地獄巡りの本読み記録。

 確か最近頻発した銃犯罪か何かのニュースで、もう女ですらないクソババアが、インタビューに答え、「女性と子供が安心して過ごせる町にして欲しいですねぇ・・・」とか言っていたが、こうしたどうしようもない土人の言うことはテレビで流すべきではない。あえて腐れテレビは土人を代表としてチョイスしているのだ。この土人が発している裏メッセージは、「男などむざむざいくらでも殺されればいいが、自分の様にカネなしには生きていけない寄生虫は、せめて見過ごして欲しい。男は守られる必要はないが、自分にだけは守られる権利がある!」と、自分で自分の身を守る原則を無視して暴言を吐いているだけなんだよ。社会的にはテメエが一番価値を持たないくせに。でもそれを流すのは、テレビが未だに意志を持ったプロパガンダとしての役割を、自ら進んで果たそうとしているからだ。「大衆は豚のままでよい。」という、「男組」で、“影の総理”が言った台詞がその裏から聞こえてくるぜ。


 そんな土人には窺い知れない異常な現実から、現に生命を脅かされて来た、そして現在進行形で生命を脅かされている俺だが、夏が来ると、俺は何の為に生きているか、はっきりと、解る。空気も夏の匂い、紫陽花の予感、ガキの頃通った道をうっかり歩けば、何の不安もなかった時間の記憶が俺を殺そうとするけど。


 それでも、前進はするんだよ。この投影が前進と呼べるかは知らねぇが。


 マイケル・マーシャル・スミス著、「スペアーズ」読了。SFとノワールは上手く絡めると相性がいい。それは「アルファヴィル」とか、「ブレードランナー」も証明している。どっちも映画だし、その鮮烈なヴィジュアルを通してだが。だがヴィジュアルと寂寥というのは良くして同居できるが、その暗黒感、絶望といったものはどうだろうか。これが実はSFにあっては上手く消化されてしまい、かつそれが風刺の範疇に小綺麗に収まってしまうのだ。これは問題だ、あくまでその読後の居心地の悪さを、現実への違和感に上手く振り向けさせるのが、こうした小説が発する“啓発”ならば、それが機能していないことになる。だが、この作品は表面的なクローンの人権とか、そういうテーマとは別に、文字通り暗黒そのものの異世界をこのSF世界に創出することで、読後に不快な違和感を残すことには一応成功している。しかし、序文にトンプスンの「内なる殺人者」を引用するとは、大きく出すぎだろう。そんな人間存在の究極までも描けているとはとても思えないが、この作者は次作も「ワン・オヴ・アス」(おそらく「内なる殺人者」の原書「killer inside me」の結語「one of them」のもじりだろう)という作品を書いていることもあり、トンプスンに色目を相当使っている。でも、それだけなんだな、これは。ちなみに映画化権はドリームワークスに売れているので、映像化されたときは、また「ブレラン」みたいに、印象は変わってくるかも知れないが。


 ジャック・ケッチャム著、「地下室の箱」読了。堕胎するはずだった子供を、その直前に拉致されて産まされるハメになるという監禁もの。監禁するのはもちろん変態。だが全体的に短いので異常な感じはしない。この作者特有の邪悪な感じも、レイプではないが、不倫の果てに望まない命を育まされ、その運命を受け入れるという、人の道を踏み外した畜生が陥るものだけに、何の感慨も不快感も生み出さない。望まない命を育む前に、このような畜生の道(動物ですらこんな愚かなことはしないが)に踏み込まない人間にとっては、単にもしそうなったら難儀な話だ、というくらいにしか思えないのだ。もしこの話に共感する奴がいるとしたら、不倫をまず肯定する畜生であることを、自ら認めていることに他ならないだろう。そういう意味では邪悪な罠であるとも言える。皮肉にも、変態が飼う猫だけが、真実を生きている。


 クリスティン・マクガイア&カーラ・ノートン著、「完璧な犠牲者」読了。「地下室の箱」の元ネタ、日活ロマンポルノの「箱の中の女」元ネタとなった事件のノンフィクション。拉致自体はそれほど大がかりでなくても、その後の監禁、閉鎖的な人間関係において、人間はどこまでも異常なモラルを当たり前のものとして受け入れ、エスカレートさせて行くということが良く分かる。そのバランス感覚が失われていくことにおいては、俺も同じような経験があるし。でも、それが、事件になるまで進行してしまうのは、通常の人間が、通常のシチュエーションのちょっとした綻びの為ではなく、異常な動機を持った人間と、圧倒的な支配に無力となってしまう、そうしたことに慣れた、これもまた異常な女、そしてそれを知りながら、自分は自活したことがない、という極めて寄生虫的な理由で全てを容認してしまう、主体性のない女、こうしたそれぞれ異常な人間が配置されたことによって、起きるべくして起きた事件だということがよく分かる。異常で、酷い事件かも知れないが、それを容認してしまう異常な下地は、周囲にも、被害者にもあるのだ。さらに恐ろしいのは、こうした下地を持っていながら、この事件のような異常な組み合わせに、たまたまならないというだけで、テメエは善良な市民のツラして生きている奴がどれだけ多いかだ。なぁ?暴力振るわれたり、変態行為を強要されても、文句一つ言えない、それでも養われていたい、腐れ主婦の皆さん方よ。


