時計を持っている奴ら。俺を含めて捨てた奴ら。等々。

 俺が「イージー・ライダー」を好きなのは、あくまでも最初にキャプテン・アメリカが腕時計を路上に捨てて旅立つからだ。他には意味や思い入れはそれほどない。せいぜい教訓として、閉じられた人間関係と偏狭な価値観で成り立っている田舎は怖い、と言う程度のものだ。それだって先述のシークエンスを際立たせるための手法とも言える。

 とにかくそれだけ俺が人格(そんなものがあるとすればだが)形成に影響を受け、重要視してきたのが“時計を捨てる”行為に象徴される、既成の価値や法則からの脱却である。俺は初めて観た高校一年生の時から今に至るまで、それを全面的な否定の行為とは受け止めていない。あくまで衆生からの脱却、孤高への行為として受け止めていた。

 以来、俺も観念的には時計を捨てたつもりで生きてきている。あくまでこれは観念上のものなので、俺自身が時計を所持しなくなったとか、時間にだらしなくなったとか、そういうことではない。以前からだらしのないことは間違いがないけど、俺が有限で、時間に支配される存在であることを一切考えない(捨てる)ことで、普遍的な物事の追究に、その思考を充てたかったんだ。要するにそれは、俺が一切を捨てないと一つのことに集中できないバカである証拠だが、それによって自分なりに普遍性があると感じられた価値観を作り上げてくることができた。もちろん、価値観の形成はまだ発展途上でもあるのだが。

 そして、動かずにあるそれらの中の一つに、“裏切りを行わない”というものがある。自分自身にそれを禁じ、それを行う者を害悪と見なすと言うことだ。しかし、思考でそのような結論に至った者でも、その思考の出発点で時計を捨てていない奴、時計の存在を意識はしていないが感覚として持っている奴は、自分の残り時間次第で容易に自分への規律など放棄することが、実体験を通して揺るぎないものになってしまいつつある。無法者の世界だからこそ、信義は重要であるべきなのに、無法の世を生きている事に気づいていない奴らは、基本的に、人を裏切るのだ。

 それまで、宇宙やその外、過去や未来、物理を超越した事柄について、自由に思考を巡らせることができる人間は、やはり俺と同じような意味において、時計を捨てているからこそ、それが可能なんだと考えていた。でも実はそうではないらしく、そんな事をしているのは俺の頭が悪いからであって、特に普段そんなことを口先で言っている奴らも、結構人との関係が、自分の残り時間との損得勘定に入ったりすると、簡単にその自分の作ったルールのラインを踏み越える奴が多い事に気づき、実害を被ってきたからだ。

 そして現時点の結論として、そういう奴は金やセックス(あるいは、ガキ作りのリミットゆえの、愛を無視したオマンコ)などの刹那的なものに振り回されていることに気づいていない奴でもある。口先ではそうしたものを嫌悪していても、いざ自分の眼前にそれが現出すると、自分が享受すべき当然のものとして、他者を押し退けて奪取するという、最悪のパターンばかりだ。それが自分を一段、畜生へと落としていると気づかずに。

 それは受けている側からすれば、「…地獄だった…」(「男組」より)。と述懐する神竜剛次の気持ちもよく分かる瞬間である。そして最近、そうした人間の原初的な醜態が、端的に現出する瞬間として、従容さに欠けた奴らの、焦りがすぐ行動に反映されるところなどに見ることができる。ソクラテスも言ったように、悪は常に死より足が速いのだ。それだけに、悪が歩み寄ってきたとき、そいつが残り時間を重視しているか、時計を捨てきっていればこそ善を選べるかの本性は現れる。

 そうして残り時間への憂慮から悪を選択して逃げ切った奴の自己合理化がどうなされているかは、どうせ独善的な後からつけた言い訳なので、想像する必要はないし、その一線を越えてまうと、自己を強く持っていた奴ほど決定的に壊れてしまい、己の中に現出したカオスと折り合いがつかず、まともには生きていけないはずだ。その自己矛盾を乗り切るすべは、もはや狂気というほかはない。

