人間だけでも出来る怪獣映画の可能性。

 頭の中に名前が明滅する。理性で呼びたくはないが、頭の中で勝手に呼んでいる名前が。最近その頻度が高まっている、ような気がする。俺は俺自身をよからぬ狂気の衝動に委ねないために、余計な薬物を医者から処方させることで、どの程度まで自分自身から外に暴発しそうな危険性と、復讐の衝動、そして下らない愛への乾きを取り除けるか実験してきたつもりだ。それが功を奏しているのかいないのか、もう自覚できなくなっていることは間違いない。今の状態が自分にとっていいのか悪いのか、直感的な快感のようには判断がつかないのだ。恐らく、心のない人間には、射精程度の刺激しか、脳への具体的な感覚としてもう来ないものになってしまっているのだろう。それでも、名前は明滅する。呼んではいけない名前、呼びたくない名前。俺に出来るのは、こめかみを掌底で強打し、「うるせぇ!俺の頭から出ていけ!」と言うことだけ。順当には、ブッ壊れてきているわな。


 俺は27歳で初めてワキ毛が生え、30過ぎて漸くヒゲが濃くなって来た。つまり、今まで成長の痛みと苦しみは、俺の人生において、極力先延ばしにされ続けて来たのだ。でもその時々には死にたいほどの絶望が訪れていたが、今になって考えれば、後に控えていた絶望に対し、あまりにも軽いものであった為に、それなりに克服できてきた。それは、別に俺が未来に展望や期待を抱いていたからじゃない。断じてない。俺の望みはただ単に、この人類が堕落して滅びるか、これからどうなっていくのかを見届けたい、それだけで、その執着が単に死にたくなるほどの絶望に勝っていた、というだけに過ぎない。しかし、ここ今に至ってとうとうパイ毛に黒いものが混じり始め、いよいよ汚いオスになりつつあることに気付き、オスだのメスだのの汚い奴らの仲間入りで、その生理に、価値観に縛られつつあることに気付き、久々に死にたくなったぜ。


 20世紀フォックスさんにご招待いただき、「ラストキング・オブ・スコットランド」試写へ。70年代初頭、ウガンダの独裁者として君臨していた、アミン大統領と知り合ってしまったが故に、大きく運命を狂わされる青年医師の物語。予想通り、「食人大統領アミン」に果敢に挑戦したフォレスト・ウィテカーアカデミー賞主演男優賞を獲得した。「特攻サンダーボルト作戦」でアミンを演じたヤフェット・コットーは、「007/死ぬのは奴らだ」の敵でも似たような役を演じており、アミンは元ビジーフォーの“ウガンダ”の芸名の元ネタでもある。ウィテカーは、そんな風にカルチャーに絶大な影響を及ぼし、クーデターで失脚さえしなければ、梶原一騎の肝煎りで、猪木と対戦していたかも知れなかったアミンを、それに相応しいカリスマ性で熱演している。狂人でありながら、直に接触する人間には非常に魅力的に見えるというのが、独裁者の姿として非常にリアルだ。独裁者というのはそもそも、魅力的であって当たり前なのだから。このオッサンのせいで今に至るまでもアフリカで深刻な問題となっている、“少年兵士”というものが生まれてしまったにしても、だ。ファシスト野郎のくせに「美しい国」とか言って、本人が全然美しくない奴とは訳が違うのだ。そういう奴は、金で買った菓子屋の砂糖漬けオマンコを舐めている場合じゃなく、せいぜいアミンのチンポの垢でも煎じて飲んでおくべきである。とはいえ、それ以上にこの映画で感じたのは、特殊メイクや特撮はなくても、新たな怪獣映画を人間によって撮影することは可能なのだ(もしくは、人間こそが一番タチの悪い怪獣)、ということを実感させてくれた映画であるということ。自室で「ディープ・スロート」を側近たちと観賞している姿も、時代を感じさせる上に、単純に独裁者の凶暴性故のかわいさを激しく感じた。クソ女が「かわいい〜」なんて言ったらこのオッサンは即座に犯した後で、その女を確実にぶち殺す、そんな信頼感が堪らなくキュートだ。怪獣では「ゴジラ」、異星人では「エイリアン」、殺人鬼では最近もリメイクの噂がある「13日の金曜日」の“ジェイソン”程度で頭打ちになっている映画界には、独裁者モノというジャンルは、どんな小物であれ新たな殺戮モンスターの鉱脈かも知れない。007 死ぬのは奴らだ アルティメット・エディション [DVD]DVD>Deep throat (<DVD>)ゴジラ [DVD]エイリアン ディレクターズ・カット アルティメット・エディション [DVD]13日の金曜日 パート2 [DVD]