“勝ち負け”ではない考察を深める為の吸収+α。

 テレビを見て騙されるバカが怒るのは筋違いだ。メディアにコントロールされて、受け取る情報を疑いもしない自分を恥じろ。そんなものを信じている時点で主体的に生きる人間であることは放棄しているんだ。そんな奴には実は怒る権利も放棄していて、そんなもの既に持ち合わせてはいないんだよ。毒を「体にいい」と信じ込まされて、みんな死んでしまえば疑うことを少しは覚えるだろう。こういうメディア自体が、集団心理を利用して必要以上に不安を煽り、商品を売りつける、武器屋と何ら変わらない、“死の商人”である事にいい加減気付けよ、とは言っても、こういうのにコントロールされる奴は、能動的にインターネットなんかしないんだろうからどうにもならないが。賃金の格差なんかよりも深刻な、情報の、知識の格差の方は確実に進行している。


 女は産む機械、そういう奴がいても良いと思う。例えそれが大臣であっても。俺自身はその考えに賛同できないが、これは例え話で言っていたことなので、それもやむを得ないだろう。そもそも人間を数字として管理しようとするのが為政者のやり方なんだ。工場の効率と同じなんだよ。言った奴も、単に揚げ足取りに終始している非難する側も、本当はそれを女性蔑視だなんて思っていないのは明白で、仮にこのオッサンが“男は働く機械”って言っていたとしても、同じようにバカが非難し始めるとは思えない。世間は“男は働く機械”で、人間性などその前には否定されて当たり前なんだ、という世の中は確実にできているのだから。むしろそうした不動の男性蔑視が下地にあるこの世界で、女が言葉の上だけでそう例えられても、世間全体からそう見られていることにはならないし、大半の男はそんな風には思っていないよ。でも女は男のことを、ただの金ヅルにしかしていないのは知っているけど。


 と、ひとしきり事実を言ってみたところで、本題に。


 先日は、20世紀フォックスさんに御招待頂き、「ロッキー・ザ・ファイナル」試写へ。人生を30年以上生きている全ての人間に必見の作品。俺も正直、制作発表の時点でスタローン、大丈夫か?と思った一人だ。でも、よくよく考えりゃ、大丈夫なんだよ。ロッキーはスタローンそのものなんだから。スタローンが生きていれば、極端な話ボクシングしなくてもロッキーは成立するのだ。シワシワボディのシュワルツェネッガーが脱げ無くなった今、(異様に血管が浮いてはいても)マッチョ全開で押し切るのだけでも感動的だ。だから、現在のロッキーの生活を丹念に追っていくのは、「〜3」のクラバー・ラング(ミスター・T)や「〜4」のイワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)に出演を断られたからだったとしても、結果として大正解。余談だが、ドラゴはエイズで病床にあるという設定だったらしい。ミスター・Tは健康上の問題(大病を立て続けに患った)としても、そりゃ断るわな。現在のロッキーに等身大の戦場を用意した点でも、無理なく入り込めるし、それが「ロッキー」本来のテーマである、“勝ち負けの問題ではない(自分との)戦い”に見事結実し、原点回帰を果たしていることも感動的だ。観ながらそう考えていて去年の「クライング・フィスト」などのような現代の映画にも、連綿とそのテーマが受け継がれ、影響を与えていることが、やはりストレートにこのシリーズの偉大さなんだと痛感する。そして30年前に始まったこの物語と共に人生を歩んできた全ての人は、物語だけでなく、自分のここに至るまでの旅とダブらせて、より深い感動を味わうことになるだろう。エンドロールと共に、各々が自分の足場を確認するために必要な作品だ。一見さんお断りだって構わない、ロッキー程ではないにしても、同じ時代を共にそこそこ戦って生きてきた自分を誉めてあげようや。さて、問題は「ランボー4」だ。


 立て続けに、20世紀フォックスさんに御招待頂き、「ナイト・ミュージアム」試写へ。ベン・スティラーの新作は、完全な子供向けだった。しかしウェルメイドでファミリー映画ではあっても、ひたすらスケールが大げさで騒々しい。下品ではないにしても、クレイジーでカオティックであるが故に、破壊力だけは保障してくれたので救われた。夜警として博物館に勤務することになったダメ親父が経験するのは、展示物全てが生命を持つ夢のような世界だった。夢と言っても、それは悪夢のような狂騒も同居しており、「ジュマンジ」ミーツ「ホーム・アローン」といった趣き。もちろん博物館には「ジュマンジ」みたいに動物だけがある訳じゃない(蝋人形、銅像、木像、石像、化石、ミニチュア、剥製、ミイラ等全てが動き出す!)ので、それらを表現するための視覚効果の使い分けも複雑を極め、それが見事に視覚化されているもんだから、さらに狂った世界を表現しているのだ。ネタバレのつもりはないが、「ホーム・アローン」と書いたのは、物語中起きるちょっとしたトラブルに共通するものがあり、それがセオドア・ルーズベルト大統領(の蝋人形)を演じているロビン・ウィリアムズの起用に繋がったのではないか、という気がした。「ホーム・アローン」にこのオッサンは出ていないが、同じクリス・コロンバス監督の「ミセス・ダウト」は主演だし、先に述べた「ジュマンジ」にだって出ている。そこに本作の監督のそこはかとないリスペクトが感じられ微笑ましい。しかし、セオドア・ルーズベルトロビン・ウィリアムズってことは、「パール・ハーバー」のフランクリン・ルーズベルト大統領(を演じていたジョン・ヴォイト)と従兄弟って言うことだ。クドい二人だぜ。そうそう、この大騒動を中和する意味合いからか、女優陣は皆ファミリー映画にそぐわぬ美しさであることもポイント。ベン・スティラー主演だけあって、カウボーイ姿が異様に似合う“あの男”も、当然、ノンクレジットで友情出演しているのも、イヤでも目について笑えた。


 エルモア・レナード著、「キルショット」読了。ふとしたことで犯罪者に目を付けられた一般人の夫婦の孤軍奮闘、という物語。しかも舞台は田舎だから珍しい。それだけに登場人物もそれほど多くなく、善人対悪人等という極めて西部劇的な図式がここでも浮かび上がってくる。これは実はタランティーノが「ラム・パンチ(映画化名『ジャッキー・ブラウン』)」と同時に映画化権を取得した四作品の内の一作で、本作に関してはタランティーノのプロデュースで既に作品は完成済み。監督はジョン・マッデンなんで、今年日本でもやることになるだろう。最も魅力的なのはやはりレナード作品なだけあって悪人。犯罪者コンビの主導権を握る、ネイティヴ・アメリカンとフレンチ・カナディアンの混血という複雑な設定の“ブラックバード”を、ミッキー・ロークがどのようにものにしているか楽しみだ。ちなみに、「ジャッカス」のジョニーが演じる事になった保安官は、本来は主人公をバックアップするはずなのに、完全なコメディリリーフの為、適役かも知れない。「ジャッキー・ブラウン」から随分時間が空いたが、この調子で残る「バンディッツ」と「フリーキー・ディーキー」も、とっとと映画化して欲しいもんだ。ロッキー〈特別編〉 [DVD]ロッキー3 [DVD]ロッキー4 [DVD]クライング・フィスト 泣拳 デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]ジュマンジ コレクターズ・エディション [DVD]ホーム・アローン [DVD]ミセス・ダウト(特別編) [DVD]パール・ハーバー 特別版 [DVD]キルショット
ラム・パンチ (角川文庫)ジャッキー・ブラウン [DVD]バンディッツフリーキー・ディーキージャッカス コレクターズ セット [DVD]