痛みはファンタジーじゃないから。

 現実の感覚として、仮に本当じゃなくても信じられる。下らんオカルトや超常現象を俺が信じない(否定しているわけではない)のは、俺が現実の感覚としてそれを感じないからだ。幽霊やUFOなんか知らんよ。それも、継続的に感じられなければ、錯覚ということもあり得る。だから継続的な痛みは、快くはないが、間違いのない現実と判断できる。キチガイや悪人は至るところにいるからな。

 しかるに、俺が犯罪や暴力を研究するのは、それが現実に存在するからだ。なぜなら実存やそれに類するものは俺を救ってくれる。知れば知るほど、俺の中にあったように錯覚していた“愛”らしきものを否定してくれるから。否定された後に脳を満たすニヒルは俺を救ってくれる。俺の中にあるそうした記憶も否定してくれるから。

 いつか全記憶を払拭されるまで、俺は調べ続けようと思う。吸収し続けないと。続くことは善で、絶たれることは悪だからだ。だから、俺は種としては絶たれる為に悪にならざるを得ないが、個としては続けることで善をなすつもりでいる。脳神経が互いに連携して信号を送るように、いつか点も線になるだろう、という願い(これは実在しないものだが)を抱いている。シンナーでペンキを落とすように、アルコールという有機溶剤の薬理も補助としながら、切れてしまった償いに、脳に刻まれた忌わしい時間を消すための作業を続けるつもりだ。


 4月の映画の日、一本目は「バンテージ・ポイント」へ。もう単純に決着がつく「羅生門」としか言いようがないし、監督自身もそのリスペクトを言明しているんだから世話はない。何回も逆戻りして狙撃されるウィリアム・ハートには笑えるが、そこで明かされる衝撃の内訳にはさらに笑える。結局、大統領自身が国そのものの暗部を把握しないまま出ては消えていく国がアメリカなのだ。そういう意味では映画よりも常に「藪の中」なのが、この国(アメリカ)だという告発なのかもしれない。でもやっぱり、フォレスト・ウィティカーにはアミン大統領の揺り返しか、極悪人「鶴瓶の家族に乾杯」なんかよりよっぽど癒されるぞ。


 4月の映画の日、二本目は「非現実の王国でヘンリー・ダーガーの謎」へ。俺はかつてこの知的障害とされているおっさんの絵を実際に見たことがある。あれは結局山下清の作品だっただけでそんな気がしているだけなのかも知れないが(山下清もつらいよ!)、アウトサイダー・アートなんて、結局のところそんなもんだ。世間的な評価がどうのではなく、どれだけそいつの闇を身近に汲み取れるか。その思い入れを身近に感じられるかだけだ。そうした作品への理解の助けにはなるだろうが、ダーガー自身の作品の“チンコのある女児の絵”に、強い電波を感じないと、ちょっとこのドキュメンタリー自体は辛いかも知れない。ちなみに俺は、全く苦もなかった。


 4月の映画の日、三本目は「潜水服は蝶の夢を見る」へ。俺は出たくても出られない通路の狭い屋敷を何度も往復する悪夢におびえる閉所恐怖症だ。だから片目の動き以外封じられてしまう障害に陥る人間をつぶさに描く映画は、予告編の時点でホラー以上のものだった。「ミリオンダラー・ベイビー」で何度もヒロインが自殺を試みる自由があったこと自体が羨ましく思えるほどの不自由。それでもこの主観は、女性誌の編集長だった主人公の実話だけあり、女たちへの批評眼が徹底してシニカルで快く、同時に心の自由の広大さも同時にエンジョイしており、複雑な後味だ。あとは「ミュンヘン」の「パイオツに穴が開く女」マリー・ジョゼ=クローズの美しい顔のアップは堪能できたし、チンコが映る映画としても気が抜けない。しかも最も驚きなのは、これをジュリアン・シュナーベルが撮り上げたということだ。「ミュンヘン」にも出てたポランスキー似の主役に、元妻役として、ポランスキーのかみさん。紋切り型のキャスティングだが、「赤い航路」のハッピーエンドを幻視した。


 一観客として「悲しみが乾くまで」へ。キレイ事ではない世界観を、確かな演技の出来る人間を配置する事で、苦々しい現実として深く認識させてくれる作品。興収的には芳しくないようだが、仕方ない。夫を不慮の事故で殺されたハル・ベリー。「チョコレート」ほど絶望的ではないが、それだけに身近だ。彼女は夫が最後まで見捨てなかったジャンキーの親友を自宅に引き取り更生を試みるが、演じるのはベニチオ・デル=トロでもジャンキーはジャンキー、人を失望させるのはお手のもので、そんな自己制御を出来ないジレンマを持ち前のルックス+いわゆる“切れた時の”イイ顔、i-podではなくポータブルCDプレーヤーでロックを愛聴する姿は有無を言わせない説得力だ。故に、美男美女が出ていようと、恋愛への甘い期待など気持ちよく現実として踏みにじってくれる。そんな簡単に人間の心は繋がらない。親友の息子の相手をしてくれても、最終的に大事なのはヘロイン。女にとっても、男は夫を思い出すための代替物。そんな投げやりに終わる物語を見つめる目は、「リービング・ラスベガス」のように、優しく、静謐だが、そこに塗れないアリソン・ローマンだけがただ美しい。


