ズル剥けの粘膜を通して感じた現実の数々。

 とりあえず痛みは引いた。痛み止めのお蔭かもしれないが。代わりに治癒に起因するものか、猛烈な痒みがやってきている。媚薬を局部に塗られた女はこのような状態なのか。誰か経験者は教えてくれ。
 治癒の関係じゃないかもしれない。というのも施術前、俺は看護婦に丁寧にケツ毛を剃られたからだ。勃起まではしなかったが、これが案外気持ち良かった。これは念入りにやられるとかなり興奮するかも知れない。剃毛(されたい)マニアがいるというのも頷ける。毛剃り専門の風俗もあるというが、この切られるかもしれないスリルは得がたいもんがある。行かないとも限らないので誰か行った事ある人は教えてくれ。
…ってそんな話じゃなくて、要するにケツ毛がポツポツ生えて来たから痒いのかも知れない、という事が言いたかっただけだ。
 しかし、痒みが来たにしても、肉体的な痛みは引いたんだ。それに伴い、痛みに意識を振り向ける事ができなくなり、現実ってものが孕んでいる痛みが精神にダイレクトに来るようになった。痛みの引きと同時に、ある一定の圧を持つように押し寄せてくる。元々常に孕んでいたものみたいに。
 小学校低学年の時、友人数人でジャンケンをして、負けた奴が全員の重いしっぺ(体重をかけて、相手の手首の骨に向け、二本指を開いて叩きつけるヤツだ)を食らうか、みんなの前でチンポの皮を剥いて見せて笑われるか、究極の選択を迫る遊びが流行った事があった。10歳にもならない身でチンポの皮を剥くというのは大変な苦痛で、かつ笑われるのだから、俺にしてみればチンポの皮を剥く方が嫌だったが、負けるたびになぜか俺はそっちを選んだ。そして今の俺がある。
 剥く痛みだけでなく、剥けたチンポの先は完全な粘膜で、その先には痛覚しかないような、自分の内臓が曝け出されているかの恐怖と後ろめたさと、肉体の痛みに反した精神の高揚があった。その高揚ゆえに俺はその罰ゲームを選んでいたようだが、今は全身がそのチンポの先になったような痛みがあり、精神は沈み込む一方だ。全身はチンポになっても、使い物にならず痛みに震えるガキのチンポというわけである。皮は戻らず、割礼を全身に施されてしまったようなものだ。それでも、こうした遊びを思い出す機会にはなったし、痛みの中で触れてきたものを再度見直し、そのフィルターを通して書いたものもある。以下の映画にまつわる雑文なんかが、その状態を通したものだったりする…。


 7月の映画の日、一本目は「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」へ。何で今頃やらなければならないのか。それは契約があるからその消化のためだ。だからヘンリー・シニアも死んだ事になってるし、前作から現実と相応の年月が経過しているという設定にしなければ通用しない程、ハリソン・フォードも老けた。時代は宇宙開発時代に入ってるから、宇宙人ネタというのは極めて安易だし、そうなると考古学でも何でもないが、二転三転の果てに完成しただけでも良しとしよう。確かに最初から観ている人間にはそれなりに微笑ましいシーンもちりばめられていて、適度な残酷さや、アークのアバウトな扱いは維持。被爆してもピンピンしているのは聖杯効果ならば、まだ続きは作れるかもな。今回はドラマ版「ヤング・インディ」の90歳インディが片目なんで、片目失うかと思えばそんな事もなかった。大収穫として、イリーナ・スパルコは、俺の殺されたい女一位に急浮上したが、敵はナチであるに越した事はない。