 馳星周著、「ダーク・ムーン」読了。華僑の多いヴァンクーヴァーを舞台に、大陸から来た悪徳警官、日系のエリート捜査官、黒社会の命令で降り立った日本の元刑事、この三人を絡めた物語。エルロイからの強い影響を公言してはばからない作者が、エルロイに正面から立ち向かう通過儀礼のようなシチュエーションを自ら設定しているように見える作品。そして、この殺伐のトライアングルは、「L.A.コンフィデンシャル」と言うよりは、マイ・フェイバリットの「ビッグ・ノーウェア」に近いものがあるだけに、個人的には興味深い。さらに、エルロイに近くなればなるほど、この物語を通して、物語とは別のもう一つのストーリー、「馳星周の父親(=エルロイ)殺し」を体験するんだ。それだけじゃない、その殺害は、本当に完全なものであるかを、描かれる闇の濃さから読者がジャッジしなければならない。物語にもそれは濃厚に表れていて、父親への愛憎が狂おしく綴られていく。怪物が父からの愛を乞うあまり、フランケンシュタイン博士につきまとい、破滅させていくがごとくに。結果的には、エルロイへの愛は強かった。暴力描写などに見られる表面的な憎悪は上だが、怒りの描写など、トンプスンの要素(「目の前が赤くなる」と意識的に繰り返し書いている。トンプスンの「アフター・ダーク」で描かれた、“コルサコフ症候群”特有の症状)も入り、おぞましい、新たなキメラが産み出されている。「わが母なる暗黒」のストーナーという刑事や、「ホワイト・ジャズ」の“目玉野郎”に対応する、“覗き見野郎”の登場、そしてダニーを思わせる同性愛。殺すどころか、ノワールとしては、切なく父性愛を求める物語に仕上がっていた。ここまで来たら、勝ち負けではなく、そのオマージュの深さを、込められた愛憎と共に味わうべきだ。呪いながらも、分かちがたい血の連鎖を。クソ野郎の息子はクソ野郎でしかないのか、自分の目で確かめろ。その意味では、紛れもない力作。


 ボストン・テラン著、「凶器の貴公子」読了。“暴力の詩人”と出版社に名付けられたこの作者、確かにこの手の暴力小説に込める叙情の深みは半端ではなく、そのテーマも一貫しているだけに、よりその叙情が胸を打つのだ。それはいずれも、あらゆる種の暴力によって、実存を奪われた人間が、最後の手段として、暴力をよすが復権を試みる物語。一度でもその様な経験のある人間には、ここで描かれる暴力は等しく癒しであるし、再生のための産みの苦しみとして、優しい波動すら持っている。そして今回は、謀殺されたとおぼしき青年から、視力を受け継いだ青年の、義に発する行動、と見せかけながら、どこまでもミステリアスで、神話と絡めているだけに物語自身も寓意的というか神話的だ。ためにご都合主義というか、展開が読める部分も多々ある。だが、それ故に今回は暴力は抑えめで、理不尽な暴力によって全てを奪われた人間の哀しみは、嫌でも浮き上がる仕掛けになっている。終盤の突き放し方は、前二作よりも唐突な印象を受けるが、作品のメンタルな含みを重視するなら、やむを得なかったのかも知れない。それにしても、こうした死と暴力に彩られた世界に、かつてその中心にいながら、今や傍観している、しかし心強い人物として、明らかにダニー・トレホをモデルにしている人物が配置されているのは嬉しい限りだ。スペアーズ男組 (1) (小学館文庫)アルファヴィル [DVD]ブレードランナー 最終版 [DVD]内なる殺人者おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)ワン・オヴ・アス地下室の箱 (扶桑社ミステリー)完璧な犠牲者 (角川文庫)ダーク・ムーン 上 (集英社文庫)ダーク・ムーン(下) (集英社文庫)LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)ビッグ・ノーウェア 上 (文春文庫)ビッグ・ノーウェア 下 (文春文庫)アフター・ダークわが母なる暗黒 (文春文庫)ホワイト・ジャズ (文春文庫)凶器の貴公子 (文春文庫)神は銃弾 (文春文庫)死者を侮るなかれ (文春文庫)