孤独に深化する作業の内実。

 先日は東急Bunkamuraザ・ミュ−ジアムにて、「スーパーエッシャー展/ある特異な版画家の軌跡」へ。かつて8年ほど前に新宿でやっていた「エッシャー展」にも俺は行ったが、その時よりも、「スーパー」と冠しているだけあって、作品点数が多い気がしたし、初期の作品も充実していたと思う。世界を数字で解明し、また数字で改変しようと言うその世界観は、俺には備わっていない資質の為に、その唯物論的な姿勢は、行き過ぎて神秘主義的にすら見えるが、いつ観ても魅力的だ。
 それとは別に、俺は時々思いだしたように、ヒマ人に供されるゲーム機が、単なるメーカー側の思惑に完全に振り回されているだけだと思ってより、暴力ゲームでない限りは触れないようにしているが、今回音声解説用に、Nintendo DSが無料レンタルされて初めて触った。縦に持ち替え、右に出る作品のサムネイルをペンでタッチしたり、スクロールすることで、左の画面に拡大表示されるって寸法だ。でも別にその解像度が高いわけでもなく、実物の方が、「木版画なのに精密(で細密)」という超絶的な技巧が満喫できるわけで、当然実物がいいに決まっているし、要はそのことをアピールするための一種のハッタリなのだ。
 それでも、分からないこと、知りたいことを自分で調べようともしない横着者の為に、そんな奴が適当に世渡りしていく手助けに、下らんソフトを出すよりは面白い使い方だとは思ったな。モノは使い方次第、と言っては唯心論的か。
 かといって、操作しやすいとも思わなかったし、別に暴力ゲームが充実しているわけではないので全然欲しいと思わないが、おみやげコーナーにあった、ボッシュの作品キャラのフィギュアは超欲しかった。でもな、高いんだよ。せめて、普通のフィギュア並の価格設定にしなさい。それと、同様にエッシャー作品のキャラをガチャガチャにするのは大変好感が持てる企画だが、品切れは勘弁してくれ。一回も出来なかったガチャガチャがあったぞ。その為にまた行かないと。


 一観客として、「テキサス・チェーンソー・ビギニング」へ。コケ脅し感が濃厚だった前作「テキサス・チェーンソー」に対し、果たしてリメイクの意義があったのか疑問に感じていた俺は、今回のストーリー的にも破綻を来たさずに、且つ残酷描写大幅増量という姿勢を全面的に支持する。だから今回の方が、凶暴なチェーンソーの“音”だけ怖かった(不快だった)「悪魔のいけにえ」より全然進歩しており、リメイクの意義が深い。
 しかし、小規模な悪、暴力、死を描いている域は脱していないのは残念だ。アメリカが社会、文化ともに最も狂っていた60年代後半を舞台にしていながら、時代の空気を伝えようという誠意も、ベトナム戦争、ヘルズ・エンジェルス程度で、付け焼き刃感が拭えないのだ。
 やはりより大きな悪、暴力、死、即ち人間の愚かさに圧倒されるなら、戦争映画などのフォーマットに頼るしかないのかも知れない。そう言うと、俺が大作主義の様に見えるかも知れないが、俺は別に軍事マニアではなく、人間の悪の研究をしているだけなので、その部分だけ徹底してりゃ、細かい事はどうでもいいや。だから、大事なのは予算のようでいて、それだけではないということも、確実に言える。


 ワーナー・ブラザーズさんにご招待頂き、「硫黄島からの手紙」試写へ。「父親たちの星条旗」が、星条旗を掲揚する写真の被写体となった兵士たちの、パーソナルな話だったのに対し、こちらは硫黄島の戦闘に参加した日本兵全員がモデルとも言えるキャラクターを多数創出し、より括りの大きい集団劇となっている。
 しかし、それにしても見ろよ、この巨大な悪を。戦争は人間を構成する要素として不可欠のものでありながら、やはり戦争は悪であるとの思いは新たになる。それは同時に、人間そのものが悪であることへの確信でもあり、俺がまたひとつ絶望を深めるのに力を貸してくれた、素晴らしい作品であった。
 「大きな悪、暴力、死、即ち人間の愚かさに圧倒されるなら、戦争映画などのフォーマットに頼るしかないのかも知れない。」と言った矢先にこれだ。嬉しい衝撃だよ。
 そして、「なぜこれを日本映画がやらない?」と思ったのと同時に、時系列的にも、シーン的にも、「父親たちの〜」と対応しており、相互に補完し合う映画でもあるので、「日本映画でやらないでいてくれて良かった」とも思ったのだった。だって日本映画でやりゃあ、絶対このネタはお涙頂戴になるからな。
 残酷描写は「父親たちの〜」より抑えめながら、イーストウッドが今回もお涙頂戴に逃げずに描いたのは、投降して来た丸腰の敵兵を殺し、赤十字をつけた衛生兵を狙い撃ちにする、正しい戦場の姿だ。事実、硫黄島に赴いた人たちがこの二本を観ても、決して映画として作品を称賛しないだろう。それはこの一連の作品が映画として優れていない、というのではなく、当事者が思い出したくない部分も見せてしまっているからに他ならない。
 共同制作を努めたスピルバーグが嘗て手掛けた、「プライベート・ライアン」や「バンド・オブ・ブラザーズ」にも同じことが言えるかも知れないが、イーストウッドの視点はよりドライで淡々としている。それだけによりリアルってことだ。
 さらに、数奇な運命に翻弄された、「父親たちの〜」の米兵たちに対し、こちらでは戦争という大きな悪の渦に飲み込まれながらも、出来得る限り足掻こうとする、“主体的な”兵士の姿が描かれているのは特筆すべき点だろう。やはり、日本映画が未だに描けない、また描こうとしない歴史の姿を、“先に映画化されてしまった”というよりは、業を煮やして“映画化してくれた”側面もあるかも知れない。日本人としては情けないが、イーストウッドには感謝だ。テキサス・チェーンソー コレクターズ・エディション [DVD]悪魔のいけにえ ドキュメンタリーパック「ファミリー・ポートレイト」&「ショッキング・トゥルース」 [DVD]悪魔のいけにえ2 [DVD]悪魔のいけにえ3 ~レザーフェイス逆襲 [VHS]悪魔のいけにえ?レジェンド・オブ・レザーフェイス? [VHS]プライベート・ライアン アドバンスト・コレクターズ・エディション [DVD]バンド・オブ・ブラザース Vol.1 [DVD]