映画浣腸、その二。〜復讐編〜

 事あるごとに、俺から「全員ぶっ殺す!」と、意味のない殺戮衝動を引き出す、思い出したくない女。俺はこの女に何をされたのかさえ、厳密には思い出せない状態のまま、“抑圧された記憶”って奴になってしまったこの残骸を、幼児退行してしまい、異常に感情的になる衝動を抑えられぬまま、その衝動性、制御できぬ暴力性のため、日常のトラブルにも爆発を恐れて、何一つ対処できずにいる。大浜松三を思い浮かべながら、その他諸々の亡霊を思い浮かべながら、女の記憶は、せっぱ詰まった俺にセンズリを強いる。

 一観客として「グラインドハウス(USAバージョン)」へ。この投げやり感、短さ、フォローの無さ、休憩すらも入れない、ユーザーアンフレンドリーな態度。結局セックスとバイオレンスが売りの映画の再現にも関わらず、セックスそのものの表現からは微妙に逃げているのはよく分かるが、これが正しい姿。予告編も含め、一つの完成したアートとして、途中で寝たり、酒飲んだり、尊重しないでバカにしてやってくれ。それが正しいかわいがり方。

 先月の映画の日は、一本目「ブラッド」へ。マコの遺作。これに尽きる。これが遺作で良かった。「バレットモンク」の映画館の親父はいい人過ぎた。「コナン・ザ・グレート」や「ロボコップ3」を始め“怪しい東洋人”のステレオタイプを作った男は、ジョン・ローンの師匠に相応しく、最後まで怪しくなければならない。声の遺作は「TMNT」のスプリンター師匠というのも正確なチョイス。偉人だ。しかもルーシー、がさつなヴァンパイヤ描写故に、美しく、脱ぐ必然性の高さは、本作でも共演している、カーラ・グギノの「シン・シティ」におけるそれに近い。

 二本目は「シッコ」へ。これを観て、昔書いた詩を思いだしたんで、それを書いておく。
消費し続けろ。
浪費し続けろ。
そして、生産し続けろ。
そうしなければ、一度得た快楽が維持できない恐れに追い立てられろ。
一度得た快楽を失うことに脅え、焦燥しろ。
その輪の中から出ることが出来ないことを自覚しろ。
あるいは、そうした事実に気付くことが出来ないことが、どれだけ幸せで、どれだけ惨めかを、想像するといい。
それでも、まだまだ消費社会の急先鋒には行っていない分、幸せなのかも知れないことを、急先鋒に行けていない分不幸なのかも知れないことを、想像するといい。

 アスミック・エースさんのご招待で「ローグ アサシン」試写へ。ジェット的には、脱フィジカルアクションを目指していたんだろうか。とにかく無駄に暴力的な空気が支配する、「イエローフェイス」的ネタの宝庫となってしまった、バイオレンス・アクション。無駄に暴力的で傑作なアジアン誤解作品は、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」や、「リトルトウキョー殺人課」と、傑作率が高く、かつ狂ったアジア観で、暴力要素欲しさにアジアンテイストを導入していると思えるくらいの、西洋からの誤解は大歓迎だ。でも東洋勢は最高なのに、ジェイスン・ステイサムが尻窄みなのは、とても残念だが、今回彼は引き立て役だからなんだろう。確かに「リトルトウキョー〜」のドルフ・ラングレン程度の活躍はしている。

 一観客として「キャンディ」へ。冒頭の遊園地の描写に暗喩される、二人の同じ方向に引力が働いている感じ。でも、心から愛する人間を、売春へ落とすジャンキーの愚かさ。それでもその真実を生ききったが故の美しさ。しかしそこで終われない醜さ。強烈に身につまされるぜ。最初の二人を結び付けるものが何も必要ないピッタリ感とか、それが過ぎて、周りが見える様になって来た頃、だんだん現実が残酷な顔を見せ始めるあたりとか。激痛に体調を崩す。物語は、「天国」、「地上」、「地獄」と三部構成になっており、一見「地獄」がジャンキーの“抜け”の苦しみを描いたものであろう事を、通常は想像すると思うが、実は違う。地獄なのは、心が離れていくことでもない。いいときも悪いときも、一緒にいることが出来なかった二つの魂のありようなんだ。バレットモンク [DVD]コナン・ザ・グレート (特別編) [DVD]ロボコップ 3 [DVD]シン・シティ コンプリートBOX (完全初回限定版) [DVD]ミュータント・ニンジャ・タートルズ2 [DVD]ミュータント・ニンジャ・タートルズ3 [DVD]イエロー・フェイス―ハリウッド映画にみるアジア人の肖像 (朝日選書)イヤー・オブ・ザ・ドラゴン [DVD]リトルトウキョー殺人課 [DVD]