“ふりだし”で得た感覚と、観た真実。

 自信喪失と疑心暗鬼に固められて身動きの取れないまま、そうした鎧に閉じ込められた俺の選択力、決断力は共にどんどん弱まっている。よって、この境涯は、自ら妥協の果てに選び取った産物だったとしても、その細かな決断時に残った疑問が蓄積し、いつしか思い描いた環境と、現実の決定的な分裂に気づいた時には遅く、単なる肉体の不快感で、ようやく置かれている状況に目を覚ますほど鈍っている。どうやら俺は、心の反射神経も落ちているらしい。
 だから鞍を着けられて初めて、馬具一切で拘束されたことのない俺は、肉体が猛烈に反発することが分かった。なぜかそこでは、牝に鞍は強制されておらず、馬具一切が強制されているのは牡だけだった。すべての牡はそこに疑問を持つ教育すらされていないので、不自由であることも理解できず、汗を流して放牧されている。
 しかも環境一切は牝のご機嫌取りに全て調整されており、牡の不快感を軽減するような配慮は一切見受けられなかった。俺は放牧それ自体に意味を感じなかったし、やるべき家畜労働も与えられなかったので、飼い殺しの意向に抗い、ひたすら異端思想の研究にその時間を充て、無駄な時間を過さないようにやり過ごした。
 かつて喰らった手錠と同じに、約一月に渡って馬具は全身をギリギリと締め上げていた。従って、かつて釈放された時と同じに、解放された俺はまず走った。その全身には、バンコクで連射した弾丸の貫通力が、全弾を撃ち尽くした俺の達成感が、まるで復讐を遂げたように重なってぶり返してきた。気づけば鳥肌が立ち、勃起していた。それは恐らく、安易な判断や妥協によって理不尽な拘束に自ら飛び込んでしまった、俺自身に対する肉体からの抗議だった。
 結局、“ふりだし”には戻ってきたが、もう二度と行くべきでない場所だけは身をもって知ったということだ。そこで昔読んだ本の登場人物によるダイアローグが、ひときわ強く脳内で明滅した。
「そんなことをしてなんになる?また褐色の肌をしたどこかの下衆野郎の使いっ走りに戻ろうってのか?いやいや、そんな下らん真似はもうごめんだ。このまま行けるところまで行ってみよう、そのほうが自分のためになりそうな気がする。むろんその道が行き止まりなのは知っている。それが、チャンスのひとかけらもなく、たとえチャンスが巡ってきても一顧だにしないおれのような男にとっての相も変わらぬ末路にほかならない。だが肝心なのは極道なら極道らしく歩いていくことだ。それしか道がないのなら、せめて最後までそれらしく進んで行こうじゃないか」〜ジョージ・P・ペレケーノス/松浦雅之(訳)『愚か者の誇り』より〜


 一観客として「パニッシャー:ウォー・ゾーン」へ。「今までの全部なかったことにしてくれ!」という魂の叫びが聞こえる、三度目の正直。革ジャンも余計な黒のロングコートも要らないし、機能面でもコスチューム的にも今回のものが最もパニッシャーに相応しい(このスタイルなら、所謂『愛知長久手町立てこもり発砲事件』でもSAT隊員は殉職しなかった)美がある。初期セガールにも若干似た(注:ハゲではない)、レイ・スティーヴンソンの精悍なルックスも頼もしい。黙って容赦なく皆殺しを果たせば、このキャラに演技力なんて必要ないのだ。仕切り直しでもここまで徹底してこそ初めて原作に肉薄できたと言える。
 またヒロインとして、この手の仕事を立て続けに引き受けているジュリー・ベンツも、役の薄幸さが美しさに磨きをかける。今回はランボーの引き立て役でもなく、悪女でもないけど、やっぱりジュリー・ベンツは官能的なブルネットに限る。ジュリー・ベンツで思い出したが、スタローンも体力面の衰えをカバーすべく、「ランボー/最後の戦場」で暴力描写の凄惨さに力を入れ始めたように、「The Expendables」とは別に、今後ピンではいくつかのチャールズ・ブロンソン作品のリメイクを検討中のようだ。その一つで、代表作でもある「狼よさらば」に限らず、ブロンソン出演作といえば、そのテーマとして圧倒的に復讐(あるいは“ヴィジランテもの”)が多いのは周知の事実だ。よって、スタローンもきっと復讐による大量殺戮が満喫できる作品をものにしてくれるだろう。
 話を戻すと、今回のパニッシャーに関して言えば、これ以上娯楽としての暴力に何を求めろというのか?というほど身体損壊(特に頭部)を盛り込んだスプラッター的な幸福感に溢れた、映画的良心(=見世物)そのものである。シナリオだとか、設定、構成上の不備をあげつらう格好の標的になりそうな作品でもあるが、もとよりパニッシャーが好きな人間は、その映画化作品を忠実な“暴力超大作”として作り込まれていることしか求めてないし、別にパニッシャーが本気で葛藤しているのなんか誰も観たくないんで、作品に復讐のための暴力だけが盛り込まれていればいい。むしろ、復讐は暴力描写のための方便で全然構わない。
