復活。しかし血が止まらない。
人はいつか死に、今生では別れを迎える。ひとつの例外なく。ゆえに、俺はそれが怖くて、拠点を移したが、環境が整わず、今日まで更新がろくに出来なかった。だから久々に更新できた今回や、これからしばらくは、覚書の意味合いを深めた事実の羅列を簡潔にするだけにしようと思う。もはや下痢なんてものではなく、大量出血というほどに。
十月の映画の日、二本目は「キャプティビティ」へ。金を取って見せているくせに、残酷描写に日本の配給会社が勝手に自主規制で修正を入れている、不届き極まりない映画。大した映画ではないにせよ、とうとう日本の何事にも及び腰になる姿勢は、映画の観客への誠意も失わせた。
十月の映画の日、三本目は「ホステル2」へ。人間不信。人間性への不信。それらへの嘲笑。前作より研ぎ澄まされた悪意。サドやその作品の映画化「ソドムの市」の正当なDNAを感じる快作。心が洗われる。
一観客として、「スキヤキウェスタン・ジャンゴ」へ。結果は大外れだったようだが、別にいい。真面目に評価する事がそもそも不要な作品だから。でも全くマカロニへの敬意が感じられないそのオチはともかくとして、ヨイヨイの石橋蓮司の扱い(「ダイナマイトどんどん」のアラカンに酷似しているのは、気のせいだろう)や、贅沢なロケで日本文化をコケにしているのは良かった。
一観客として、「パンズ・ラビリンス」へ。ここまで生きて汚れ続けている事の後悔。だからといってここで終わってももう、その染み付いた汚れは挽回できない事実の確認。知らないまま信じる事の尊さが、手抜きのない残酷描写で際立つ。美しいものを描くためには当然のことが、ここでは徹底している。物語の構造が「火垂るの墓」に酷似していても、その部分の評価は揺るがないだろう。
11月の映画の日、一本目は「アフロ・サムライ」へ。中盤まで無国籍SFアクションのノリを維持していたのに、途中から説得力を欠いた神話的なファンタジーに走るのが腑に落ちない。そこまで風呂敷を広げるのなら、絵のリアリティが最も重要になるはずだが、そこがどうしても足りない。サミュエルの二役も分かりづらく、よくよく見ていないと、無口なサミュエルと思わせてしまうのももったいない。
11月の映画の日、二本目は「アレックス・ライダー」へ。ミッキー・ロークの顔、この作品はこれに尽きるが、悪役の彼が陰謀をめぐらせる理由がいまいち弱い。しかし、今回はシリーズの顔見世程度だと思うんで、シリーズ化されるならこの先にも期待だ。ヒロインの美少女が強烈。
一観客として、「FUCK」へ。ハンター・S・トンプソン、ほぼ最後のインタビュー映像が貴重だ。日本ではこれほど一般的で、社会的に物議をかもす単語があるだろうか。この単語への考察は、日本人には理解しづらいかもしれないが、それは文化の違いというよりは、飼いならされる事に慣れきっているからだとも言える。強いて言えば、その言葉のインパクトと挑発性は、「オマンコ」と言うのに近いだろうか。
一観客として、「鳳凰/わが愛」へ。露骨に「ショーシャンクの空に」の影響下にある中国製刑務所映画。枠組みはそれでも、刑務所映画は潜水艦映画と同じくらい外れは少ないと言うのが俺の持論だし、これが激動の中国近現代史と絡めて語られると、凄まじい説得力を持つ。しかし、長期刑の囚人の絶望が深ければ深いほど、復讐は果たすべきだったとは思う。
ワーナー・ブラザーズさんにご招待いただき、「ベオウルフ/呪われし勇者」試写へ。CGアニメによる暴力とエロ描写の、現時点における到達点を観た気がする。子供には見せないなどの措置を徹底した上で、ロバート・ゼメキスにはこの試みをもっと極めて欲しい。それにしてもグロ描写に大きな貢献をしていた、グレンデルの声担当、クリスピン・グローバーは、己のイメージに縛られない偉人と強く感じた。
ワーナー・ブラザーズさんにご招待いただき、「アイ・アム・レジェンド」試写へ。俺は伝説の怪物だった!と言う原作と逆に、伝説のヒーローになってしまった三度目の映画化は、「28日後…」における無人描写をより進めているし、舞台となるニューヨークに対し、「ここがグランド・ゼロだ!」という台詞が示すように、現代的解釈を込めようとする努力の跡は覗える。でも、不満な人は藤子・F・不二雄SF短編集の「流血鬼」を読みましょう。