控訴取り下げ、再手術確定、とか。

 それは俺が入院した、千葉県随一の肛門科を持つ(と自己申告している)、病院で施術後、確定申告や医療費控除の関係で必要な書類を医者に発行してもらいに、イレギュラーで普段行かない曜日に病院を訪れたことが発端だった。要領を得ない上、顔も見知らぬバカ医者は、書類の発行だけすればいいのに、功名心に駆られて俺の肛門を診察しようとしたのだ。それも施術後他の医者が、俺にとってはまだ早過ぎることを理由に忌避していた方法で。
 つまり、おもむろにクスコのようなものを持ち出して俺の肛門に突っ込み、癒着してさえいない傷を裂いたのだ。絶叫した。拷問だった。帰宅後のトイレは惨憺たる有様。Bloodbath。それでも騙し騙し薬で様子を見続けること約三ヶ月、とうとうここに至って、同じ病院の別の医者より、「このまま同じ治療法を薬で続けても完治しない」旨を宣告された。
 要するに早めに治さなかったせいで、傷が潰瘍化、また同じ手術をしなければならないほど、傷を庇うために俺の肛門は狭窄し始めていたのだ。確かに施術前より痛みは退き、長時間座っているのも平気で、酒も「飲んでいい」というまで飲まなかったからか、日常生活に支障はなくなった。だが周期的に傷口はウンコのたびに血を流し、止血に座薬(劇薬)を用いなければならず、また傷口からの滲出液に気を遣い、生理用品のようなガーゼ&ガーゼ止めのサポーターを、常にケツに装着していなければならない状況で、遠出もままならず、決して完治とはいえない状態が続いているのだ。
 今回の宣告は、その生活からの更なる脱出のためには、そう、前回と同じ手術をまた試みなければならないということだ。俺の不養生が原因なのかも、バカ医者の一度の落ち度のせいかも、それが奴らの金儲けの手段なのかも知れん。
 いずれにせよ、ケツの穴の傷が治るたびに、形成手術として新たな傷をつけ続けなければ生きていくことができない男。つまり、若い頃“ヴァンピズム”という“業”の獲得に憧れを抱いていたように、新たな“業”を図らずも獲得してしまったということだ。
 “殺した女を屍姦しながらマンコより麻薬を粘膜吸収しなければ生きていくことができない中毒の男”や、“女のウンコのみを食い続けることでしか生きていくことを許されない男”などのように、フィクションではよくある話だが、即ち、“業が深い”存在となってしまったということである。もちろん、彼らの原点となるべき男は、“美女の血を吸わずには生きていられない男”、ドラキュラその人である。
 まして“背中にケツの穴を作る”とか、“虫のケツの穴が喋り始める”というような幻視を常にしているクローネンバーグが好みそうな題材なんで、もし乗ってくれば、この“業”は喜んで提供したいネタになり得る。
 しかも、彼もかつて「ラビッド」という(一応)吸血鬼ものを撮ったが、テーマは別方向に向いており、“ヴァンピズム”への考察は浅かった。今回“ヴァンピズム”に思い至ったことで、彼もそろそろ本気でこのテーマに向き合わなければならない時期に来てるんではないか?という気も昔からあったことからの連想であって、決して思い付きではない。
 また、俺自身もケツの穴から血を流すのではなく、ケツの穴から血液を吸収する存在になれれば、(その行為のバカバカしさと忌まわしさゆえに)恐らく俺の“ケツ限定の”不死が完成してもいいじゃないかという気も漠然としている。それならそれで、「ブレインデッド」で所構わず屁を垂れる“内臓だけゾンビ”みたいで、素晴らしい進化じゃないか。手術は避けられないんだから、こんな妄想程度のことは、いくらでもしなければならない。