 普通エロ劇画を読みたいとき、描画の緻密さにはこだわっても、物語の必然性にこだわるバカはいないだろう。エロくて、抜けりゃいいんだから。人間のエロ描写と暴力描写への希求は、構造がかなり似ているので、結局のところパニッシャーは“暴力を楽しむポルノグラフィ”、これでいい。もちろん、日本では理解されにくいだろうが、同時にそれは治安も日本より格段に悪く、かつ銃社会でもあるアメリカだからこそ、切実で顕著に求められる消費物でなければならない。本当の世界は、ガス抜きとしての暴力表現を常に、絶対に必要としているのだ。そうでなければ、コミックへの一定の支持において、試行錯誤を続けながらも繰り返しパニッシャーが映画化されている意味がない。
 それに今回は拷問とか余計なことをせず、「敵は必ずブッ殺す」という姿勢において、ようやくその成果を出した。下水道でフルチンの懺悔をすることもないし、また、安アパートを借りない、正しいパニッシャーのアジトが初めて出てくる点も画期的だ。ガジェット的には、ガンマニアが喜びそうな仰々しい珍銃も山ほど出てきて目の保養になるし、中でも“折りたたみ式ボウガン”はその収納時の形状のコンパクトさ、音が出ない兵器としての凶悪さにおいて、ひときわ美しく描かれている点も必見。ここまでこだわりと原作への誠意を発揮したレクシー・アレクサンダーは、「フーリガン」の監督でもあるために注目していたが、キャスリン・ビグロー(早く『The Hurt Locker』を公開してくれ!)以来の硬派女性監督として、今後も信用できる事がハッキリした。
 ただ、今回敵となる“ジグソウ”の誕生過程が出来の悪いニコルソン・ジョーカーそのものなのが、パロディとしてはあまり機能していない点は非常に残念だ。なぜならジョーカーのように真の狂気に陥らない(グロテスクに美を見出すまで至らない)ので、若干説教臭く、色々自己正当化の詭弁めいたことを発し、突き抜けた悪が表現し切れていないのだ。その弟もなぜ狂人なのか説明が足りないし、説明がないならもっと狂っていなければならない。
 それでも日野日出志的グロ風味のあった原画を尊重したビジュアルの上、ドミニク・ウェストの風貌も残した造型は、非常に悪趣味で評価できる。このメイクのお蔭でウェストも、「300」以上のテンションを維持して極悪非道ぶりを発揮してくれた。それは“動けるメイスン・ヴァージャー ”といった趣で、やっぱりセガール作品を意識しているのか、ロシアン・マフィア相手に、「沈黙の陰謀」と全く同じ殺しのテクニックも披露。そこからさらに“浅い「イースタン・プロミス」”とも言うべきロシアン・マフィア描写も怠りがない。
 これ以上ネタバレをし続けても意味がないので詳細は省くが、要するに今までの負い目からか、サービスてんこ盛りで、そもそも今回の仕切り直し自体、前作のトーマス・ジェーンが降りた結果の産物であるため(アジト内のギターケースに注目!)、一応エンドロール後に片目サミュエル(ニック・フューリー)の登場を待ってみた。しかし結果は言うまでもない。パニッシャーの参戦が、今後の「The Avengers」の世界観をブチ壊しにしかねないので、出さないのは正解だろう。けれどもこのシリーズは単独で何回仕切り直ししてもいいから続けて欲しいもんだ。追いかけてる俺のような人間は世界中にいるぞ。愚か者の誇り (ハヤカワ・ミステリ文庫)パニッシャー [VHS]パニッシャー コレクターズ・エディション [DVD]パニッシャー : ウォー・ゾーン [DVD]ハード・トゥ・キル [DVD]死の標的 [DVD]アウト・フォー・ジャスティス [DVD]ランボー 最後の戦場 コレクターズ・エディション [DVD]ソウ5 DTS【アンレイテッド】エディション [DVD]狼よさらば [DVD]メカニック [VHS]フーリガン [DVD]バットマン [DVD]300〈スリーハンドレッド〉 [DVD]ハンニバル [DVD]沈黙の陰謀 [DVD]イースタン・プロミス [DVD]ニア・ダーク/月夜の出来事 (ユニバーサル・セレクション2008年第7弾) 【初回生産限定】 [DVD]ラブレス [DVD]ブルー・スチール [DVD]ハートブルー アドバンスト・コレクターズ・エディション [DVD] [DVD] (2006) キアヌ・リーブス; パトリック・スウェイジ; ロリ・ペティストレンジ・デイズ [DVD]K-19 [DVD]アイアンマン デラックス・コレクターズ・エディション (2枚組) [DVD]