また本だ。

 読んだはいいが、書いていないネタが残っているから、一応書いておこうか。

 ジョナサン・スウィフト著「ガリヴァ旅行記」読了。ジム・トンプスンが私淑している理由を探りたかった。だがそれは、読めば一目瞭然だった。メルヘンなどではない。ファンタジーなどではない。人類とは違う価値観の世界から、人類の駄目さ加減を焙り出した物語だった。人類が人類であるが為に愚かであり、良くなる唯一の方法は、人類が滅ぶことのみである。スウィフトは暗にこう言っている。そのやり方はカリカチュアライズされ過ぎているので、ノワールではないし、当たり前だが当時はそのような概念もないので、この本が意図しているものは当然そうである筈はないが、奇想と反骨で紡がれた絶望の文学、という点では着地点を同じくしているように思う。トンプスンはその意を汲んで、その絶望をノワールという形で濃縮還元した。“上九一色村ガリバー王国”をよりによってあの場所に建設しようとした奴は、果たしてこのスウィフトの原典を読んでいたのか。読んでいながらあの場所を選んだというのは相当な皮肉だと思うな。話を戻すと、いくら話が架空だからといって怒りの矛先にブレはなく、あくまでも的確だ。そして、その絶望を抱えたまま、人間として生きていくしかないという大きな矛盾は、彼の晩年に狂気という実りをもたらした。そこまでの結論に至りながら、人類の一部のままという事実は、狂気の中でなけれは消化できない、重すぎる矛盾だ。だから、彼には狂気が一つの救いだったに違いない。それはもちろん、ガリヴァ(ガリバー)にとっても。俺にはいつ、来るのだろうか。


 炎のヨーコ著「21世紀の『性器考』」読了。本来ならば学術的に見落とされがちな、世界中の文化の端々に潜む、チンコマンコの意匠。こうしたものを主に日本に限って突き止めていくというのが趣旨らしいが、読みやすさを狙ってなのか不明だが、乱暴な口語体、だけならいいが、全く意味を成していないダイアローグ形式なのが非常に読みづらい。照れ隠しなのか?何にしてもこういった本は過去にも、なだいなだ著「くるいきちがい考」などで触れているが本当に頭に入って来にくいぜ、演劇的な効果でも狙っているのか?俺は舞台演劇には全く意義を感じないので、単に衒学的に見えるだけだ、うっとうしい。志は高いのだから、もっとチンコマンコのことをそうした演出抜きで追究して欲しかった。軽い紹介に留まっているが、日本の陰陽石(要するにチンコマンコを象った石のことだ)をもっと実証的に紹介して欲しかったね。俺はO氏との“東京闇観光”で時たまやっているが、より詳細に分かる書物があれば、ガイドブックとして利用したいんだから。チンコ石、つーかチンコは毎日触っているからいいとして、マンコ石の詳細ガイドがあれば、どこでも観察して触りに行くつもりだ。チンコマンコそのものになれば、もっと人間はシンプルになるはずで、頭があるから裏切りが生じるし、それを進めれば、人間と自然を隔てて定義する必要もだんだん、なくなっていくはずだから。そして“汚い人間”はいなくなる、という寸法だ。でもこの本がなければ、不忍池にあったチンコ道祖神、“髭地蔵”には気付かなかったので素直に感謝したい、ってこれもチンコだけど。ガリヴァ旅行記 (新潮文庫)21世紀の「性器考」 (河出i文庫)くるいきちがい考 (ちくま文庫)