現実の暴力、そして肉体言語としての太古と現代の暴力。

 最近、現実より夢の方が楽しく、遙かに現実を超越した、俺の無意識が作り出す、強烈なイマジネーションの世界を飛び回っているので、現実の約束などに遅刻することが多く、事実すっぽかす事も多数ある。でも、そんなことをどうでも良いと思えるほどの、ここでは書き尽くせない強烈極まりない体験を毎夜しているので、それで現実が破綻しようと別に俺にはどうでも良いんだよ。ただ、誤解しないで欲しいのは、ここで俺が言っているのは、“眠りが楽しい”とか、“寝ている時が一番幸せ”とか言っているのではなく、夢を見ている(脳の無意識が活発に動いている)状態が楽しいのであって、疲れをとるとか、そういう意味においての眠りではないということだ。

 だもんで、予約を入れた歯医者などは、チンタラチンタラいつまで経っても治療が進まないので、一番最初にそうした切り捨ての対象になる。まぁ、時間の間引きだな。なので、休日などは何もしないのはそれはそれで癪だったりなどするから、投票日当日は仕事でも何でもないが、本当に“何も予定のない一日”を確保しておかないと、俺は本当に気が狂ってしまうので、投票日当日をその日にするために、投票したい奴なんかいないが、不在者投票をしてきたのだ。

 すると、通りかかった下北沢の交番で、ケツの穴がメガネをかけたような、間抜けなツラの馬鹿警官が俺に声を掛けて来やがった。いわゆる“職質”って奴だ。人権無視のしつこい身体検査はたまたまなかったが、それはこの不浄職の気まぐれに過ぎない。事実、俺は何も持っているわけが無く、この馬鹿の暇つぶしの材料としては見事に不適格であったが、ざまぁ見ろと言いたい。そして、言いたい放題言うのも、その辺にとどめておくしかない。

 だってよ、これ以上言うと、ヒマだったらどんな強引な理由を付けてでも、俺をショッ引きにかかる危険性すら、この不浄職どもにはあるからだ。事実警察はどんな暴虐だって働けるんだし、そうした、“官憲の横暴”とされる事以外に、彼らの権力を行使(社会正義に貢献)している姿を、俺は目の当たりにしたことがない。たったの一度も。これってただの確率の問題じゃないと思うぞ。「ジャッジ・ドレッド」なんかよりよっぽど酷いぜ。ちなみに、“暴力団”とされるヤクザの方々の単なる暴虐すらも見たことがないので、本当に暴虐なのはどっちだ?とさえ思ってしまう。

 俺、実は30過ぎて初めてこうした警察の暴虐を受けるまで、法律を学んだ人間として、愚かにも法律はあると思っていたんだ。でもそんなものはファンタジーに過ぎないということを初めて知ったし、学ぶべき法なんてものが、実は全て建前で、実は存在しているのではなく、存在しているように見せかけられているだけであることを思い知らされたんだ。

 そして、それは真理で、真理であるからには、善悪を抜きにして、これからもそれは糺されることはないだろう。法律とは、条文ではなく、極めて曖昧で、気分次第でコロコロ変わる、奴ら警察のことなんだ。だから、気に入らない奴はいくらでも逮捕できるし、場合によっては死刑にすら出来るんだよ。だからコイツらは昔から不浄職と呼ばれ、ある種の差別を受けてきた。俺は、思想として武士道を信奉する者だが、位としての武士があるなら、この警官は無礼討ちになっても文句は言えないくらいの、無礼極まりない狼藉であるし、「無礼者!」なんてアナクロ極まりない罵り言葉以外に思い浮かばないほど、現代において、対人間で礼を欠いているシチュエーションはないだろう。

 それを平然とやる、コイツらの馬鹿さ加減は本当に救いようがない。単なる暇つぶしで、弱い者いじめそのものだ。社会正義を体現していると(表向き)言われているオマワリの、そんな姿を見て、子供が歪まない訳ねぇだろうが。

