愛の敗北についての映画的考察+α。

 ヴァージニアの32人殺し。俺はコロンバイン高校だけじゃなく、こういう戦争以外の大量殺人が起きるといつも思うんだが、こうした人間が一定周期をおいて出現することによって、被害者として殺される人間がいるのはもちろんだが、しばらくの間は、それをやりそうで踏み切れない人間がいるとしても、そうした同種の人間の愚行への抑止力として機能していることは間違いない。

 俺自身は完全にそうした人間とは自己分析してもはっきりはしないが、誤解を恐れずにいえば、ある種の溜飲が下がったのも事実で、この犯人の稚拙さに呆れたのもまた事実だ。そうした感覚を与えてくれた存在として、もちろん、「津山三十人殺し」も、この例に漏れないし、俺自身、今回のヴァージニアのケースも、それと同種のものとして受け止めているからだ。

 大量殺人は連続殺人(猟奇殺人)とは起点が違う。それだけに深みがなく、それだけに犯人の内面に見るべきところもないが、インパクトだけはある。思想の有無に拘わらず、それはテロのように。その空っぽさが現代らしいよな。

 アラン・ムーアが「フロム・ヘル」で、20世紀という“暴力の世紀”は、“切り裂きジャック”に代表される、猟奇殺人と共に始まった、とする見立てがもし正しいのならば、「2001年宇宙の旅」の地球編として「時計じかけのオレンジ」をキューブリックが撮ったように、21世紀は、9/11のテロと同時に始まった“超暴力の世紀”であるべきであり、それは、その“同族殺し”と“快楽のみのセックスの追求”という、動物と違って、本能をなくした“最も人間らしい部分”を見つめ直すことにより、全く違うものへの「進化」か、その“最も人間らしい部分”の追求によって起きる「絶滅」かが、試される最後のチャンスとなるべき世紀であると思う。もはや、核という究極の力は、誰にでも手に入るほど、情報は公開されているんだし。要するに文明はもう頭打ちなんだよ。あれ、気付いてない?

 だからよ、その試練に対する人類の答えは、それが安っぽいモラルの見直しでも、安っぽい教育の見直しでもないことは明白なんだが、気付いている奴は少ないみたいだ。もちろん考えなしに、家畜みたいに「あ〜気持ちいい〜」ってすぐ愛と錯覚して後ろからヤられちゃって、子供作っちゃったりなんかしてですね〜、子孫繁栄で「あ〜幸せ〜!」って、バカヤロ!ってことでもないのも間違いない。もうちょっとマジメに考えろや。


 今月の映画の日はかなりの良作に恵まれていると思い、意気込んでスケジュールを組んで行ったのだが、その顛末は・・・それは後述するとして、まずは一発目は、その監督のネームバリュー故に、過剰な期待を抱かずにはいられない作品だった。

 要するに一発目は、ヴァーホーヴェン最新作、「ブラックブック」だ。第二次大戦時における、ドイツ占領下のオランダにおける「ショーガール」。と、話にすれば一行で語れてしまう物語なので、当然目が行くのは、監督ならではと感じさせる、細部におけるその悪趣味と人間への絶望描写だ。ヴァーホーヴェン映画では、主人公だろうがなんだろうが完全に悪のダークサイドに元々堕ちており、今回も、一応復讐という目的はあるものの、そんなものがなくても人間はここまで卑俗な存在であるに違いない、とはっきり断言しているような、投げやりで繊細な残酷や暴力が持ち味だ。ゲルマン系になり済まし、レジスタンスの名目にナチ男をくわえ込むために、一生懸命マン毛を脱色する主人公の姿。勃起したチンポに見せかけてシーツの下に隠された銃口、「愛の嵐」や「地獄に堕ちた勇者ども」の様に、享楽的なナチもいれば、謹厳実直そのもののナチもいるという、公平に見れば至極当たり前の風景。そんな描写のトドメに、ヴァーホーヴェンは、解放後に行われた、対ナチ協力者狩りの一般人の残酷さ、卑俗さ、小市民の卑怯さをここぞとばかりに見せつける。汚れても、汚れても、意志のあるヒロインは汚れて見えないことの象徴のように美しい、カリス・ファン・ハウテンが、そう撮られてこなかったことの理由が後半明かされる。文字通り、ウンコまみれになって。「シンドラーのリスト」のようなモノクロで中途半端なウンコ描写ではなく。これがあっただけでも、オランダ映画史上最高のバジェットとはいえ、ハリウッドより大幅な予算縮小を強いられたヴァーホーヴェンが、「スターシップ・トゥルーパーズ」のような殺戮描写が描けない代わりに見せた意地と悪意とファンサービス、と素直に受けるべきだろう。実にウンコ描写は「危険な愛」以来なんだしな。