 一観客として「鎧 サムライゾンビ」へ。ルチオ・フルチ好きにはアリかも知れないが、結論から言えば、これはゾンビ映画ではない(ちなみに俺がフルチを好きではない理由は、面白くないから)。なぜなら登場人物が頭部の破壊を試みないのだ。一応ゾンビらしき化け物は鎧兜姿なので、良心的解釈ならその防御効果で損傷を免れているとも取れるが、日本の鎧兜は銃器に大して効果を持たない。要するに本作は「八つ墓村」を元ネタとした、発端を過去に遡る因縁話なので、物語自体が別の着地点を目指しているからなのだ。だから化け物が倒せてはオチにとって困ったことになり、そうした解決策から意図的に目を逸らしているってこと。しかも強盗ミーツ・ゾンビってのは「VERSUS」の同工異曲だし、つまり、「VERSUS」完成が延びる間、室賀厚監督に「JUNK/死霊狩り」としてパクられている系統に連なるので、初めから負け戦に挑んだ割に監督は健闘しているとも言える。確かにやべきょうすけが突出した力演を見せたり、“桜塚やっくん”が実は一番銃の扱いがしっかりしてるという発見もある。ただ、夏目ナナは本作にも出ている荻野目慶子がかつて演じた「いつかギラギラする日」の役を、本人の前でモノマネしてるだけなので、これがAV脱却アピールなら、突き抜けて不快な役に(自ら)アレンジすべきだった。


 一観客として「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」へ。監督がアンジェイ・バートコウィアクだから行ったが、主役に全くアジア感がなく期待していなかったけど、まあまあ。キャラ数はゲームや、以前のヴァン・ダム映画より全然少ないが、キャラ名の修正が今回最大のポイントだ。かつてタイソン似のキャラに配慮した海外のみのキャラ名シャッフルだったので、当時日本の観客は混乱したが、今は彼の威光も地に落ちたってことだ。だから前回感覚で観ると当然俺みたいに混乱する。しかも今回マイケル・クラーク・ダンカン演じるバイソン(旧バルログ)が、キャスト中最も知名度があり、前作で春麗の仲間なのに、ただの悪役なのは驚いた。さらにバンコクが舞台でもサガットが出ない致命的な失点のフォローか、チェン・ペイペイジョシー・ホーなど、ゲームと関係ない香港系キャストが充実している。一応現代的な解釈だろうけど、ベガ(旧バイソン)はただのオッサンで、その割には動いているが、スーツ姿はやはり無理がある。また「モータル・コンバット」の主役、ロビン・ショウも出てて、老け役だからか南原にしか見えないのは笑える。問題の春麗は東洋系でもルックスがバタ臭くて風情を欠くが、脚の太い体型や、飛ばずともスピニングバードキック的な動きの頑張りは評価しよう。


 ワーナー・ブラザーズさんにご招待いただき、「昴ースバルー」試写へ。俺が引越して転入した小学校で、国籍上の差別からいじめられていた女子がいた。俺も新参者なので、どちらかと言えばいじめられる側に回ってもおかしくない立場である。従って彼女に特に関わることもなかったが、黒木メイサを見るたびその女子と、緊張に満ちた当時を思い出す。それは記憶の中の女子と彼女が似て感じるからで、またその連想は、当時の女子が実は美少女だったのでは?と錯覚するほど、現在の黒木メイサに吸引されてしまうのだ。それは言い切ってしまうと、俺が欲情しているということでもある。劇画以外読まないので原作も未読な上、そうした視点だと、かつて「裏街の聖者」として「Dr.クマひげ」を映画化したリー・チーガイは、「不夜城」と比べると、予め画面が提示されたマンガ映画化の方が向いているとよく分かる作品であった。さらに原作では濃密に描かれていると窺わせる部分を大胆に省略する手腕は潔い。それは恐らく桃井かおりにまつわるエピソードなのだが、それでも一番美味しい役なので問題ないし、結果的にAraとのライバル対決に焦点が絞られ、話が進むほどAraは現代劇に向いているとの発見にも至る。だから双方の美貌に釘付けになった観る側はどちらが勝っても納得という、怪獣映画的幸福感がある。小池一夫選集 ザ・テロル (文庫版) 【コミックセット】ゴミムシくん (少年チャンピオン・コミックス) [マーケットプレイス コミックセット]吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)イグジステンズ [DVD]裸のランチ [DVD]ラビッド [DVD]ブレインデッド [DVD]八つ墓村 [DVD]VERSUS ヴァーサス [DVD]地雷撤去隊~THE GROUND/JUNK~死霊狩り [DVD]いつかギラギラする日 [DVD]ロミオ・マスト・ダイ 特別版 [DVD]DENGEKI 電撃 特別版 [DVD]ブラック・ダイヤモンド [DVD]ドゥーム (ユニバーサル・セレクション2008年第12弾)【初回生産限定】 [DVD]ストリートファイター [DVD]モータル・コンバット [DVD]裏街の聖者 [DVD]Dr.クマひげ (1) (講談社漫画文庫)不夜城 [DVD]