 したがって、それでも生きている奴は、人のなりをしていようが、人間らしい生活を営んでいるように見えようが、もうすでに人間ではないのだ。その道を諦めて、一つ下の種族に自ら堕ちていった者たちである。そうなれれば楽な部分もあるのだろうが、それは自分の中の一切の支柱を失くしてしまうことなので、俺にはできなかったし、自らそうしようとする人間を止めることもできなかった。ゆえに、残り時間に追われずズルズルここまで来ている。ゆえに、何年経っても時間的に先に進めない。記憶が消えない。

 結局、時計を持つ者、捨てる者、どっちを選んでもロクなもんじゃねぇってことさ。

 だから汚ねぇ人間の話より、そろそろ映画の話を少しだけしようか。


 20世紀フォックスさんにご招待いただき、「JUNO/ジュノ」試写へ。以前俺はエレン・ペイジを“美少女”と表現した記憶があるが、俺にとって印象に残る“美少女”となるのは美しいからではない。美しいんだか美しくないんだか、俺の中で判断できない混乱が、俺の記憶に残り、カテゴライズできなかった記憶が、美少女の記憶へと切り替わる。それが俺にとってのエレン・ペイジだった。この作品においては、望むと望まざるとに関わらず降りかかった10代の妊娠(とはいえ、中出ししたテメエらに責任があるけどな)を、妊娠未経験者の元ストリッパーの脚本家が、高校生の生活周辺の細々としたカルチャーや会話のディテールの積み重ねによって、実にヴィヴィッドかつ現実との落差を考えさせない牽引力で世界を纏め上げている事に驚嘆する。まさかハーシェル・ゴードン=ルイスとダリオ・アルジェントへの言及がされるとは思わなかった。しかもその中心を担っているのが、やはりエレン・ペイジなので、結局のところ美しいんだか美しくないんだか分からなくても、今後エレン・ペイジに注目していくしかないのだよ、俺は。


 一観客として「パラノイド・パーク」へ。10代の殺人、死に対する無関心、横のつながりの希薄さが、一人の美少年が巻き込まれた事件、その独白を通して描かれていく。ガス・ヴァン・サントラリー・クラークになりたいのか?と思わせるような通俗的なテーマを扱いながらも、語り口や撮影スタイルはひどく実験的だ。ただし、映像自体が「エレファント」のように一貫したスタイルで貫かれていないために、冷たい美しさはないし、どんなに頑張っても、彼には暴力をラリー・クラークほどには描けない限界があるのだ。彼の監督作にしては映像的にはガチャガチャしている方だろうが、音声的な抑揚が欠けているため、はっきり言って眠くなったが、熟睡し切ってなお満足感のある「2001年宇宙の旅」のような訳には行かないのは当たり前だ。でも、従来の美少年、美少女の起用には信頼できる美意識が通底しているので、次はもっと連続性とドラマのある題材を選んで欲しい。


 一観客として「NEXT/ネクスト」へ。本当にタマをホる直前に、現行犯で捕まってしまったリー・タマホリ監督の、保護監察下の作品で、しかもディック原作と来ればこれは行くしかない。原作「ゴールデン・マン」とは予知のシークエンスを借用しているだけで完全に別もの。アクションに無理矢理SFをぶち込んで自分色に仕上げた結果、誰がどう見てもジョン・ウーでしかなかった「ペイチェック」とは対極である。単なるSFではなくアクションSFとしての活劇性を作品中に確立するなら、どうしてもSF的な設定に制約は必要で、その制約の中で如何に危機を脱出するか?がアクションと融合する重要なポイントになるべきだ。本気で驚いたのはそれを途中で完全放棄、何でもありの展開にして強引なハッピーエンドというのは、ディック原作以前にどうなんだ?「ワンス・ウォリアーズ」や「狼たちの街」(同名のフリードキン作品とは別の、偉大なるエルロイ・オマージュ映画)を作り上げ、こだわりの暴力描写で観客を魅了した監督の作品としてはあまりに空疎なので、これは逮捕にまつわるゴタゴタが、シナリオチェック等の阻害をした結果、ニコラス・ケイジがそこそこカッコ良く取れていればいいという“やっつけ感”満載の作品に思えただけに、今回は監督のプライベートな周辺を考慮してあげることに。でもジュリアン・ムーアは相変わらず美しいのでそこで満足しておく。次もアクションでよろしく。