 実際、頭のいい奴はオマワリになどならないのは当たり前だし、馬鹿がなる商売であるからこそ、警察の不祥事は後を絶たない訳だ。そして、誰も責任はとらない。これはマジな話で、世界で最悪レベルの治安とされている、イラクを除く戦時下ではない国々(例:コロンビア、ジャマイカ南アフリカ等)で、“一番簡単になれる職業”が警察官だっていうことだ。これには日本もご多分に漏れないんだよ。だからいつまで経っても日本には、FBIみたいに、頭のいい警察組織は出来ない。頭のいい側は、いつだって悪者の方に頭脳流出するのさ。この国では。



 先日はワーナー・ブラザーズさんのご招待で「300(スリーハンドレッド)」試写へ。「シン・シティ」の完成度に気をよくした原作者、フランク・ミラー先生が次作の映画化を完全解禁。その第二弾が本作。と言っても監督はロドリゲスじゃないし、ミラー自身が共同監督でもない。リメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」のザック・スナイダーがピンで監督を務める本作で、ようやくスナイダーの真価が確認できたんじゃないだろうか。前作も俺は相当に原点のロメロ「ゾンビ」好きからは反感を買いそうな実験を平然とやったことが、結果的には大正解の傑作だと思ったが、結局そんなことでゴチャゴチャ言うのはホラーの狭い世界のこと。でもホラーファンみたいな奴が結果的にはいたのだ・・・。

 今回はミラー原作のマンガといえど、題材は歴史モノだ。しかも史実に忠実に、紀元前のスパルタとペルシャの「テルモピュライの戦い」を舞台にしている。所詮は野蛮人同士のシマの奪い合いだ、いいも悪いもねぇ。でもどっちかっつーとフリーダムの為に退かないのは、スパルタは正義っぽく見えるし、ナチが提唱していたような、“優生思想”を既に実践していたところがかなり狂ってはいるが、俺は不要な生命を淘汰するのは、別に悪いことだと思っていないのでそれは良い。猫も杓子も“自分が気持ちいいから”ってだけの生中出しオマンコして、劣等種ばかり子をなしている今よりは全然いいだろ。それによ、いざとなりゃ俺も淘汰される側だしな。

 でもさ、攻めてくる悪者をペルシャにしてるからってあれに目くじら立てるかつてのペルシャ=イランも小せぇよ。イラン革命とか、侍のようなホメイニ師とか、宗教で国家転覆したりして、かつてのイランには厳格でストイックなカッコいいイメージがあったんだけど。暗殺を肯定する訳じゃないが、ラシュディの件に留まらず、“武士に二言はない”とばかりに滅多なことではそうしたことはしないが、やるからには絶対やる。それが男というものぞ!刑一郎!と、「ケイの凄春」の師匠が俺に一瞬乗り移ってきてしまったが、とにかくそういうことだ。

 それにこれはまだイスラム教が出来る前の話だし、伝播だって全くしてない時(ゾロアスター教だったはずだ)の話なのにな。つまらんこと言うなよ。それに、イスラム教誕生後も、ペルシャイスラム教に完全に染まるには実は結構時間かかってるのに、ペルシャの王がゲイとして描かれてんのが許せんとよ。ゲイだとか何だとかどうでも良いよ。当時の王・クセルクセスは、人類最古のサイボーグとも言うべき神々しさだし、むしろ、古代の軍隊があんなにメタリックでカッコよく、フリークス満載に描写されている事を喜ぶべきなのによ、言い掛かりもいいとこだ。

 しかし調べりゃ調べるほどテルモピュライの戦いってのはスゲェな。如何に無謀な戦だったかがよく解る。その無慈悲な殺し合いの中で、スパルタの「絶対に退却しない、絶対に降伏しない」という戦いがどういう結果を生むか、日本では言葉のイメージから悪名ばかりが高いギリシャ都市国家、スパルタと、彼らの“戦いに生き、戦いに死す”生き様を描いて、スナイダーは前作では見せなかったヴィジュアリスト振りを発揮している。封印されている戸塚ヨットスクール
の実録映画、「スパルタの海」(主演・伊東四朗)よりスパルタを正しく捉えているのは間違いない。