 今月は、愛の濃度に拘ったチョイスが出来て嬉しかったが、まだこの時点では後に控える失敗も知らずに、他は「絶対の愛」へ。次に観たのではないのでこういう書き方をしている。もっとじっくりまとめて語らなければいけないテーマがあるから。ところでこの作品、キム・キドクの新作という触れ込みで、設定的に気になってはいたのだ。ただ、この監督の作品、たまに寓意性ばかりが先走り汁と化してしまい、話が空回ったり、ストーリーの構成自体も寓意性を際立たせるあまりに、ドラマ性を排除し切ってしまっていることも多いのが残念でならない。その挑戦性や、素材選びには目を見張るのだが、上手く料理し切れていないことが多いと思う。俺としては「悪い男」や「コースト・ガード」は、オマージュを捧げている映画作家の影も見えたりしたので、そこそこ乗れたが、「サマリア」なんかは乗れなかった。単に少女が魅力的でなかったことも大きいが、それだけではない。取って付けたような復讐が居心地悪かったんだ。それでこの話。愛の永続性を信じられない、即ち、自身の愛に疑いを抱く事で、己を絶えず整形しなければ不安にさいなまれるという、愚か過ぎる女の話であった。男はそんなに愚かではないぞ。ま、愚かな奴も多数いるのが現実だが、それを監督の視点で言うなよ。しかもこの中で描かれる男は別に愚かじゃないし、女が気違いに見えるだけ。もっと、究極の愛の永続性に切り込む深い話かと思っていたが、単に相手が自分の容姿に飽きるのではないかという、チンカス(いや、マンカスか)みたいな矮小で卑俗な話。愚かでない人間なら、こんな不安は感じないし、むしろ愛するべき人間の前にいることを、己の幸せとして、全てを捧げるべきなんだ。と、心のすっかり尽き果ててしまった人間には、これは愛の寓話などではなく、限りなく陳腐な芝居にしか見えなかったのであった。こりゃ「絶対に愛ではない愛」だ。


 その日は結局あと一本は、トニー・スコットの「デジャヴ」にしようかとも思っていたんだけど、直前で驚いた。「素粒子」って、おいおい、あんな観念的なSFが映画化されていたんだ!こりゃ行かないと!ってことで急遽スケジュールに。原作にあったSF要素を極力排除し、人間の残酷さと、欠落した愛を、何かで補おうとする滑稽さと悲痛さが、ある兄弟を象徴して描かれる。このフォーマットに変更はなく、舞台がフランスからドイツに変わっても特に違和感はなかった。むしろ、性愛を拒絶する代わりに、学問にのめり込んだ弟がいたからこそ、人間はその滑稽で悲痛の域を脱して進化できたんだという、皮肉な結末。かつて人間のエモーションを(単に踏みにじるのではなく)、全く執着すべき価値のないものとして、完全否定して見せた快作「地球幼年期の終わり」の様な、遙かな高みから、愛の欠乏故に狂気にまで陥る人間の滑稽さを描いた物語であるが、俺も同じく狂気に踏み込みつつある人間として、他人事ではなかった作品だ。そんなエモーションを持ち合わせない人間こそ、この作品を正確に読みとることが出来るのかも知れないが、図らずも狂気に陥った主人公(兄)の、最終的に愛した存在、そしてその存在が失われてしまっているのにその現実が受け入れられず、広げた手のひらの上に、彼女の手の温もりを感じ続けようとするラストが、堪らなく哀しく、俺の右手があてもない緑道の散歩の時、なぜ緩やかに開かれて、何かを感じようとしているのか、その理由を認めざるを得ず、涙が止まらない。眼底の川は枯れたはずなのに。俺もまた進化した存在にとっては、猿に過ぎず、(愛の)死を理解できない愚かな存在なのかも知れない。死んで、ミイラ化した子供を抱き続けるチンパンジーのように。