 東宝東和さんにご招待いただき、「ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝」試写へ。どっかで観たようなシーンの連続だからこそ、アクション映画好きにはマニアックな見方ができるということで、これは意外な収穫だった。これだけ冒険映画ジャンルが出尽くすと、そのマスター・ピースであるところの「インディ・ジョーンズ」っぽいシーンの連続になるのは免れず、それは仕方がない。
 今回敵であるところの皇帝として登場するジェット・リーに、らしさは見受けられない。でもそれは作品の欠点ではなく、ジェットがセトモノから人間らしくなるため頑張る事が物語を牽引するんだから、前作のスコーピオン・キングに近い。演じたロック様は押しも押されぬスターになったんだから、ジェットらしさなどあろうとなかろうと“オイシイ”事は間違いがなく、その起用は成功していると思う。「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」っぽいラストバトルに始まり、クライマックスのラッセル・ウォンとジェットのタイマンなんて「ロミオ・マスト・ダイ」まんまだから、アクション好きの細胞に刻み込まれた嬉しいデジャヴをことごとく供給してくれるのだ。雪男まで大暴れする後半は、アクション好きなら普通の見方はしない方が絶対に楽しめる。
 しかしこれほどのプロジェクトにつくづくレイチェル・ワイズが続投できなかったことだけは惜しいが、監督が従来のスティーヴン・ソマーズ(恐らくビッグ・プロジェクト「G.I.JOE」でそれどころではない)ではなく、エクストリーム系職人監督、ロブ・コーエンなので、ワイズがマリア・ベロにすり替わっていても、違和感なく、ベロ自体にも魅力を見出せる気になるのは、この職人監督の手腕ゆえだろう。ラストのダンスシーンで監督もちょっと出ているのを確認した。彼は、一昔前で言えば、アーヴィン・カーシュナーのような存在になっていくんだろうか。職人であっても動向が気になる監督の一人だ。
 そして最後に最重要なことが一つ。完全体に覚醒していない、ワレモノ・ジェットの復活をサポートするのが、国民党の将軍、アンソニー・ウォンってことだ。いつまで経っても「Painted Vail」が公開されないから、これが実質、アンソニーのハリウッド・デビューを証明する日本でのお披露目になった。アンソニーの晴れ姿に素直に乾杯したいし、個人的には顔に傷のある女、ブサイクではなく、それ以外の何らかの欠損を抱えている女(例:リメイク版「ローラーボール」のレベッカ・ローミン、「悪魔の手毬歌」の永島暎子、等)がいるだけで、俺のセクシャリティは簡単に火が点くので、しかもそれを後押しするかのような軍服姿の副官(ジェシー・メン)が側近でアンソニーの側にいて、暴力を振るいまくるだけでも、完全無欠の映画だったと言える。イージー・ライダー コレクターズ・エディション [DVD]男組 25 (少年サンデーコミックス)ASIN:B00130HI42血の魔術師 [DVD]サスペリア プレミアム・エディション [DVD]エレファント デラックス版 [DVD]2001年宇宙の旅 [DVD]NEXT [DVD]ゴールデン・マン (ハヤカワ文庫 SF テ 1-18 ディック傑作集)ペイチェック 消された記憶 [DVD]ワンス・ウォリアーズ [VHS]狼たちの街 [DVD]ハムナプトラ/失われた砂漠の都 デラックス・エディション (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾) [DVD]ハムナプトラ2/黄金のピラミッド   (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾) [DVD]スコーピオン・キング (ユニバーサル・セレクション第6弾) 【初回生産限定】 [DVD]インディ・ジョーンズ アドベンチャー・コレクション (期間限定生産) [DVD]L.A.大捜査線/狼たちの街 [DVD]ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 [DVD]ロミオ・マスト・ダイ 特別版 [DVD]G.I. Joe: The Movie [DVD]ローラーボール デラックス版〈初回限定パッケージ〉 [DVD]悪魔の手毬唄 [DVD]