本の逆襲。

積もりに積もった本についての雑感を。

「白き旅立ち」渡辺淳一
 吉原、女郎。疲弊しきって、明治には偏見も多かったであろう、その身を腑分け(献体)へ。しかもその志願解剖第一号。このような人が創作の部分も含めても実在したとはにわかに信じがたい。当時としては死病にさいなまれ、その意を決意した過程は分かりやすく、共感も生む。しかし、青年医師に惚れたくだりは説得力を持たない。そしてその想いを遂げてしまうのも。それは想いを遂げられなかったであろうモデルの人物に対する作者の優しさなのかも知れないが、冷徹な視点で描ききって欲しかった。それでこそ、献体の尊さと、このモデルの人物の崇高さが際だつ気がするんだよな。本当に偉大だ。俺はそんな勇気はあるか?そこに思いを巡らす。俺も墓参りに行きたいほどの敬意を感じるが、それは俺が生きることを考えていないからなのかも知れない。

「地下街の人びと」ジャック・ケルアック
 思考の流れをそのまま記録する。筆写する。整合性や頭の中の構築を極力排除して、文章をクソのように垂れ流す。切れ目なしに。その試みにおいてのケルアックの収穫。それが人間が能動的にやるものである以上、完全にそれを筆記することは出来ない。脳波を言語化して、それをコンピュータに記録させる意外は。でも人間が出きることの可能性の一つとして、誰もやっていないからこそ成立しうる芸術の一つとして、ケルアックには必要だったし、ヒューバート・セルビー・ジュニアなんかも、同じ地平を目指していたに違いない。彼の文体がそう言われたように、ケルアックのものもまた、テープレコーダー・リアリズム。そしてそれは何よりも、ゾッとするほど美しい、コーヒー色の肌をした彼女のために。

「キャット・チェイサー」エルモア・レナード
 いつものレナード節、炸裂。俺はこの原作を読む前に、昔木曜洋画劇場でやっていた、ピーターウェラーの映画化作品をまずいことに観てしまっていたので、この内容とのギャップは嬉しい驚きだった。話の筋は一緒なのに、映画はベタなセクシーサスペンス、といった趣だったが、原作はこの軽妙さ。特に主人公と彼を騙そうとする詐欺師とのやりとりが、緊張感を維持して軽いやりとりに終始しているのには参った。神経質そうなピーター・ウェラーのイメージが完全払拭された。この登場人物がやっているのは、本来世間的には“不倫”と呼ばれる罪深いもののはずなのに、その後ろめたさまでもが正当化されているような読み口だ。そして、主人公の過去に決着が付くくだりは、死んで当然の奴が、主人公のさりげない尽力で死に、この上なくハートウォーミングだ。

「美しい足に踏まれて」ジェフ・ニコルスン
 分かりやすい変態の物語。しかもクソみたいな殺人劇もまぶしてある。足への偏愛についてのウンチクは充実。ただ、主人公が最後にそれを克服して愛を手に入れてしまうのはどうか。最後まで悔い改めない変態(キチガイではない)の物語は爽快だ。変態であることに罪悪感は必要なく、開き直って生きていくしかないその暗黒が見たかった。変態に反省は不要。悪人に反省は不要な物語を多く輩出している欧米においてもなお、変態は変態でしかいないのかと情けなく思うライトな読み物。ただ、足は歩くためだけに必要なものだよ。他に用途はない。

ロード・キルジャック・ケッチャム
 殺人を夢想しているキチガイが、殺人を偶然見てしまったら、その暴力衝動にはどのように火がつくか。その極めて簡潔なシミュレーション。まるで自分が人を殺しているかのような不快なリアリズム。安堵の息をつくことが出来ない日々を巧妙に描き出す執拗さ。その点においてはあり得るかも知れない話。ただ、キチガイの異常性においてリアリティは感じられず、後半爆発的に提示される大量殺人の唐突さが、変に日常的で驚かない。それはあまりにあり得るからだ。だけにとってつけたような結末は不要。殺人者は殺人者。動機の違いなど意味はないのだ。所詮は暴力ってことよ。

「拳銃猿」ヴィクター・ギシュラー
 この本が言うべき事はただ一つ。裏切りに対し主人公が復讐をする物語だからだ。思ったほどの爽快感はないにしても、抜粋するとこれに尽きる。「ある男をボスと決めたら、一生ついていく。でなけりゃ、ケダモノに成りさがるだけだ」ってことだよ。分かるか?裏切る奴は、裏切る時点でもう人間じゃないってことだ。人間が人間を裁くのは不可能だが、裁く対象が人間じゃないなら、人間が裁くのは可能って事だ。人間じゃない対象に人間が何をしようが許されるんだ。だってそいつは自ら人間であることを放棄したんだからな。自由意志の産物。そいつ自身でその汚い生を選んだんだ。だからそれが悪でも、悪に対して行うことは一つだけだぜ。命で償わせる。この主人公は、その点において実に正しい。それは「葉隠」にも通じるぜ。故に男は信用できる。信用できねぇ男は、ただのカマ野郎だ。どうせクソみたいな今には通用しない。でも真実。今は真実を踏襲しない世の中。だから、この主人公もアウトローなんだが。渡辺淳一全集 (第2巻)地下街の人びと (新潮文庫)キャット・チェイサー (扶桑社ミステリー)キャット・チェイサー [DVD]美しい足に踏まれて (扶桑社ミステリー)ロード・キル (扶桑社ミステリー)拳銃猿 (ハヤカワ・ミステリ文庫)