実は、スマイリーキクチは…。

 笑顔が俺の亡くなった母方の祖母に似ている…。と、俺も最終的に賛同したが、昔、最初に言い出したのは俺の弟だ。だからスマイリー見ると、祖母と弟を思い出す。ただ、自分の発言に一切責任を持たない弟は、現在その特質を端緒として俺から絶縁を申し渡しており、恐らくそれを自覚できないだろう。そもそも自覚能力がないのだ。
 別に愛する弟を非難したいわけじゃない。要するに、単なる発言はもちろん、ましてや人を非難、批判するには己の立場や肩書きの明示と、批判するだけの根拠が必要なんだ。それが出来ないくせに、こうした場で暴言を吐いたり、軽口を叩いているのは、ヒステリックな謗りを受けるのを覚悟の上で言ってしまうと、“匿名、顔出しNGは全て卑怯者”ということになる。
 ゆえに、一応俺は顔出ししてる。どアップ過ぎとか、グラサン外せという批判はこの際無視だ。なぜなら、俺は被疑者が現在別件で逮捕・拘留されていても、その人間が過去に犯した、立件されていない脅迫事件の被害者であり、その事実を深く勘案した上でのグラサン・どアップ・モノクロ・ヒゲ(しかも粒子粗め)に行き着いたからだ。
 そういう意味では内容も政治的立場も全く違うが、“本多勝一方式”なのは重々承知である(でもヅラじゃない)。しかし、少し前に処刑があった、「JT女性社員逆恨み殺人事件」のように、法による被害者救済が真の意味でされないうちは、犯罪の立件(場合によっては通報)もままならない現状があるので、敢えてそうしている。しかも今回拘留されている模様の犯人が問われている罪状は、前も書いたが強盗傷害に相当するもので、罰の軽減傾向にある罪科でもあり、「ミーガン法」に類するものが日本でも確立されない限り、余計この防御を解くわけには行かん。
 この犯人の場合、俺の無修正顔面写真を犯人が(間接的に俺の殺人教唆を企図した女より)入手している可能性が非常に高く、さらにそうした教唆を容易に受け入れ、ためらわず実行する人格障害者なのは明白な人間で、報道では今回の取調べでも否認・黙秘を続けているらしい。むろん狂気の沙汰だが、特に脳病院等に入れられずにここまで来たのには、精神病ではなく、精神病質を伴う人格障害と診断されているためだろう。現に、俺を標的としている時も、不明ながら別件で逮捕されていることを確認している。
 まぁ、俺の顔出しにはそうした事情や理由があるというのをいつか書きたかったんで、ここでついでに書いたんだが、そういう意味で俺は顔出し・名前出しは実践していると思っているし、現状はこれが限界だ。
 顔出しだからといって特に過激なことを書いているつもりもないが、“書く”覚悟の表明としては当然と考えるだけに、スマイリー絡みの不届き者への書類送検は当然で、根拠がないなら他人を攻撃すべきでなく、まして匿名は卑劣の極みである。俺は、俺を電話から顔を出さずに執拗に脅迫したような、卑劣な人間と同じになることはしない。根拠のない攻撃はしないし、攻撃するなら顔も名前も根拠も出す。なぜか?分からない人に向けて説明すると、それをしないことは、俺にとっては“自分に対して恥ずかしいこと”だからなのだ。
 話は変わるが、過去、「犯罪地獄変」という本を執筆した時に、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」も犯罪史を代表する事件として取り上げる方針であったが、事件を調べれば調べるほど、その酸鼻を極める内容に、“恥を知っている”編集部一同は事件を記事化することを断念した。そしてその最終判断は、今でも正しかったと考えている。よって取材は中断したので、真偽は定かではないが、それほどの重大事件に対し、関係の有無を調査もなしに取り沙汰すべきではない。まして無関係の人間であるなら尚更である。叩かれるべきは完全に裏の取れている犯人だけでいいのだ。
 こういう不届き者には、件の事件以上の鬼畜ぶりで、以降犯罪史を塗り替えてしまった、“真の鬼畜”に説教してもらった方がいいかも知れない。彼は説教などできる柄でもなければ、既に現世にもないが、彼の持っていた、“かい人二十一面相”に匹敵する、マジに特殊過ぎる関西言語グルーヴには本当に人を叱るパワーがあった。それは論理を超越して人をねじ伏せる、「日本むかし話」のような強引な魔力だ(と関東に生きる俺は勝手に思っている)。その負の力を借りて、以下にアレンジを展開したい。何でって?奴の怒りの原文が俺の頭に閃いたからさ。原文やその筆者(死刑囚)については、分かる奴が分かればいいんじゃねぇの。分からん奴は、ただその言い回しに圧倒されろ。(以下=〜=)


