今際の際の問いに、果たせぬ不動のアンサー。

 「今何をしたい?」あるいは「死ぬ前に絶対しておきたいことは?」誰が誰にでも問う軽い問いに、俺は死ぬまで変わらずこう答えるだろう一言がある。「愛のあるセックスがしたい」と。なぜなら、俺にはもう二度と、そんなことは出来ない予感があるからだ。はっきり言ってしまうと、年々性欲は落ちているし、それは俺がガキの時分、悪友づてに聞いた「男の生涯の量は“一升瓶三本分”」との根拠のない話をどこかで信じて、それを一刻も早く枯渇させようと蔭ながらシコシコ努力を続けてきた成果が出てきたからかも知れないけどな。
 それは別としても、まず、相手がなければ出来ないので、その相手がいない(それは永遠に失われた、とも言える)のは当たり前だが、さらに、その相手とも心を通わせなければ、(本当は)そんな事をする意味もない。
 キタカタ先生の教えに従い、むろんソープには行くが、それは単なる挿入だし、射精だろ?一応、楽しく会話はするけど、それは他人との関係性におけるそれと同じだし、心の中で「愛のあるセックス」の代替行為として置き換えるための実地再現を金によって果たしているに過ぎない。当然相手には深く感謝しているけど、それは代金と俺の礼節をわきまえた態度で示している。
 ここで言う俺にとっての「愛のあるセックス」とは、相手を心の底から慈しんで、相手と「心までもひとつになれないとしても、せめて肉体だけはこの相手と物理的にひとつになりたい!」との、(かつては自分も抱いたことのある)切実な気持ちから出てくる行動、即ちセックスだと、まずは自分でそう感じられる状態での事を言う。
 しかし、その切実さを感じるほど、誰かに近付き、その懐に入って慈しむような気持ちがそもそも、欠落してしまった。全く威張れることではないが、言い切ってしまえば俺には心がない。動物ですら持っている感情が失われたことで、愛は枯れるものだという実感というだけでなく、昆虫と同等になったのか、人間を超えたのか、不明だ。ただ、漠然と感じるのは、全く根拠のないところではあるが、少なくとも、有機物から無機物に変わってしまったような、不可逆性の変化が俺の内側で起きてしまったのだろう。
 そして、それまで微かにでも自分の中に感じられた感情さえも、その変化は持っていってしまった。与えられる愛ではなく、自分で一方的に抱く愛ですら、今や、俺にとってはただ憧れるだけの、ないものねだりの存在となった。肋骨の隙間を風が吹き抜けていく。
 それを自分の中にさえ持つことが出来ない俺は、肉体の一部が欠損しているのに限りなく近く、語弊はあるだろうが、ある意味においては不具以上に不具だとも言える。
 義肢で補うことさえもできない状態に置かれた、心のない人間は、もう既にそこに存在しないのにも等しいからだ。幽霊、あるいは“透明な存在(笑)”って奴かもな。
 加えて、これは俺の心が自ら生んでいるものかもしれないが、自分を含む全てが怖く、どんなに誰かを愛しても、裏切られることの恐怖から、精神活動は停止してしまった。アパシー。俺は、俺の肋骨の檻の内側で膝を抱えるだけだ。痛みに襲われた人間は、痛みが過ぎるのを身を硬くして待つしかできないように。そしてそれも長引きすぎて、長く寝すぎた植物人間の関節が硬直して動かなくなるように、そのままの形で屍蝋化、風化して行こうとしている。かつての文明の残骸のように。廃墟ですらなく、礎石だけが残っているというか。
 その残された礎石とは、真の用途を無くした厄介なチンコ(陽石)だ。そいつだけが無力に屹立している。こんな奴のご機嫌取りのために、無価値な金を稼ぐ、理由を持たない生だ。だからそんな代替行為に助力してくれる相手には感謝しているし、俺自身が反抗できるとするならば、せめて自力で切除できるタイミングがあればいいんだが。ただ誤解のないように書いておくと、それは宦官のような状態でもなければ、流行りの性同一性障害のような状態でもない。俺は男でいることも、女になることも欲していない。そもそもそのどちらかである限り続く闘争から降りたいのだ。「リトル・チルドレン」のジャッキー・アール・ヘイリーがそうして“いい子”になったように。
 「お前らは、勝手にヤって、増殖して、殺しあってくれ。俺は知らん。」早くそう断言できるようになりたい。ならなければ。