 つーか、ミラーのビジュアルを忠実に実写に置き換えて、単なる歴史モノでは終わらない格調とハッタリを漲らせることに成功していると言った方がいいか。いや〜、殆どロケをしないでCG合成というのがそれには大きく作用したな。メイキング観たときはどうなるのか心配だったが本当に良かった。元来ここでも力説してきたが、CGの嘘臭い血しぶきや血糊の使い方には、北野武の「座頭市」等を筆頭に、極めて否定的な立場をとってきた俺だが(「ディパーテッド」だってちょっと危うい使い方だ)、こういう見せ方なら大賛成だ!なぜなら、本来流出する液体であるはずの血を、不自然なCGで処理することで、液体の流動は停止し、故にそれが逆説的に原作となるミラーの“絵画”に近づいているのだ。だから当然、色彩にも相当気を遣っている。俺もその労を買って、劇場にももう一回行くぞ!内容も、暴力的になるって意味じゃ、どんなヤクザ映画よりもタチが悪いぜ(絶賛)。



 後は、別の日に、ワーナー・ブラザーズさんのご招待で、待望のフィンチャー新作、「ZODIAC/ゾディアック」へ。60年代後半、サンフランシスコをメインに活躍した、有名な未解決殺人事件の映画化。

 だからといって俺はここでそんなことを詳しく説明するつもりはない。事件が迷宮入りする経緯、なぜ迷宮入りしなければならなかったのか?などは本編で完全に描かれているので、ここで別に書く必要はないのだ。それに、俺は個人的にこの殺人鬼(といっても、目撃証言を元に作成された、数点の似顔絵しかないのだが)については、俺個人がもう結構調べてしまっているので、そういうことを今更蒸し返しても、俺の個人的な内省に陥ってしまう危険性もあるからで、ならばその周辺や、観賞に際してよぎった雑感などでこの場を埋めようと思った次第である。

 とはいっても結局内省に陥る危険性は充分にある。まぁ、いつもそうだといえばそうだが、今回は特にその傾向が強い。要するに、それだけ危険なネタの映画化なのだ。実際に犯人は自らの凶行の映画化を切望し、それは少し違った形で「ダーティーハリー」の犯人として結実している。これが今回ワーナーの制作になったことの一因かも知れない。「〜ハリー」のフッテージの権利はワーナーが有しているし、実録ものならそこは外せないだろうからな。でもそれはそれで、フィンチャーが“実話の映画化”並々ならぬ挑戦的な体制を採っていると言うことだ。

 だって、結果的に犯人は捕まっていないし、今も存命している可能性は否定できない。そんな人間の社会を出し抜いて、真の意味の“勝ち組(ここでは、人間ですらなくなった者のことをこう言いたい)”に入った経緯を描いているのがこの映画なのだ。分かり易い、ゼニカネでどうこうなった上手いことやっている人間の話じゃねぇんだよ。人間の中では、卑劣で狡猾なだけかも知れないが、犯罪で社会に勝つと言うことは、本来はフリッツ・ラングが夢想したような、「ドクトル・マブゼ」なんかに匹敵する虚構の世界の大風呂敷なんだ。実現しない方がいいと、人間の狭い感性では願うべきものなんだ。

 もちろん、文学的には「怪盗紳士ルパン」や、「怪人二十面相」がいるが、しかしそれを“殺し”だけで実際にやってのけた気違いがいる。それが素材として現在まで生き残っている理由だ。俺個人は当然コイツを美化する気はないし、事実チンケな異常者だと思う。

 でも、こいつを追って、そのせいで破滅しかけた男どもを描くことは、ゾディアックを逆照射することに繋がる。監督の意図なんか関係ない、つっても恐らくフィンチャーのことだ、そうしたセンセーショナルな部分に惹かれてこの題材に取り組んだんだろう。これほど反社会的な素材があると思うかよ?

 だから、映画そのものは迷宮入りの過程よりも、ポットの取っ手の穴をカメラが潜るとか、文字が宙に無理矢理CGで“浮いて”いる表現をやたら追求するとか(これは現在公開中の「ナイト・ミュージアム」でもタイトルバックに“引用”されている)とか、「ファイト・クラブ」で真に革命的な物語に止めを刺してしまったフィンチャーのやり場の無さが表れた、一種の“刻印”として俺は認識していたわけだが、そうした表現がどこでフィンチャー“らしさ”を主張しているのかに、前作「パニック・ルーム」以上に強く着目していた。