 一観客として「ホテル・シュヴァリエダージリン急行」へ。「ライフ・アクアティック」に繋がる箱庭感覚を残しながらも、セッション的な行き当たりばったり感も加わった作品になっているため、結構普通に観られてしまうが、後から疑問符や違和感が噴出してくる。一応ハッピーエンドらしいロードムービーなんだが、シナリオにローマン・コッポラや、ジェイソン・シュワルツマンが関わっていることにより、内輪受け感が強くなっているのがその原因と分かった。純粋に緻密に作り込まれた、ウェス・アンダーソン節ではないのだ。そのためかなり人物造形やドラマがウェットで、内輪受けのつもりで盛り込んでいるのかも知れないが、前日談となる短編「ホテル・シュヴァリエ」のナタリー・ポートマンの裸(ケツだけで乳首は見えない)から、本編のインド娘とのファックまで、セックスも前面に出ているし、しかもこれはこれで結構興奮した。


 ワーナー・ブラザーズさんにご招待いただき、「ダークナイト」試写へ。俺の映画前科における、約20年の時間を経た、節目となる作品を観賞できて、俺は本当に幸せだと思う。それほど個人的には、完全なる狂人で犯罪者の“ジョーカー”という稀代のキャラを映画において切望していたということだ。冒頭、通常の劇映画で初めて導入されたIMAXカメラの前で繰り広げられるのは、容赦なきケイパーであり、全てにピントが合った細密さが後押しする、冷徹極まりないヘイストだ。これは、一切の情とケレン味を排した犯罪映画として解釈されたバットマンである。故に、タイトルにその名が冠せられていないのだということを直感する。「プレステージ」で既に証明しているが、そのリアリズムの外堀を埋めるように、ランニングタイムも必然性の高い、二時間半長のヘヴィネス。しかも、「〜ビギンズ」の予習は必須と来ていて、トム・ウィルキンソンの跡目はエリック・ロバーツが継いでたが、その他の隠れキャラもあり、かつての「SPAWN」ことマイケル・ジェイ=ホワイトも悪に徹した助演を見せ、前作同様のオヤジ率(殺伐とした暴力性)の高さを維持、頼もしい事この上ない。それに、珍しくバットマンが海外出張するくだりでは、一瞬だけ登場するエディソン・チャンを見逃すな。そしてジョーカー。ニコルソン版の“究極の愉快犯”とは違い、社会を理由なく混乱させることだけが目的の、“カオスの体現者”だ。世界と、人間の心の終わりが間近に観られれば、金など必要ないということ。つまり彼は「ドクトル・マブゼ」のような“究極のアナーキスト”として描かれているせいで、演じるヒース・レジャーは演技のモデルケースとして、ジョン・ライドンシド・ヴィシャス、果ては彼らがリスペクトした「時計じかけのオレンジ」のアレックスを取り込んだということになる。結果今回は、そのせいか、正直ニコルソンに比べると、より邪悪ではあるが、純粋な悪の喜びは見えない。それでもレジャーの目を見れば、このジョーカーも、バットマンや俺同様、世界(この混沌)を憎んでいる、完全な狂人である事は疑いの余地がないので、俺はこうした解釈も“アリ”と判断した。世間的には何かと彼の遺作となってしまっている事が強調されてはいるが、今回初めて“真っ当”に描かれる、ハーヴェイ・デント地方検事の、“哀しみ”と“暴力性”もきっちり押さえられており、この部分は監督クリストファー・ノーランの入れ込みようがストレートに評価できるぞ。劇場を出ると、満面の笑顔になっている自分に気づくよ。ノーランがペンギンを解釈するとどうなるのかも気になる。でもそれは恐らくないと思うので、死ぬ前に観ておくべし。バンテージ・ポイント CE [DVD]羅生門 デラックス版 [DVD]地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇 (岩波文庫)ヘンリー・ダーガー 非現実の王国でザ・ベスト潜水服は蝶の夢を見る 特別版【初回限定生産】 [DVD]ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション [DVD]ミュンヘン スペシャル・エディション [DVD]赤い航路 [DVD]チョコレート [DVD]リービング・ラスベガス [DVD]ダージリン急行 [DVD]ライフ・アクアティック [DVD]バットマン [DVD]バットマン リターンズ [DVD]バットマン ビギンズ 特別版 [DVD]スポーン [DVD]フリッツ・ラング コレクション/クリティカル・エディション ドクトル・マブゼ [DVD]時計じかけのオレンジ [DVD]プレステージ コレクターズ・エディション [DVD]ラストキング・オブ・スコットランド [DVD]