出ケツの後始末。そして出たもの。
あれからも出血し続けていた。そして出血し続けている。そのせいか俺は、痔に悩まされるようになった。痔になって二月以上、余計な事に頭を悩ませるのが嫌で、断絶していた部分がある。だが継続していた部分もある。続けるって、ケツの痛みに悶えながら何をしていたのかというと…。
ずっと関わっていた雑誌がようやく店頭に並ぶ運びとなったのだった。ブラッド・ピットが表紙の「FREEDAMNED」と言う本で、音楽や映画雑誌の所にあると思います。近所では映画雑誌のコーナーにあったな。まぁ、是非お手にとって見てくださいな。
http://www.shinko-music.co.jp/main/ProductDetail.do?pid=2175580806
あとは苦痛に耐えて座り続けた記録。
一観客として、「ダーウィン・アワード」へ。クリス・ペンのほぼ遺作という意外にこの映画の存在価値はない。ウィノナは少し卑猥でいいが、笑えないのが致命的。お蔵になっていただけある。
一観客として、「FLYBOYS」へ。これはお蔵になっていたのが不思議な作品、数少ない第一次大戦モノとしての完成度も高く、俺のトラウマ映画「忘れられない人」程のインパクトはないが、時代は違えど「メンフィス・ベル」を髣髴とさせる良品。個人的に、ジェームズ・フランコは買っているのだが世間的に弱いということか。
一観客として、「ベティ・ペイジ」へ。グレッチェン・モルの努力は素晴らしいし、彼女は非常に美しい。監督のメアリー・ハロンもフェミニズム臭を極力押さえて頑張っている。彼女の生き様は女性の自立とは関係ないからな。そして、物語としては、リリ・テイラーの確かな演技に魅了された。しかし、実際のベティ・ペイジが美しすぎたのだ。超えるのは無理。
2008年一発目、一観客として「再会の街で」へ。傷に対して、安易な解決は欲しくない。だから、明快な結末がないのは正解だが、癒しや、物事が快方に向かう安易で終わるのはいただけない。人生は二時間弱では終わらないし、他者からの理解を完全に拒絶する悲劇というのはあって、それで人間が壊れる事は紛れもなくあるからだ。
一観客として、「スリザー」へ。宇宙人は不定形で、寄生しまくって人間の間で増殖していく。その過程は全てグチョグチョに描写されている、非常に正しい映画。それにしても寄生によって人間の形態が失われるのに反して、人間性にどんどん目覚めていく役に説得力を持たせられるのは、これが「ヘンリー」のマイケル・ルーカーによって演じられているからだ。「ゾンビ」へのオマージュや、怪物の悲しみなど、欲張って要素を盛り込んでいるが、ちゃんと処理し切れているから素晴らしい。しかも場所は銃器をふんだんに隠し持っている奴が多いド田舎と来た。極めてまっとうで、最近少ない快作。
一観客として、「線路と娼婦とサッカーボール」へ。娼婦への差別の現実と、そうした職業がなくては立ち行かない社会を象徴しているグアテマラの現状を観られて良かった。これは全く関係のない外国の事ではない。わが国をも取り巻く現状を戯画化して見せているに過ぎないんだ。なぜ実地でのセックスワーカーに、差別のしわ寄せばかり強いるのか。言うまでもなく、売春は合法化すべき”聖職”なので、この作品を観ると、日本の歪みも必然的に立ち上がってくる。
一観客として、「俺たちフィギュアスケーター」へ。ウィル・フェレルvs「バス男」もといナポレオン・ダイナマイト。面白くならないわけがない。実際、チンコネタが多く、この手のネタで純粋培養されてきた俺には、非常に居心地のいいひと時であった。これと「ダーウィン・アワード」を抱き合わせにしたい映画館同士の連携は分かるが、作品の手段を選ばない笑いへの真摯な姿勢は、この作品には及びもつかない。
一観客として、「ナショナルトレジャー/リンカーン暗殺者の日記」へ。今回の見所はエド・ハリスとヘレン・ミレンだけ。キャスティング負け。ニコラス・ケイジがどんどんへなちょこに見えてくる。でも、ハーヴェイ・カイテルは、元来仕事を選んでないだけ、何に出ても全く見劣りがしないのは尊敬に値するぞ。テーマのリンカーン〜はスピルバーグの次々回作への当てこすりだろうな。
一観客として、「エイリアンズvsプレデター」へ。両シリーズの世界観を互いに壊さないように、新しい物語を構築するには、それぞれのシリーズへの深い造詣が必要となるうえに、もうハッキリ言ってストーリー的に食い込める余地は一つくらいしかないと読んでいたら、まさにそこが食い込みどころだった。要するにユタニ。しかもフランソワーズ・イップってチョイスは最高。さらに「バタリアン」方式で一気にけりをつけたのは止むを得ないところだな。あとは要するにプロレス。
一観客として、「パルス」へ。まず、ヒロインが嗜虐的に美しくない。これはホラーとして致命的。ヒロインを擁護する気持ちから恐怖か生まれる部分が確実にあるから。オリジナルの終末観も、少し薄れてしまっている。「回路」は、世界が終わる「ゾンビ」の世界観を、それが実現しにくい日本の土壌だからこそインターネットに置き換えた作品なのだ。それが、ゾンビの本場であるアメリカに戻って、その味わいを見失われては困るぜ。とはいえ、クリスティーナ・ミリアンのお蔭で最後まで観られたが。[rakuten:book:12694902:image:small][rakuten:book:12189023:image:small]