“俺・イズ・バーニング”なんて望まねぇが…。

 よく近くを通る日比谷公園で、先日焼身自殺があったようだ。いつも思うけど、死ぬなら少しでも楽な方法をいくらでも選べるはずなのに、なぜこんな恐ろしい方法を選ぶのか、焼身自殺をする人間の気が知れない。ベトナム戦争に抗議した僧侶は、その死の苛烈さゆえにそれを抗議として身を捧げたはずなのに。それほど俺は焼死を恐れている。
 そして、俺は別に死にたくてこんなことを書くわけじゃないが、死ぬなら様々な凶器や薬物を使うより、俺の心の中に燃える、俺を殺すに足る炎の存在を知っている。それは人間一人を燃やし尽くすには充分すぎる火力だ。元々はこの炎は、他者に対しての様々な憤懣やるかたなさより生まれ、その蓄積が次第に火勢を増していったものなので、理不尽でも本能は「それを俺の中に焚き付けた他者に向けろ」と誘惑する。
 しかし、俺はもう充分に他者によって傷つけられてきたし、それに対抗すること自体を無常と感じ始めている。そもそも(特にある外道によって)その為に殺されていてもおかしくない存在であって、奇跡的に生かされ、生き延びているだけである。なので理性はそれを阻止して、「どうしても炎が噴出しなければならないならば、それを全霊で自分に向けるように死力を尽くさねばならない」と説く。他者を傷つける存在になる位なら、そうなる前に俺自身を俺によって消せ(そして止めろ)ということだ。
 よって、その押し問答で余計にふいごの風は送られ、火勢はより増して行き、俺の中で膨らむ感情と炎のイメージは、俺がいつか自らの宿業によって現実に焼かれてその一生を終えるのではないか?との強迫観念に取り憑かれるほど、燃え盛る怒りと罪の意識を大きく感じる。端的に言えば、俺と俺自身の制御できない怒りが乖離していくように思え、そのために余計罪の意識を感じるのだ。
 その心象の前で俺は当惑するし、また自身が燃える恐怖を募っていく。苦しんで業火に焼かれるのは御免だ。だがそれほど苦しめられなければならないほど、自らの業が深いことも知っている。本当は苦しみによって真実に自らの業を体感しなければならないのではないか?とさえ思う。
 だから、その怒りを外に出すことも、うっかり出して自分に引火することも、ただ身体を硬くして動かずやり過ごそうとする。これは俺の抱く不安や恐怖なので、それに苛まれることが別に償いだとは思わない。ただ、そのままに時間が過ぎて、時間切れになった際、その時俺が一番望むのは、実は鳥葬なのである。今からその具体的な方途を模索しているくらいなので、鳥葬のために俺は俺の死を温存し、燃やしてしまうわけには行かないのだ。
 だが、俺の内側から火が出てきそうなほど、日々高まる、バックドラフトを起こしそうな内圧と、炎のイメージが喚起する恐怖は、現実世界とのバランスを崩しそうで、危うく見えるのは確かだ。あんなものはオカルトに過ぎないが、実在するとすれば、スポンティニアス・コンバッション(人体自然発火)というのは、こういう時に起きるのかも知れない。


 スタイルジャムさんのご招待で、「eatrip(イートリップ)」試写へ。どうも“食”にまつわる様々な仕事をしているらしい、野村友里という監督による、これもその仕事の一環と思しき、映像処女作のドキュメンタリー。冒頭から一貫して“食”にまつわる様々な哲学らしきものを、登場する人たちから引き出していくが、それは千差万別なので明快な答えは映画として出すに至らない。ただ、監督のこだわりとして感じられるのは、調理などの際に生じる食材の出す“音”であって、それを丁寧に拾うことで、その音は全て旨そうに聞こえる。実は俺などは、個人的に偏食が非常に多いケミカルな人間で、ジャンクフードを切らすと禁断症状に陥るくらいなので、各人の語らいの合間に出てくる食材によっては生理的に受け付けないもの(生魚・卵など)もあったが、それでも旨そうな音を発し、盛り付けの際の色彩にも計算された配色がなされているので、俺は実際に食えないであろうとも旨そうに見えるのは視聴覚の快楽になっていたとは思う。また、各人の食への哲学を引き出していく過程で、マグロ仲買人の方が話をする際、一緒に流されるマグロの解体シーンは短いが強烈な迫力。刃物をプライベートでは偏愛してきた俺であるが、それを仕事として、その役目通りにフルに使い切る、職人の矜持と厳粛さが、確かな仕事ぶりから伝わってくる緊張感あるシーンだ。これは後半出てくる鰹節問屋のおばさんの話と併せ、魚文化の国を再確認する上で興味深かった。でも一般的に一番注目されるのは、浅野忠信が素で武者小路千家の宗主より、茶の湯のもてなしを受けるシーンであろう。俺も一応、茶の湯の経験はあるが、その時は妙に堅苦しく、楽しむ余裕など微塵も与えられなかっただけに、その自由闊達さ、宇宙観の広さは、浅野くんを驚かせるだけには及ばない。その深遠な理念が理路整然と語られるだけに、これはVIP待遇でこの場だけそう言っているのではない気にさせられる。しかも、その世界観の強化に一役買っているのが、その後に登場する、齢90と紹介される池上本門寺法主へのインタビューで、欲望に忠実なその砕けた語り口や、結局のところ神仏ではなく“現在の自分こそが重要なのだ”と、ニーチェばりの宗教否定を(暗に)言ってのける姿勢には驚きと同時に好感が持てた。最後に母親まで登場して語らう、浅野くん親子の関係性も奇妙な軽さを持ち、本来は監督の他の活動を熟知した者ならば別の視点で得るところも多いんだろうが、テーマとする食とは別の部分でも、ランニングタイムは短いながらも見所は多い。アメリカン・デス・トリップ 下 (文春文庫 エ 4-14)レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンバックドラフト 【プレミアム・ベスト・コレクション】 [DVD]善悪の彼岸 (岩波文庫)この人を見よ (岩波文庫)スポンティニアス コンバッション?人体自然発火? [DVD]