コラッ 荒らし おまえら、何に隠れているんや。おまえらは、卑劣や。
ただ通報をびびって、無責任発言している卑怯者や。
人間のプライドが、少しでもあるのやったら、顔出すなり、筋通し、
不条理な中傷に根拠をつけて、反論なり、論戦なりに、挑まんかい。
ウジウジウジウジ、溜飲下げてるのか。
何を書いているのか、知らんが、おまえらは、卑劣や。
自分の現住所晒すまでは、せんでいい。
自分の顔をズバッと写真で出してみろ、隠すより顔を晒した方が、発言によったら、
尊敬が、得られるし、脅したら、警察の手が入るけど、顔を出しても暴言は、吐ける。
顔を出せ 名を出せ 顔を出せ 名を出せ

 忌々しい文章だぜ。でもそれくらい、感情で動く、顔出しNG人間は卑劣で忌々しいんだよ。結局恥辱を知らぬ同類と知るべし。


 そんなことより、大事なのは映画だ、映画。全てに優先する。俺にとっては人命よりもな。クソが金になり、唯一のファンタジーが許される、ホドロフスキー的世界へ逃げ込む。


 一観客として「ファニーゲームU.S.A.」へ。一目瞭然、オリジナルのドイツ語版と何ら変わらない作品。その徹底振りはカメラワークやカット割り、照明までオリジナルとほぼ同じで、前半の伏線と暴力描写軽減の配慮がやや見られるが、監督も同じだけに自作への自信が覗える。つまり、この英語版は、安易なリメイクが横行する映画界で、その無意味さへの告発と同時に、何でも英語に翻訳されないと触れようとしないアメリカ人等をバカにしつつ、ついでにカネも巻き上げたと理解したい。だからオリジナルの露悪的な人命軽視も顕著に残り、観る人間によっては全く同じ不快感を抱ける。ただ、こうした暴力の生々しさは、無名俳優の方がリアリティが出るんで、知っている顔から暴力映画に引き込まれている観客に対し、カメラ目線での“語りかけ”により安易に内省を迫られても白ける。しかも、暴力を延々見せて、その危険な快楽へ観客を引き込む、ジム・トンプスンのような作り手の邪悪さはない。監督を絶賛しているウエルベックは今回、どう受け止めたろうか。所詮、暴力映画など娯楽商品なのは自明だが、それを傲慢にも批判する嫌味な映画である。オリジナルのオバハンは、透け乳首を見せてたが、今回はナオミ・ワッツなのに、ずっと下着で全体露出は多くても「21g」みたいな乳首出しは無。もったいないぞ。


 一観客として「ヘルライド」へ。スピード、セックス、暴力。全てが揃って確かに悪くないが、今、昔と同じ方法論で撮られた西部劇を観ても仕方がないように、昔ながらのバイカー映画なんで、アメリカで黙殺されたというのも頷けるだけの、時間を無駄にした感が残る。ただそれが悪いのではなく、伝説のバイカー俳優、ラリー・ビショップをジャンル映画で復活させる構想は実現したし、そこにデニス・ホッパーデヴィッド・キャラダイン、そしてヴィニー・ジョーンズまで参加するスケールの作品として結実したんだから、売れようが売れまいがこれは成功だ。要するに、今日的な視点が絶望的に欠如しているので、同時期の変化球ながらも、紛れもない現代のバイカー映画だった「団塊ボーイズ」との比較においての悪評である。邦題は最悪でも、「団塊〜」と本作はレイ・リオッタの圧倒的な暴力性と、ピーター・フォンダの出演が好対照を成しており、バイカー映画の今後を考える上では外せない一本なのは間違いない。しかし同時に暴力とエロの直接表現に乏しいのも事実で、ゆえに本作ではそれらが全開。特に非白人のケツとオッパイが大量に拝めるのは得した気分になる。だからといって、そのサービス過剰に恐れをなした日本の配給が、勝手に陰毛や残酷描写に自主規制を加えていいことには、断じてならねえ。