 7月の映画の日、二本目は「告発のとき」へ。イラク帰還兵である息子の行方不明事件に、元憲兵の父親が独自の捜査を始めるという謎解きの見せ掛けをしているが、大義のない戦争に触れた全ての人間が、人生の価値観を根底から覆されるほどの狂気に陥り、かつその過ちに誰も気付く事がないという、イラク戦争だけでなくアメリカの現在そのものを抉った作品。だから邦題は作品の意図はそのまんま表現しているが、原題は「In the Valley of Elah」で、旧約聖書ダビデが巨人ゴリアテを石つぶてだけで殺した丘を指している。これは自らも憲兵として、軍規や正義感で人格を高め、国の礎を築いてきた父親の価値観で、この巨大な狂気に対峙できるのかという事に準えられている。だから折に触れ父親が軍隊生活に培われた人格者である事を仄めかす描写が入るが、それが堅実ではあってもささやかであるが故に、無力感に陥る。対する狂気はひたすら無神経で、最終的に父親は現実が自分の人生=アメリカの価値観を否定している事を知るのだから。イーストウッドが制作協力しているためか、そこには世界があらかじめ持っている悪意の存在が感じられ、ラストの“逆さ星条旗”はその毒に苦悶の叫びを上げているようだ。


 7月の映画の日、三本目は「ミラクル7号」へ。基本的に「Mr.BOO!」とかのテレビ放送版を基礎的な栄養として育ってきた人間としては、そりゃ当時よりは洗練されてはいるが非常に正しい香港映画のあるべき姿を見る思いだ。貧乏ネタ、ウンコネタ、理不尽ないじめネタ。人間の生理に一番近い浸透圧で入ってくる。つまり異物としての見所は宇宙人なわけで、そこは凝視するといいかも。今回はおなじみの美人にブサイクを演じさせる手法を子供に生かし、成功。逆に大人には従来の手法を使わず、キティ・チャンはシンチー映画史上最も美しい。また、シンチー自身は息子(ここを女の子に演じさせるところが従来の手法と言える)への愛情の部分以外はとことん冴えない。それが“外しの美学”として作用し、成功。


 7月の映画の日、四本目は「REC/レック」へ。もう「クローバーフィールド」で充分に懲りたはずなのに、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、つうか「食人族」や「ありふれた事件」が時効を迎えたと思った(もしくは、作り手のくせに知らないのか?)奴らが作ったゾンビ映画。自画撮りでパニックを追いかけている以上、それがどんなパニックであれ、落としどころは一緒にならざるを得ないにもかかわらず、だ。当然内容もふざけているし、新味はない。つーかこれはお化け屋敷であって映画じゃねぇよ。アメリカ版リメイク「QUARANTINE」にしても、予告編を観た限りはカット割りまで一緒という愚かしさ。でもロメロ天皇の新作「Diary of the Dead」では、自画撮りでも同じ轍を踏むことはないだろうと確信している。


 一観客として「アウェイ・フロム・ハー/君を想う」へ。女優サラ・ポーリーが初監督に選んだ素材は、あまりに痛切で深かった。そして見事に料理しているのだから素直に敬服したい。初老の夫がボケた妻を介護施設に入所させるが、妻は夫のことを忘れていく。ある日、妻が同じ入所者の男にかいがいしく世話をするのを発見するが、それは自分を忘れた妻が恋した男だったわけで、同じくボケた男も妻に恋していた。これは妻からの復讐ではないかとも疑念に駆られるくらい、夫は妻に苦労をかけて来ただけに、夫は妻にとっての本当の幸せを模索し始める。本来は自分の好きな人間の意志が尊重されていることが、自分にとっても幸せといえるはずが、理性で正しいと思えても感情的に受け入れられるのか。偽善ではなく妻が幸せを感じるために何ができるのか。夫の身体を張った賭けで応えようとする分、綺麗事には終わっていない。でもそこはやはり病なのだ。制御できるものではないので、明快な解決は得られるとはいえないが、当人の意思が尊重されず、押し付けの幸せが横行している現実にあっては、厳しい問題提起になっている。


