夏が死なない為の生贄。

 とはいえ、こいつら(映画)、いくら殺しても、殺しても、殺し足りねぇ。だが俺はまだ夏が終わったことを信じない。だから、念入りに。

 一本目は「ディセント」へ。この監督、ニール・マーシャルの前作、狼男版「死霊のはらわた」とも言うべき「ドッグ・ソルジャー」にも言えていたことだが、一見使い古された設定のモンスターホラーに新しい息吹を与えたいというのは解る。だがそれは地下の洞窟を舞台にすることで、前作よりは金はかかっていても、前作同様志が空回りしている。それはホラーのブレイクスルーとなった作品が全て備えている、「過剰さ」というか、ある種の「暴走感覚」が欠落しているからだと思う。手堅く器用にまとめてはいるが、今後はその域を出てくれることを望む。ただ、人間の頭に鉄パイプが突き刺さる描写は良かった。

 二本目は「ハードキャンディ」。エレン・ペイジが観たくて行っただけ。その点に関しては満喫できた。援交オヤジを去勢する、というシチュエーションはいただけるが、それに際しての虚々実々のやりとりはいただけない。つーか、要らねぇ。やるならもっとその部分の描写のリアリズムに時間を割くべきだ。オヤジもうろたえ方が足りない。死ぬより苦しい目に遭わせてやりたい対象を持つ人間がいる。その心を満たすものを、もっと、もっと、見せてくれ(テメェが作ればいいんだが)。

 三本目は「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」へ。とても可哀想なのに、なぜか同情できない。愛を失うと、人間は死ぬものだ。他のどんなことも、その代用にはならない。愛を失って生きている奴もいるが、それは全て欺瞞なんだ。その痛手を打ち消す愛で自分をごまかしても、それが失った愛の代用でしかない事実は変わらない。その結果生まれた生命も代用。そうして不要な生命に埋め尽され、自分をごまかした抜け殻に埋め尽されているのがこの世の中だ。残りは、その事実を知覚も出来ないアホと、愛に満たされた極めて少数の人間で構成されている。実体が有るように見えるのは、見た目だけ。実は幽霊ばかりなのさ。それにしても、キース似てなさ過ぎだし、原題「Stoned」とは似ても似つかない、この腑抜けた邦題を何とかしろ。

 四本目は「ユナイテッド93」へ。現実にそれが起きた瞬間をニュースで目の当たりにしてしまった我々は、余程のバカじゃない限り、ある種の刺激には不感症になってしまった。その原因となった事件を映画化するのには、厳しすぎる現実を虚構の世界で再構築して、それを客観的に見直そうという、人類の無意識が呼んだ、人間の心に対する自己修復機能の発現なのかも知れない。なのにこのリアリズム。徹底されている。事実にはかなり忠実なようだが、まるで体験してきたかのような嘘、即ちハッタリ。この効きの強さが、本作を娯楽作品としても成立させている理由だろう。傷の痛みを他人事にしてしまうということは、自分がかつて感じた痛みを笑ってしまうことだってできるんだ。可能性としてはそうだが、娯楽にも、全てを忘れて見入ってしまうものと、そうどないものがある。その点において、このリアリズムはあんまり成功してねぇな。眠くなっちまった。明解なコンセプトの「セプテンバー11」とは対極だ。死霊のはらわた2 (初回限定生産) [DVD]ドッグ・ソルジャー デラックス版 [DVD]Stonedセプテンバー11 [DVD]