 それに、苦々しくも、こうしたビジュアルは、腐れ物質文明を批判する内容だったり、スタンスを取っていると見られているフィンチャー(本人は全然そう思っていないだろうが、「セブン」、「ファイト・クラブ」を撮ったせいで、そう目されてしまった)が、そのイメージにもかかわらず、腐れ消費社会の象徴、諸悪の根元としての、まして最も空っぽな日本の雑誌「non-no」のCFにパクられてしまった情けなさが記憶に新しいが、つまりは日本の“自称・クリエイター”の虚ろさにも訴えるインパクトを残していた事を証明している。

 フィンチャーが本気か冗談か判然としないながらも残した“刻印”は本物だったんだ。実際に、「ファイト・クラブ」の影響で、ピースマーク状に爆弾を設置し、爆発する愉快犯が出たことは、馬鹿がその“刻印”にダイレクトに反応するって意味で快挙だ(日本の高校生が影響されて、実際に「ファイト・クラブ」を結成して集団検挙に至ったことは、この際無かったことにしたい。こりゃ何でも痛すぎる・・・)。

 そうしたビジュアルは、三時間近い本編の尺に対しては控えめだった。実話ベースだけに、遊びを入れる余地がなかったとも考えられるが、そうして気を抜いていると突然文字が宙に浮かんだり、ビルが一瞬で建造されたりするんで気が抜けない。この緩急が、ともすれば退屈されがちな実話ものの緊張感を高めるのに一役買っているし、その作為は正解だろうと思われる。そしてその“映画的”な瞬間が観客に内省を迫るときこそ、この作品が真の恐ろしさを発揮するのだと思う。

 本当にしつこく書いているが、俺は立件されていない、精神異常者による脅迫の被害者である。多かれ少なかれ誰でも、愛を賭けていないだけで、そんな経験普通にあるのかも知れないが、だったらそれだけ、そうした経験が身に迫ってくるのだ。特に、脅迫者が姿を見せない場合には。これは人間を追いつめ、疲弊させるのに本当に効率の良い方法だと思う。そうだ、俺の頭の中にも、俺を脅かす、俺なりのゾディアックは存在する。俺の脳の中に腫瘍さえ作らせる勢いで、存在し続けていることを気付かせられる。
 
 劇中、犯人の発した暗号に取り憑かれた、新聞社お付きの風刺漫画家が、あまりに入れ込んで家庭を破綻させそうになる様が描かれる。(以下意訳)

 「そんなに入れ込んでどうするつもりなの?」と聞く妻(クロエ・セヴィニー)に、彼はこう答える。
 「こんな事をする奴を見つけだして、彼の顔を見たいんだ。そして、その瞳をのぞき込む。どんな色をしているかを、深く、深く。」と。

 要するに、これは、ゾディアックのことを描くだけでなく、誰しもを多少なりとも覆っている悪夢の正体と直面させようと言う、悪意溢れる挑戦的な企画だったんだ。フィンチャーだから許される、甘美な暴虐。肉食獣に貪られる草食獣の虚ろさ、というような感覚を是非味わって欲しい。俺がこんな映画に出会えたのも、初めて売るために作ったTシャツのデザインが、ゾディアックがAV女優のケツの穴に銃を突っ込んでいる、という絵柄だったり、ライターで最も精力を傾けた著作が、ゾディアックにモロに影響された“酒鬼薔薇聖斗”を、メインに描いた「犯罪地獄変」だったりすることに端を発するのかも知れねぇな。因果は巡るぜ。ジャッジ・ドレッド [DVD]300シン・シティ コンプリートBOX (完全初回限定版) [DVD]ドーン・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット [DVD]ゾンビ 米国劇場公開版 GEORGE A ROMERO’S DAWN OF THE DEAD ZOMBIE [DVD]ケイの凄春 第1巻(彷徨編) (キングシリーズ)スパルタの海―甦る子供たち座頭市 <北野武監督作品> [DVD]ディパーテッド (期間限定版) [DVD]ダーティハリー [DVD]フリッツ・ラング コレクション/クリティカル・エディション ドクトル・マブゼ [DVD]怪盗紳士    怪盗ルパン 文庫版第1巻怪人二十面相 (少年探偵)小説 ナイト ミュージアムパニック・ルーム [DVD]セブン プラチナム・エディション【初回限定生産】 [DVD]ファイト・クラブ 新生アルティメット・エディション [DVD]犯罪地獄変