 今月はそういう意味でいい組み合わせだったんで、この日を締めくくる衝撃作になっていたと予感していた「パフューム/ある人殺しの物語」へ、足取りも軽く向かったよ。でも、計算外の出来事が待ち受けていたんだ。もともとこの三本目と四本目の移動はかなり時間的にタイトだったんだけど、秘技「エンドロール飛ばし」と、休憩及び清掃時間、あとは予告編のやる時間を想定して敢えてタイトに組んでいたんだ。でも、それがなかったんだと。だからそれで断念せざるを得ず、俺のこの日はとどめを刺された。

 そういう経緯で後日、ようやく「パフューム」観たが・・・震えるな。何度涙したか。話は知ってたけど、そこに加わった映像の説得力が凄ぇ。美醜の極みをそれぞれ徹底的に魅せなきゃドラマなんか描けないよ。それを監督はよく分かってる。CGを駆使し描かれるその両極端は、息を呑むほど圧倒的なアップダウンをエモーショナルに魅せる。CGで表現されたウジ虫なんて、「血と骨」以来じゃんか?碧の瞳に、赤毛の少女“ローラ”への執着を、CG着色で、強引にあんなに美しく見せるなんて、「ラン・ローラ・ラン」の監督だから起用なんて、赤毛のヒロイン繋がりかよ?とかいうギャグの域を、あの美は超越している。それでいて、人殺しの話なのに、狂気を一切描かない。無垢とは言わん(むしろ臭うような垢まみれだ)が、実にイノセントに徹して表現してるんだよ。奇跡的に体臭を持たない人間故の探求心を。純粋や、孤高というのはまさにこう言うことだ。孤高の探求心が、一般人の卑俗を暴き出し、それがひいては一般人の盲信するモラル=神をねじ伏せる瞬間を、これほど具体的に見せた映画は珍しいぜ。皮を剥けば、人間は性と暴力しかないんだ。何で監督しなかったのかと思えるくらい、実にヴァーホーヴェン的じゃないか!それはそうと、松田優作に、いや優作さんが演じた「野獣死すべし」の伊達邦彦に、ニーチェより先にそれを実現した奴がいた!と、(フィクションでも)観せたいね。しかし大衆をねじ伏せても、神を魅了しても、その全ての動機は、愛の渇きだと察せられる、終盤の落涙が印象的だ。変態が神を超越した感動だけでは、あんなに涙は流れない。しかも舞台はパリなのに英語劇という、この奇妙な“ドイツ映画”は、プロデューサーが「素粒子」と同じだ!そこから導き出されるのは、現世における徹底した“愛の不在”である。疑いもせず、快楽そのものを愛と錯覚している、愛を“たまたま拾っただけ”の人間たち、そいつらの生活臭と生活のリズムで、真の愛の探求は妨げられ、場合によっては、快楽としてのセックスこそが、まやかしとしての真の愛の探求を表していると、単に錯覚されている世においては、つまり、人間の愚かさにおいては、今も昔も変わらんと言うことを、この二本は言いたげに思えてならない。

