童貞期、「まるでランボー(者)」だった回想とか。

 いくらケツが痛くても、痛みが治癒により痒みに変わってきても、相変わらずウンコには難儀していても、断酒が本当に苦痛と感じてきていても、
 …これだけは書いておかねばと感じていた。
 一観客として「ランボー/最後の戦場」へ。俺は正直、スタローン演じる「ロッキー」に匹敵するヒーロー、ジョン・ランボーの事になると、思い入れが強すぎて何を書いているのか分からなくなるので、今回に限っては多くを語る事を避け気味に、慎重に筆を進めたい。
 そもそも何でそんなに思い入れが強いかというのも、多感な時期にリアルタイムで体験し、童貞力の全てを駆使して追いかけたヒーローだからだ。「ランボー」も劇場で観たし、「ランボー/怒りの脱出」の時は後に売り出された日本製の“ランボー2(これは映画のタイトルではなく、ナイフの名前)”タイプのフルスケール・レプリカナイフをお年玉で買った。「ランボー3/怒りのアフガン」に至っては、劇場で「ランボー」マグネットステッカーと、“RAMBO3”とフエルト付けされた「ランボー」バンダナを購入する有様で、それらは全て現在も所持している。
 よくブルース・リーや、「スター・ウォーズ」に関係するものがあると買わずにはいられない性分の人間がいるが、「ランボー」に関しては俺もそうなので彼らの気持ちが良く分かる。今回もバンダナ付き前売り券で観賞、おまけに劇場で「ランボー」レプリカペーパーナイフを購入だ。だから“ベトナム帰りの凄い奴”が暴れるアクションや、「ランボー」もどきのバッタもんはたいていクソでも観てしまわずにいられない(例:フィリピン映画ランボー・ジョーダン/捕虜救出作戦」)。また、テレ朝「水曜スペシャル」枠の「川口浩探検隊」便乗企画で、フジテレビで放映した、みなみらんぼうをジャングルでサバイバルさせる探検シリーズも見ていた(正式タイトルは記憶に無いが、同じフジテレビでも「大川口浩探検隊」ではない)。
 でもその中には「ランボー/地獄の季節」もあって、これは全然ジョン・ランボーとは無関係で、アルチュール・ランボーの伝記映画なんだが、タイトルに抗し切れず観てしまった。それでも原作小説「一人だけの軍隊」の作者、デヴィッド・マレルは主人公の名前を彼からいただいたというから当たらずとも遠からずだが、永井豪の「ランボーセンセー」は、当然ながら詩人ランボーとは関係がない。
 前置きはいい加減にして、この20年のブランクを空けた新作かつ続編の「ランボー」、出来はというと、もうマレルによる原作および続編ノヴェライズの設定とは完全に離れてしまっているな。いい設定が見つからない間に「ランボー」の続編を作る事は伸び伸びになってしまっていた上、「ロッキー」と違い、前作とのブランクがスタローンの勘を鈍らせている。それでも「ランボー」という映画キャラクター自体は、「ロッキー」と並ぶスタローンの当たり役と化してしまったのだから、「ロッキー」ほどスタローンの生き様を反映しているものではないにせよ、スタローンがどう改変しようが文句のつけようがない。作品全体では、上手いこと時事的にも騒動の渦中となったミャンマーを舞台に選ぶ事で、時代性をものにし、「七人の侍」テイストも取り入れながらも、短くも荒々しい活劇に仕上がっており、その過激な暴力性がイヤでも「プライベート・ライアン」以降の戦争映画であることを物語っている。時間はタイトながら、これはテレビ放映は結構難しいだろう。
 細かいことを言えば、シリーズを観て来た人間でないと感情移入しにくい作りをしているが、実は残念なことに、シリーズ通して観て来た人間でも、ディテールにおいて不徹底に見える部分があるのも事実だ。例えば、「〜怒りの脱出」の現地工作員、コー・バオがくれた首飾りはどうしたんだ?とか、仏教に帰依したはずなのに、そんな安いキリスト教的価値観(と安い十字架の首飾り)に動かされていのか?など、思いつくまま挙げても結構多い。だがそういう動機がなけりゃランボーに暴れる場所がないんだから仕方がないとも言えるけどな。もう大佐も死んでるし。
 最近続編の構想も発表されたこのシリーズだが、今回最大の収穫はランボーの親父が存命している事が明かされた事かも知れない。つまり、ランボーを結構意識して創作されたスティーヴン・ハンターの小説、“スワガー・シリーズ”がその後半において、それまで主人公だったボブ・リーの父親、アールの物語として時代が遡っていったように、今後“ランボーの父親”として、キャスト交代、もしくは老けたスタローンの続投により、物語が発展していく可能性が開けてきたからだ。あるいは、スタローン似の若手を発掘し、スタローン自身のプロデュースによって、マッチョ・アクションスターとして育成していくという、裏テーマを設けてもいいかも知れない。
 結局“スワガー・シリーズ”一作目のマイルドな映画化、「ザ・シューター/極大射程」が見事にコケて、“スワガー・シリーズ”映画化は続編の期待が全く持てなくなってしまった以上、そう期待せざるを得ない。というより、そういう形にしてでも「ランボー」シリーズの存続を望んでいるだけで、先に宣言したような“過剰な思い入れ”以外の何ものでもない。それも「ランボー」と童貞を両輪でリアルタイムに進めていた時、部屋でプロテインを飲んでひたすら筋トレに励んでいたら、ランボーナイフでリストカットを覚え、ついでにセンズリにも励んでしまい、結果的にはランボーではなく、せっかく摂取したプロテインを、シコシコ放出するばかりのトラヴィスもどきになってしまっていた事に途中で気付き、愕然とした小・中学生時代に起因している。
 従って、以上の妄想は、例え穿ちすぎであっても、俺の脳からほとばしり出た汁、もとい、極めて童貞的なファンタジーの帰結、童貞期に吸収したものへの憧憬、ということで勘弁してもらおう。そんなこと言ってて、ネタ不足の映画界の現状では、案外実現するかも知れんが。