 東宝東和さんのご招待で「レッドクリフ Part2」試写へ。二部作を見終えた後に評価したいと書いたが、やはり最後まで観ないと評価のしようがない作品である。それは史実に沿ったものであるだけに、それがどれだけ忠実か、あるいはアレンジを加えられているか、前編での人物造形が意外に思えたキャラもいたので、そうしたものが変化していくか流れを押さえたかったこともある。だが、全体的な流れとして、当初の人物造形や史実としてのエピソード消化に大きな改変はそれほどなく、「三国志」の一部としても、ジョン・ウー作品としてもバランスのいい出来ではあると言える。つまりはそれだけ歴史書や講談で描写されたスケールが壮大だったわけで、それを見劣りしない映像として表現しただけでも、作品としての評価を超えて、監督に敬意を表したい。観る人間はそこに無理矢理ジョン・ウー的な痕跡を探すことに躍起になるだろうが、実のところ鳩が出るのを楽しめばいいくらいで、特に能動的にそうした観賞をする必要はない。むしろ作品全体のメッセージとして監督の刻印を見出すべきだ。それは各人の命がけの行動の積み重ねが状況を変化させ、時代を動かすという、“血路を拓く”という言葉に相応しい自己犠牲の精神だ。敵の只中に突っ込んでゴミのように殺されても、次に行く人間にはその骸が盾となり、その繰り返しで巻き返しを図ることだってできる。それは監督がこの撮影を通して実感したものであることは間違いがないし、彼ら自身にはその意識はなくても、第二次世界大戦の連合軍によるフランス解放は、同様の死屍累々でなされたものだ。そして恐らく、直面している世界規模の経済危機に対しても、同じような方法で立ち向かうことで乗り切れるのではないかという、監督ならではの示唆が込められているような気がしてならない。香港、台湾、中国、モンゴル、日本のスタッフ・キャストが結集して作られたのが本作であるように、鍵となるのは“滅私”であるということだ。そして各人の“滅私”を引き出すには、指導する人間の“徳”が最も重要である。今の日本人には、これがどういうことか全然理解できねぇだろうけどよ。


 一観客として「ヤッターマン」へ。原典をリアルタイムで観てきた人間としては、評価が辛口にならざるを得ないが、忠実に実写化しようとしても無理なことは監督も分かっているようで、「漂流街」のように、むしろ解体する方向で放棄したならば、その度合いも気になったので確認したわけである。まず下ネタが多い、これは原典を押えてきた層(俺も含めたオッサン)に向けていいことだ。それほどメインではないメカデザインはリアル志向で汚しすぎな上、キャラ感が希薄だが、「メカの素」からロボットの体内でのメカ生成まで丁寧に視覚化した点は評価できる。あとはデザイン的な問題として、マスク着用のキャラは、ティム・バートン版以降のバットマン映画の伝統みたいに、目の周りをマスクと同じ色に塗るべきだった。ドロンジョも本来そうすべきと感じていたために、ひどくマスクに違和感があったが、逆に塗らない“キャットウーマン方式”に意識的にしているとしても、それは惜しい選択だ。“ドクロベエ”という存在のネタばらしや、原典にはなかった映画独自の設定の作り込みは、映画的なオチを考慮すると止むを得ないのは分かるが、やはり蛇足だ。「タイムボカン」シリーズが以降も続いたのは、デジャヴを誘う、ナンセンスでスラップスティックな、マンネリズムの醍醐味という魅力があるからである。だからオチを付けながらも、次回予告を挿入したのは苦肉の策だが、映画の整合性という点では一致していない。実際に原典のマンネリを支えたのが、ほぼ全作で同一声優が担当している、“悪役三人組”であるために、映画化において最も重点が置かれるべきなのは、彼らの描写だけでいいのだ。俺は制作発表の段階から、誰がこの役を演じるにせよ、同一声優による吹き替えを希望していたが、叶わなかった。しかし、ゲストとしては登場していただいているのは、監督もその点に留意していたことの表れと言えるが、中でも最重要人物である、八奈見乗児氏の欠場がつくづく惜しまれ、画竜天晴を欠く。「DRAGONBALL EVOLUTION」の予告では的確なナレーションのお仕事されてたのになぁ…。リトル・チルドレン [DVD]レッドクリフ Part I スタンダード・エディション [DVD]レッドクリフ Part?&? スペシャル・ツインパック [DVD]三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)ヤッターマン DVD-BOX1ヤッターマン DVD-BOX 2ヤッターマン DVD-BOX3漂流街 (徳間文庫)漂流街 THE HAZARD CITY [DVD]バットマン・アンソロジー コレクターズ・ボックス (初回限定生産) [DVD]バットマン ビギンズ 特別版 [DVD]ダークナイト 特別版 [DVD]キャットウーマン 特別版 [DVD]タイムボカン DVD-BOX1タイムボカン DVD-BOX2タイムボカンシリーズ1stエピソードコレクション(PPV-DVD)タイムパトロール隊 オタスケマン DVD-BOX1ヤットデタマン DVD-BOX 1逆転イッパツマン DVD-BOX 1イタダキマン DVD-BOX爆風童子ヒッサツマン(1) [VHS]怪盗きらめきマン OSTドラゴンボール EVOLUTION (特別編) [DVD]