 あと、「パフューム」に限っていえば、裏テーマもある。それは花の咲き時、散り時、そのタイミングについてである。地に根を下ろして、そのまま朽ちていく花が美しいのか、最も美しい時に摘まれてその美を何らかの形で定着させることが美しいのか、または、散る前に人為的に散らされるのが美しいのか。どうだろうか、こればかりは俺にも判断がつかないが、散る寸前であるならば、散り時を見極めて、俺はその花を摘んでやりたい。
 散る頃合いを自ら忘れた花ほど醜いものはない。花というものが、発情そのものであるからこそ、それだけは断言できるんだ。
 なぜなら、俺は狂い咲いた花に、詩とも呼べない一編の言葉を贈ったからだ。
 そして、散り際を心得ない醜さを、とことんまで腐敗していくものを見る哀しみを、知った。

 自己憐憫でも何でもなく、単なるリアルの記録として、その稚拙な言葉も載せておこう。

 
 「愚かな花。
  愚かな花よ、
  その命の限りあるうちに、
  その美しさの限りあるうちに、
  おのが咲く時を読み誤るなかれ。」

 
 ↑だってよ。って、俺バカじゃねぇの?でも実話だけどな。
  

 そして別の日に、一観客として「かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート」へ。俺、正直こんな邦題書くにも気恥ずかしいダサさを感じるけど、どうせ「龍虎門」じゃ通じないんだからしょうがない。最近ハイレベルの暴力描写を立て続けに見たんで、ドニー・イェンがアクション指導を手がけたという、香港の最新型アクションはどんなもんかも、やはり確認したかったんだ。でも結局、下らない日本のタレントにコメントさせたり、下らない日本の歌手に日本版主題歌歌わせたり、下らない日本の漫画家が創作したキャラをチラシに登場させたりなんかしてる宣伝で分かるように、そうやって上げ底しねぇと人に見てもらえない作品だったんだよ。香港の漫画の映画化なら、原作が日本でもそれなりにすぐ読める状況じゃないと、その映画版をわざわざ日本公開する意味ないし、向こうでもアイドル的人気を得ている役者が、今回どこまで原作キャラに似せた役作りしてて、どの程度までアクションに入れ込んでるかっていう、トータルの本気度も分からないだろ?これをアイドル映画として受け取らせては、ドニーの苦労は報われないし、俳優たちの役作りやアクションの研鑽も徒労だ。とはいえ、アクションだけを評価したら、ショーン・ユーのヌンチャク・アクションを筆頭に素晴らしいものがあるので、ドニーの仕事としては悪くないと思う。ただ、とにかく「SPL」同様、話との噛み合いが良くないし、稚拙な往年の“マンガ”タッチで、ひたすら暴力的で残酷な物語が、ひばり書房の恐怖マンガばりの毒々しさで展開するという、過去の原作表紙を俺は目にしていた為、それを期待した者には物足りないことこの上ない。そして、原作がない以上、一般客には、比較対象もない、ただの“マンガみたいな話”で終わっちまうんだよ。それは「風雲」とかにも言えるけど、それを繰り返してもしょうがねぇだろ?津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇 (新潮文庫)フロム・ヘル [DVD]2001年宇宙の旅 [DVD]時計じかけのオレンジ [DVD]Black Bookショー・ガール プレミアム・エディション [DVD]愛の嵐 無修正ノーカット完全版地獄に堕ちた勇者ども [DVD]シンドラーのリスト スペシャルエディション [DVD]スターシップ・トゥルーパーズ [DVD]ルトガー・ハウアー 危険な愛 [DVD]悪い男 [DVD]コースト・ガード [DVD]サマリア [DVD]素粒子 (ちくま文庫)地球幼年期の終わり (創元推理文庫)香水―ある人殺しの物語映画「パフューム ある人殺しの物語」オリジナル・サウンドトラック血と骨 [DVD]ラン・ローラ・ラン [DVD]野獣死すべし [DVD]SPL 狼よ静かに死ね 特別版 [DVD]風雲~ストームライダーズ [DVD]