チンポもマンコも反省なんかしねぇ。

 “腐れチンポの代議士”が、“腐れオメコのたけしの愛人”とヤッただのヤラねぇだの、そんなの今に始まった事じゃないだろう?
 綺麗事言っている奴ほど、こうした法律で縛られていない部分は何やってもいいと思っていやがる。世の中を綺麗事でしか捉えられないヤツが、劣情でしか機能しないチンポやマンコを制御できるわけがないだろう?罪の意識はおろか、いいことだと思ってるんだから。だから反省の弁なんか言っても信用するな。人前で恥知らずに綺麗事を吐けるこういう人種に、反省なんかありゃしないのだ。反省しているのなら、去勢して、断種して出直してこい。その劣情で成した子の因果も断ってやれ。
 それが人の信用を回復すると言うことだ。とはいえ、綺麗事を支持する大半のバカもこうしたことには寛容だ。なぜなら、そいつらにも後ろ暗いところが多かれ少なかれあるからだ。こいつら、人前で偉そうなこと言う前に、切り取ったところをちゃんと見せてからなじゃないと、そういう事する資格のあるヤツとは見なさない方がいい。
 要するに、正常に機能するチンポやマンコを持っている人間は、単なるケダモノだって事だ。動物ですらない。必要のない殺しとセックスに埋め尽くされた存在でしかない。信用なんかできるか?
 そんなヤツが真に理性的な存在になることも、真に理性的な仕事をすることも出来るわけがないんだよ。こいつらはチンポマンコに支配されているから、普段は押さえつけているけど、何か弾みがつきゃあ、チンポやマンコの命令で、どんなに酷い裏切りだって平気で出来る奴らなのさ。
 理性的、である事はそうした価値観から一切を解放する、もう一段上の自由を獲得するための足掛かりだ。チンポマンコの独裁から、人間の主体性を取り戻せ。
 その時、多分、愛からも、孤独からも、人間は自由になる。一時の感情に流されない、先の先を読んだ判断が出来るようになるのも、人間がこの段階に達してからだろう。