けていなかったこの映画、テレビで小学生の頃「タワーリング・インフェルノ」と「ポセイドン・アドベンチャー」を観たことで、パニック映画(当時は“ディザスター・ムービー”なんて呼び名はない。ホラーも“オカルト映画”とか“ショック映画”なんて言ってた時代だ)の面白さ、ひいては他人の不幸をあざ笑うセンス、そしてジーン・ハックマンアーネスト・ボーグナインのような苦み走ったオヤジのカッコ良さに開眼させてもらった俺としては、そのリメイクだけにどうしても観たかったんだ。もちろんカート・ラッセルも「ニューヨーク1997」のスネークばりの大活躍をすることを期待して。さらに兄マット・ディロンをより下品にしたルックスで、卑小なチンピラをやらせたら兄貴以上のリアルな情けなさのために、以前から注目しているケヴィン・ディロンが出ているというのも、俺の観たい動機としては大きかった。彼がどうこの海難事故をサバイバルするか?ってのが気になっていただけに、事故の悲惨さをCGやら何やらで強調するばかりで、確かにそれは賞賛に値するブルータルな出来。しかしアイディアを幾らでも盛り込める筈の脱出方法や人間ドラマが、全てにおいて希薄になっている残念な作品であった。ケヴィンをヒーローにすれば良かったのに。

 最後は、「トランスポーター2」だ。いやもう最高。俺は一連のガイ・リッチー作品に出ていた時から、このシリーズの主役、ジェイソン・ステイサムの精悍なルックスに男惚れしていて、だけに単独初主演となった前作「トランスポーター」には「よくやった!」という気分だった。ただ一点、リュック・ベッソンプロデュースという点を除いては。ベッソンは自作に、自分の好み丸出しの鶏ガラ女を起用しては、説得力のないアクションをタラタラやらせているが、この作品もそういう意味ではご多分に漏れなかったのであった。アクションに説得力のある、筋肉女を起用してきたジェームズ・キャメロンとは対照的であり、ベッソンが死んでもキャメロンになれない理由がそこにある。それは本作がベッソン作品でなくても、“ベッソン・ブランド”であることを思い知らされたと同時に、そのモデル崩れ女の起用だけに目を瞑れば、本作の正味なところの監督、ルイ・レテリエベッソンの呪縛から確実に解放されつつあることを、前監督作「ダニー・ザ・ドッグ」以上に感じたので、今後は完全にベッソンから裁量権を奪取することを期待したい。そして、レテリエの進歩とは、ベッソン風のスタイリッシュなだけで、どこかで見た様なアクションと違い、その主演キャラに合わせたトリッキーな動きを貪欲に取り入れ、出し惜しみしない点だ。それは「ダニー〜」出演時のジェット・リーの動き一つとっても、本来正統派(この表現には、実戦系ではなく演武系である、という意味も含まれている)のジェットに、ダーティこの上ないアクション(つーかケンカ)を演じさせていた時にも重々感じていた。しかし、本作でその感慨がより深いのは、続編ものであるということが大きい。特にアクション専門俳優でもないステイサムのアクションに、前作ではまだどうオリジナルなのか?というのが今一つ見えなかったが、シリーズを重ねてレテリエの狙いが少し見えてきた。それは実現不可能なバカ・アクションの徹底である。アクション専門じゃないステイサムにどんな過酷なアクションさせたって、限界は見えてる。もちろんオリンピック選手だった経歴を持つステイサムだけに、普通のボンクラよりは身体能力だって高いだろう。そもそも彼は飛び込み選手であって、武術家ではないのだ。そしてシュワやスタの様な剛拳系でもない。それゆえに用意された周到なバカ。およそ有り得ないシチュエーションのアクションをCGでもなんでも使って視覚化する。見た目が凄けりゃいいじゃん、その開き直りがアクションには大事だし、そうしたハッタリのお蔭で、俺はアクションを観続けているのだ。暴力映画じゃないんだから、有り得なくていいよ。そういう意味ではファンタジーに近いかもな。とはいえ、またもベッソン絡みだが、「アルティメット」も、こうした嬉しい誤算があることを期待するぜ。
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