 一観客として「スピード・レーサー」へ。極彩色のCGのみの人工美は、ゲイっぽい色彩感覚に似ているが、この人間が出ていながらの人間不在感こそが、ウォシャウスキー兄弟の目指すところなのだろうという気がする。元来社会的成功者への怨嗟の念で書き上げたという彼らの出世作マトリックス」の人類の視点より、成功して向こう側へ行ってしまった彼らの視点は、「お前ら人間はクサイ!」って言っていたエージェント・スミス的なるものへシフトしており、これはスミスの夢見た世界の顕現なのだ。しかも映画としてそこそこの完成度があり、映像も美しいのだからむしろ天晴れである。人間などバイキンにしか見えない視点はいつでも正しいのだ。それに、完璧に「マッハGO!GO!GO!」であるとは言いがたいが、忠実であろうと心がけた誠意は感じられる。問題はこういう場に覚えたてのナショナリズムを持ち出して、オリジナルの作品の世界観を歪めてまでそれを押し通そうとする、妙な名前の韓国人歌手の主張が通ってしまったことだ。設定を曲げて名前のかみ合わない兄妹に変更して、作品への誠意を捻じ曲げるなら、そんなナショナリズムなどクソ食らえだ。同じ事は「G.I.JOE」のストームシャドー役を無理矢理朝鮮の忍者に設定変更させるまで出演を渋った、イ・ビョンホンにも言える。俺は別に特定の国への偏見で言っているのではなく、つまらんナショナリズムで作品を改変するなら、そんな奴は出るなということだ。分かりやすく言えば、ドルフ・ラングレン版「パニッシャー」でヤクザの姐さんを嬉々として演じたお前らの先輩、キム・ミヨリさんを見習え。「レッドクリフ」だって日本人やモンゴル人が堂々と中国人を演じているんだ。「秘すれば花」だろ。それが理解できないようでは、マコ岩松の偉大さは死ぬまで分からんだろうな。と、ムカムカ来ていた頭には、エンディングで現代風にリミックスしながらも、オリジナルの主題歌をそのまま流す心意気が、ほんの少しだけ心地よかった。


 SPOさんにご招待いただき、「ハピネス」試写へ。といってもこれはトッド・ソロンズとは関係ない。都会での事業に失敗し、次いで肝硬変である事も発覚した男が、田舎の療養所へ都落ちする。そこで出会った最後の幸せの話ならば、「リービング・ラスベガス」の焼き直しのようになってしまうが、この作品はそうは行かない。むしろタイトルが皮肉に思えてしまうほどの、男女の機微とすれ違いが痛々しいメロドラマであった。全てを失った男の前に現れた肺に障害を抱えた女は、男の心の弱さゆえに天使に見えてしまい。恋に落ちたと錯覚して、二人の関係はもつれ合いながら進展していく。しかし男がが回復して行くにつれ、男の身勝手さと、ソウルから都落ちしてきた焦燥が男を屈折へ追い込むのだ。その苛立ちはちょっと「竜二」入っているが、その身勝手さに振り回される女はたまったもんではない。しかも施設に入りっきりで、ろくに恋をして来なかった薄幸のヒロイン。女を捨てて都会に戻ろうとする男に身も世もなく縋る女の卑屈さがリアルで悲しい。そして都会には戻ってみたものの、完全に女への気持ちは断ち切れず、男も次第にダメになっていく様が「ギター弾きの恋」のようだ。そのサマンサ・モートンに相当する、拭い切れない記憶をくれたヒロインに扮したイム・スジョンは、同様に薄幸ながらも「サイボーグでも大丈夫」とはまた違い、諦念の合間に見せる生への希望と、年齢不詳の透明感ある美しさのコントラストを見せて何ともやるせない。インディ・ジョーンズ/ クリスタル・スカルの王国 スペシャルコレクターズ・エディション 【2枚組】 [DVD]インディ・ジョーンズ コンプリート・コレクション [DVD]ASIN:B00130HI8Iミラクル7号 [DVD]Mr.BOO ! DVD-BOX (5,000セット限定生産)新Mr.BOO&マイケル・ホイ DVD-BOXREC/レック スペシャル・エディション [DVD]クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]ブレア・ウィッチ・プロジェクト デラックス版 [DVD]食人族アルティメット・コレクション [DVD]ありふれた事件 [VHS]ASIN:B00130HI4Mスピード・レーサー 特別版 (2枚組) [DVD]マッハGOGOGO DVD-BOXマトリックス [UMD]パニッシャー [VHS]ハピネス [DVD]リービング・ラスベガス?(1995) (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾) [DVD]竜二 [DVD]ギター弾きの恋 [DVD]サイボーグでも大丈夫 デラックス版 [DVD]