“生命の使い道”が学べる映画について。

 先日は、P2さんのご招待で「怪談」試写へ。数知れず映画化された、三遊亭円朝の「真景累ケ淵」、今回は、中田秀夫による再映画化。はっきり言って、怖さを楽しむ作品ではない。当然、物語を知っている人には、よりそのショック度は低いだろう。

 それでもこの映画化の意義が深いのは、切り取られた風景と、人間の深い情念のリアリティ、即ち、その美しさ一点に収斂していく題材が、最新技術を上手く応用して表現されているからである。リアリティ。これのみが最も要求されるジャンルは、時代劇に他ならず、その意味で本作は、怪談と言うよりは、高濃度の純粋時代劇なのだ。ここに到達できない逃げ道として、香港スタントを導入したり、あいのこを主役に持ってくる愚かさとは対極を為すものだ。

 だから、表面的なショックを期待してはいけない。それでも、CGで効果的に描かれた、深川界隈の情緒溢れる美には、知らずに心奪われている。理不尽な恐怖などというものは欠片もなく、あっても全て因果の故である。そして、とても理解しやすい執念故に、普遍的なラブストーリーとして、ある種の域に達している人間には、深い共感が得られるだろう。

 ハートが一つしかない人間が、たったひとつのハート(実弾)を発射した相手への執念で動き始める、このドラマの奇跡を、俺は支持したい。実弾を何発も用意した上で、卑怯な生き方をしている大半の人間には、死んでもたどり着けない、高純度の魂がここにはある。

 もちろん、それが、純粋さ故に狂気や執念の域に達していても、だ。そこまで行き着かずして、何の純粋だろう。魂の意義は、捧げ尽くす理由を見つけたときに分かる。かつて、何者かのために死んでもいいと、一度でも思った人間が試される物語だ。

 こうして現に俺も女の執念にとり殺されようとしている人間の一人として、まず浮かんだのは、性差別の根強い社会でよく使われる、“女の幸せ”という腐った言葉だ。それは、金持ちの男の寄生虫として、真綿にくるまれるように、産む機械に徹すること。もしくは、頃合いを見て乗り換えることを言う。その為に、マンコをひたすら洗って、いくらで売れるか努力せよという、この殆どの世界を覆っている暗愚な思想、及び教育があるわけだ。(参考:この生態は「インデペンデンス・デイ」のエイリアンと共通している。)

 では、もはや生物学的にはクローンが確立され、ますます金を生む機械、または働くだけの機械にさせられつつある男、その男にとっての幸せは何なのか、ということに行き着く。もちろん愚かなオスの生態を突き詰めれば、やりまくること、射精し続けること。と言えるだろう。だが先述したように、性にまつわる男の存在意義は、既に失われつつあるのだ。

 ここに、この作品がなぜ今再映画化されなければならなかったのかという、深い意義を感じる。この作品のテーマは、“女の執念”だけではない。裏テーマとして“男の幸せ”というものを内包し、追求している作品だと言うことを強く感じた。

 中田秀夫は今では「Jホラーの立役者」のような、間違った評価をされている監督だが、確かにそれでハリウッド進出もしているように、得意分野ではあるかも知れないが、それしか任されなくなっている不運な監督でもある。だが、彼の出自は、小沼勝の助監督であった過去を持つ、日活ロマンポルノの現場を知っている人間だ。しかも濃密な愛と、性と、死、そのギリギリの生を描くことで定評のある小沼勝の現場である。その薫陶を受けぬはずはない。
 だからこそ、ここで、中田秀夫は、「怪談」と、自らの得意分野にさも踏み込んでいるように見せながら、大きな野心をこの作品で実現したかったに違いないし、俺はその野望は果たされていると見る。まさに快挙だ。

 では、ここで描こうとした野心とは何か。それは生死を超越した執念としての愛、歪んではいても一途であるが故に、純愛と呼べる意志であり、そして何より、俺は“男の幸せ”を感じた。言うまでもなく、もう生物学的には否定されているオスだ。そのオスが金を持っていく以外に何が出来るか。
 それはたったひとつしかない命を、愛した女にくれてやり、一緒に死んでやることだろう。積極的に死ねと言っているんじゃない。その覚悟を持ち続け、いざという時には何のためらいもなく、笑って死ぬこと。この映画には、悪あがきをした男が、そこに気付くまでが描かれている。

 かつてポランスキーは、「赤い航路」撮影時に、「全ての愛は悲劇だ。別れるか、死に別れるしか結末が残されていないから。その最もロマンティックな唯一の解決法は、心中だけだろう。」(大意)と言っており、ここにはそこに至るまでのあがきと、なぜその結末が必然的なものなのかを説明する鍵があるように思われる。

 まして、この原作を遙かに遡っても、日本には浄瑠璃などに代表される、大衆に支えられた“心中の文化”がある。厭世的だとして当時は弾圧されたこの魂のありようの正しさが、事今日に至って真実味を帯びてきている様に思えて仕方ないのだ。時代劇を通して現実が見える、愛が見える。しかも、この逆説的なスタイルを、極めて美しく見せてくれるという点において、破格の作品だと言い切るのは、日々衰弱はしていても、この魂に取り憑いた女に、俺が何も殺され損なったからじゃない、と信じたい。その前に、生きていたら、今年も円朝祭には行こうと思うぜ。ザ・リング2 完全版 DTSスペシャル・エディション [DVD]サディスティック&マゾヒスティック [DVD]インデペンデンス・デイ 新生アルティメット・エディション [DVD]赤い航路 [DVD]