 6月の映画の日、一本目は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」へ。ポール・トーマス・アンダーソン作品としては、「パンチドランク・ラブ」程度の登場人物で、だが執拗に一人の男の生き様と内面のなさを描いている作品として、大きな挑戦だったんだろう。長尺なのは彼の監督作品の常だが、今回に関しては、本当は二時間半程度なのに、実際にランニングタイムが短かった「パンチドランク〜」よりも長さを感じず、丁寧な暴力描写へのこだわりも「ブギーナイツ」以来に復活しており、集中して見入ってしまった。そう、この主役を演じるダニエル・デイ=ルイスのねちっこさは「ギャング・オブ・ニューヨーク」の焼き直しといっても過言ではないが、彼と対照的に描かれていながら実態は同じであった聖職者の存在によって、結局何に執着してきたのか分からない無常さが滲み出てくる。色々撮り方だとか、音楽だとかにおいて、「シャイニング」との類似性や、監督の目指すところが今回はキューブリック的なるモノだったんではないかと取り沙汰されたが、そうした欲望に突き動かされ、荒野の中を右往左往する人間ども、という視点で描かれている点において、むしろ「2001年宇宙の旅」の影響も見て取れ、悲劇における突き放した人間観は「スパルタカス」や、「バリー・リンドン」にも繋がると感じた次第だ。これらとの共通点が見出せるだけでも必見の重量作であることは間違いない。


 6月の映画の日、二本目は「シューテム・アップ」へ。物語は重視する必要なんか全くない映画。ドンパチやって、人がバンバン死ねばいいという人間には嬉しい着眼点で作られている作品。しかし、本当にそれだけでも困るんだよ。カタルシスがないと。その辺この作品は頑張っているのは分かるんだが、いかんせん弱い。なぜかというと俺のように、銃の知識がそれほどない人間が観ても、作り手の銃やアクション・シークエンスへの知識の浅さが露呈して、「このくらいの浅さで押し切っても、コミカルに解釈してもらえるだろう」という甘えが見えるからだ。それはいくら豪華なキャストでもカバーできんよ。その言い訳に主人公のルンペンは、人も刺し殺せる堅いニンジンに事あるごとにかぶりついていて、これが現実のアクションじゃなくて、カートゥーンのようなスラップスティックだとチラつかせている有様。人がたくさん死ぬ割には本気で笑えないわけで、空回り感は「アドレナリン」とかに近く、期待していた分若干落胆。だったらそんな寒々しいカナダロケしないでもっと馬鹿馬鹿しい場所でロケすりゃ良かったのに。そんなシナリオ、演出、アクション設計のマズさがあっても、主役のルンペン=クライヴ・オーウェン兄貴という部分は満足。それは彼が余りに強烈な「ボーン・アイデンティティー」における敵スナイパー、“教授”を演じていたからでもあるんで、監督よ、感謝したまえ。


