薬物脱獄パピヨンの走り書き。及び絶望。

 何とか更新することは出来たが、別に危機が去った訳じゃない。相変わらず上でスズキ(仮名)はやりたい放題だ。大家にも言ったが、「何とかする」と言いながら、一週間後に進捗を確認すると、手をこまねき、「まだ何もしていない」という呆れた答えが返ってきた。

 この上階のスズキ(仮名)という腰振り逆ギレ野郎は、大家に通知している電話番号も「現在使われておりません」らしく、かなり悪質な一般人の振りをしている人間だ。大家も大家で、管理責任などと言う概念はなく、ただ毎月振り込まれる家賃を宛にして生きているだけの、ただの80過ぎのババアであることがよく分かる。そんなことはもちろん解っていたが。

 だが、こういうことになると、俺は最も動きを信用していない(そしておそらく俺を悪者に仕立て上げようとする)警察に相談しなければならないのか。

 本来は、映画の日についての諸々を書きたいところだが、この非常に不快な近隣トラブルとは別に、一つの変化がある。俺が飲まされていたパキシルが全て無くなったのだ。尽きた。これで俺はたとえPTSDであっても、混ぜもののない人間に戻る一歩を踏み出すことになる。

 不安がないわけじゃない。俺を取り巻いている環境含め、何の助けもなく、あるのは悪意ばかりだ。それでも、みんなその様な中で必死であるにも拘わらず、なけなしの善意を言ってくれる人もいる・・・。嬉しい限りですな。感謝です。憎しみが深い人間ほど、愛情も深くありたい。それだけに、幼稚な悪意にも敏感で居続ける。故に上階の気違いは、明らかに挑発で騒音を発するようになっている。

 全然話は変わるが、半年飲まされた薬が切れたせいかは知らない。とにかく最近非常に涙もろく、間違いなく自殺はしないが、己の死と孤独への考察のみが深まり、情緒不安定に加え、息まで苦しくなるので、時間を見つけて、俺は俺のルーツたる場所に行ってみた。癒しではない。苦しい、そしてこれは現実に何の作用も見せない、完全な仮想現実だ。

 俺は恵比寿・広尾で育った。夏、いつも通れば、一番幸せだった時の記憶が蘇る。何にも知らなかった頃に戻れるみたいに。必ず涙がこぼれるノスタルジー。特に公園。有栖川宮記念公園。ここには人工的な自然がある。ケミカルに死にかけた人間向きの自然が。でも多分自然があれば、生きられる。ノスタルジーがあれば、現実がなくても生きられる。生きられるなら、この土地で、キチガイのコジキにでもなって、「ノスタル爺」みたいに一生を終えてもいいな。そんな風に素直に思える。

 ついでに、パキシル服用時に、不浄と悪意のちまたを漂って、おそらく自己憐憫から流れ出てきた走り書きも載せておこう。正常時と比較するために、薬物投与時の俺をここに転移するために。何つうか、「※」で一個終わっている感じ。


・脳内の獣、俺という薄皮を通して周りに透けて見えるのは、今にも破れて出てきそうな怒り。※


・俺いつまで経っても半分だな。※


・永遠のフラット。※


・脳がうるさい。※


・膿のような想い。※


・身体がちぎれるような痛みで目を覚ましたら、心の痛みだということに気が付いた。※


・俺もはやくそこへ行きたい、はやくそこへ連れてって。※


・いくら家に帰るのが嫌だからって、また寝る間際まで人と飲み歩いて、朦朧とした中に自分を孤独
 に壊してく。いつ死ぬのかな?って考えながら。※


 あ、あとさ〜、これ大事なんだけど、俺が久々に取材協力をした、30 second to mars(ジャレッド・レト)、及びJuliet and the licks(ジュリエット・ルイス)のインタビュー載った雑誌、「Doll」が出たんで、暇あればご一読下さいな!藤子不二雄異色短編集〈4〉ノスタル爺 (ゴールデン・コミックス)DOLL (ドール) 2007年 08月号 [雑誌]