 一観客として「ワンダーラスト」へ。マドンナの初監督作は、自分の若い頃を投影しながら、歌で表現し切れない深い哲学と人間洞察に富んだ良質な青春映画だった。そういう意味で「キッズ・リターン」と似た構造の作品である。しかもそれだけに普遍的で、ストレートに心に迫るので、俺も泣けてきたが、一般的なマドンナのイメージを求めたり、コピーに釣られた人間は拍子抜けするだろう。過去の彼女の出演作に関連する要素もないし、そもそも彼女は監督に徹しているので、まずはそこに強い気迫と好感を覚える。さらに伝えたい事が明確なので、展開にブレもなくスピーディ。登場人物は一見、全員屈折していたり淀んだ人間性を持っているように見えるが、単純な善悪の線引きをせず、全ての役に二面性が抜かりなく描かれているので、結局はマドンナ自身の人間賛歌に落ち着くのだ。だから原題は変えない方が内容が伝わったはずだ。あえて人物のミスリードを誘う存在として、ガイ・リッチー組二名が投入されているのが今観ると笑えるが、キャラでは主人公のひとりを演じたユージン・ハッツが、本来なら「ダークナイト」でトゥーフェイスがより深く語るべきだった哲学で一席打つ冒頭から、強烈な存在感で物語を牽引し切って最高だ。でもあのバイトは日本では成立しないから、くれぐれも真似しないように。 


 20世紀フォックスさんにご招待いただき、「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」試写へ。原著由来の題に反し、これは家族の物語だ。「ゴッドファーザー」が暴力映画でないように、犬映画ではない。そうした動物エクスプロイテーションなら、約二時間も尺が必要なはずなく、その証に極めて丁寧に家族の物語が紡がれる。犬は家族の触媒でしかなく、それは「ある島の可能性」でも指摘された、“愛するように作られた機械”としての役割だ。だがこのマーリーは駄犬で、犬を飼う負の部分もむしろ強調されている。俺は犬を飼った事はないが、理由はその死を軽く受け止められるほど傲慢ではないからで、それでも現実を直視し、人間、ならびに犬の生と性に踏み込んだ本作は、つまり反動物エクスプロイテーションの側面や、死の恐怖を知らない犬の偉大さも盛り込まれ、これなら犬偏愛派のティム・バートンも納得だろう。個人的に自殺未遂後初のオーウェン・ウィルソンは“例の男”や弟と絡まずに、適度に軽妙さを削いだ演技で、「エネミー・ライン」系列の誠実さを貫いた。彼の親友役が「X-MEN」のマルチプル・マンなので、何度も話に絡むのはギャグに見えるが、ジェニファー・アニストンはやはり可憐であり、彼女が前夫に望んだような幸せが、作品を通して実現されている様が、悲しくも微笑ましい。アレハンドロ・ホドロフスキー DVD デラックス BOX犯罪地獄変ファニーゲーム [DVD]内なる殺人者おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)21グラム (初回出荷限定価格) [DVD]WILD HOGS/団塊ボーイズ [DVD]イージー★ライダー コレクターズ・エディション [DVD]グッドフェローズ [DVD]キッズ・リターン [DVD]スナッチ デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]ダークナイト 特別版 [DVD]ゴッドファーザー コッポラ・リストレーション DVD BOXある島の可能性エネミー・ライン (特別編) [DVD]X-MEN トリロジーBOX [DVD]