 一観客として「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」へ。別に「ランボー」の新作を観に行ったから行ったわけじゃないが、事実上「ランボー3/怒りのアフガン」におけるランボーそのものの役割を、カネと人たらしのスキルで成し遂げた男の物語。そしてランボー同様、現実世界においては、アフガンのタリバン政権樹立に結果的に協力し、間接的には9.11アメリ同時多発テロにまで影響を及ぼしている、ある意味偉人ともいえる男を、プロデュースも兼ねたトム・ハンクスは、マッチョさの欠片もない弛緩し切った演技で、あえてブラック・コメディタッチに仕上げており、マイク・ニコルズの演出意図も明白だ。しかし「〜怒りのアフガン」とは全く相反するタッチでいながら、かつリアルタイムなものと、一時代を総括するという時代背景の違いを見ても、実は2本セットの観賞で、テーマに俄然深みが出てくる好対照な作品だ。ただし、どちらにも共通して登場する、ソ連攻撃ヘリ・ハインドの破壊力、そして頑健さのリアリティにおいては、意外にもこちらの作品に軍配を上げたい。爆薬付きのホイト/イーストン社製アーチェリーでも、こんな凶悪な代物は撃墜できんよ。また、俺は元来、生理的に受け付けないものとしてジュリア・ロバーツという物体があるが、この作品ではやはりカネとセックスで人を籠絡する、実に気持ちの悪い女を演じており、本来気持ちの悪いものを気持ち悪く見せていたので、今までで一番不快感が少なかった。そういう意味では最も気持ちよかったのはエイミー・アダムスの美しさで、取って付けた様なフィリップ・シーモア・ホフマンの説教臭いラストの台詞を前にしても、全く曇りを見せない。


 P2さん/東宝東和さんにご招待いただき、「レッドクリフ」試写へ。正直、タイトルからは分かりにくいが、この作品は本来二部作として作られた前編に当たる作品である。元々長大な「三国志」の物語から、有名なエピソードである「赤壁の戦い」を映画化したものなので、作品自体も長大になることは免れず、話は真っ二つに分断されている。何の心の準備もなく観た人は驚くと思うが、今回は人物紹介・戦にいたる因果関係編だ。とは言っても監督はジョン・ウーなわけで、当然スペクタクルな殺戮シーンもあるし、例の生き物も出てくるので安心しては観られる。それでも、前後編が完結してからでないと、作品そのものの批評は出来ないので、深くは書かないが、やはり曹操は前編ではかなりの悪人、かつ孤独な男として描かれている。孫権は義に篤いが押しは弱く、孔明は穏やかに見えて大胆、という、やや従来型の人物造形の中で、劉備はかなり影が薄い。後編への興味のつなぎどころは、戦い全体を統括する周喩の文武両道の色男ぶりが、戦いの中でどう開花していくのか?である。これはチョウ・ユンファじゃなくても問題ないが、ユンファ版も観たかった!あとこの作品、結構最近食傷気味な歴史スペクタクルにあって、かなりヘアメイク、要するにヅラの表現に新味を入れようと努力が見て取れる。つまり特徴はあるが「墨攻」のような不自然さはないので、後編の戦いによる頭髪の乱れ方にも注目だ。ランボー『ランボー最後の戦場』劇場公開記念スペシャル・プライス版(初回限定生産) [DVD]ランボー 怒りの脱出『ランボー最後の戦場』劇場公開記念スペシャル・プライス版(初回限定生産) [DVD]ランボー3 怒りのアフガン『ランボー最後の戦場』劇場公開記念スペシャル・プライス版(初回限定生産) [DVD]一人だけの軍隊 ランボー (ハヤカワ文庫)ランボー―怒りの脱出 (ハヤカワ文庫 NV (385))ランボー3―怒りのアフガン (ハヤカワ文庫NV)ロッキーDTSコンプリート・コレクション [DVD]ランボー 地獄の季節〈無修正版〉 [DVD]ランボー・センセー (ヤマト・コミックス・スペシャル)七人の侍(2枚組)<普及版> [DVD]プライベート・ライアン アドバンスト・コレクターズ・エディシ [DVD][rakuten:yamahide:10000318:image:small]極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)極大射程〈下巻〉 (新潮文庫)ザ・シューター/極大射程 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]悪徳の都〈上〉 (扶桑社ミステリー)悪徳の都〈下〉 (扶桑社ミステリー)最も危険な場所〈上〉 (扶桑社ミステリー)最も危険な場所〈下〉 (扶桑社ミステリー)ハバナの男たち 上 扶桑社ミステリー ハ 19-12ハバナの男たち 下 扶桑社ミステリー ハ 19-13タクシードライバー スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [DVD]パンチドランク・ラブ DTSコレクターズ・エディション [DVD]ブギーナイツ [DVD]ギャング・オブ・ニューヨーク [DVD]シャイニング [DVD]2001年宇宙の旅 [DVD]スパルタカス スペシャル・エディション (ユニバーサル・セレクション2008年第1弾) 【初回生産限定】 [DVD]バリー リンドン [DVD]シューテム・アップ [DVD]アドレナリン [DVD]ボーン・アイデンティティー スペシャル・エディション [DVD]チャーリー・ウィルソンズ・ウォー [DVD]