二度目のアナル切開を前にした逡巡など。

 身辺整理を済ませ、入院および手術を決め、期日までに一月を切る。ところが不自由ではあっても不安ではないのだ。それには、病院で何をされるか?が分かっているのと、現実の生活で特に痛みを伴わない点が大きく作用している。痛みがないからには生きている実感も薄く、そのような現実などクソ以外の何ものでもないので、リアリティや意味を現実以外に求め始めていく。
 俺の場合は、最も重視していると言っても過言ではない、夢の世界がそうだ。夢とは、俺のために俺の無意識が想像力の限りを尽くして見せてくれるもう一つの現実であり、幻覚であり、映画なのだ。だからそれ以外の現実と下らん時間を映画で埋め尽くし、クソの方の現実をやり過ごしている自分がいるわけで、映画は言い換えれば他人の想像力を使った、夢の代用品である。
 しかし、ケツを“ケツ屋”に切り刻まれるに当たり、現実における悲惨な経験のフラッシュバックを軽減するのに効用があった、もう一つの要素、酒が断たれることとなった。こればかりは麻酔が効かなくなる恐れがあるから当然だが、前回も経験していて予期もしていたけど、長期に渡って会わなかった親友のように、知ったような顔してあいつの記憶は襲って来た。そうだ、あの狂った女の記憶が。
 それが現実の延長線上に襲ってくるのは仕方がない、これは人格障害の人間に関わった事によって生じる、PTSD特有のフラッシュバックなのだそうだから。他の行為で埋め尽くせばいいのだ。「ファイト・クラブ」で睡眠薬を過剰摂取したマーラが、“眠らないように”タイラーに一晩中のファックを要求したように、理性的な思考の入り込めない代替行為で埋め尽くせばいい。
 実際、現実の方はプリミティブな労働を自身に課し、埋め尽くす事で回避できたわけで、それで何とか凌いでいる。でも、夢の世界はそうは行かなかった。禁酒によって、眠る際、医者に処方された睡眠への移行を容易にする薬物の力を借りる事になったので、そのせいもあるかも知れないが、五日連続で狂った女が夢に登場した時はさすがに凹んだ。ある意味、夢の世界までも侵略されてしまったような感覚である。特に、そのうち四日目は現実に起きた事の単なる焼き直しに過ぎなかったのが殊更応えた。つまり、“夢におけるフラッシュバック”までをも経験した事になる。
 それは、俺が実際に文章を生業にしようと試みていた時に起きた出来事で、一度だけ“落としそうに”なった事に関連している。しかも、俺が集中して原稿に取り組むために、耳栓をして周囲の情報を遮断していた事に端を発しているらしい。後からその気違いの女が述懐したところによると、気の入った受け答えをしなくなった俺が、インターネットに接続してエロ画像でセンズリをし始めると思い、それが嫌で妨害に及んだとの事だが、別室のソファーベッド全面をカッターで切り刻んで使い物にならなくし、別のナイフで自分の腿を刺し、気を惹こうとしたのだ。吉祥寺近辺の外科医院に、その異常な記録は残っているはずなので、現代版「異常性愛記録・ハレンチ」を作るなら、絶対その資料を当たった方がいいような気もする。あくまで“気もする”だけだが。また実際に“腿に縫合した傷跡のある、離島出身の女”がいたら、一応は警戒した方がいい。そいつかも知れんからな。
 確かにそれ以前、ネット上のエロ画像でセンズリをした事がないかと言われれば、そりゃあるに決まっているが、締め切りを控えた人間にそんな余裕もないし、結局女は自分が退屈していただけで、そうした暴挙に軽々踏み出せる気違いに過ぎなかったのだ。そして、その有様を発見した俺は、女を病院に連れて行き、四針縫う意味不明な自傷行為の治療に付き合わされ、余計な時間を奪われた(が、原稿は間に合った)。
 要するに四日目はそうした、“夢におけるフラッシュバック”を初めてリアルな形で経験し、そうした余計な追体験が非常にダメージとして堪えたのだ。それでも、同時に開き直りのような感覚を与えてくれたのも事実で、俺が機械の部品で成り立っているようなものなら、その思考に襲われる部分を解放して、思考に襲われるままにしておけばいい、そしてその思考が焼き切れるまで繰り返して、その後に新しい思考を植えつければいい、そう考えるようになれたからな。今は好きにさせておくさ。
 かつては弾丸でこの記憶が埋め込まれている脳の一部を吹き飛ばさないと、この思考も消えないと妄想していたのに比べれば、格段の進歩だ(断じて死にたかったわけではない)。そしてこの一連の波状攻撃を、“奴らからの攻撃”と見なさないでいられている事も、実は俺がまだ狂わされてはおらず、客観性を維持して自己を分析している証拠にも見えて、少し安心もしたのだ。術後にどうなるかは知らんけどな。
 ある意味、人間を信じる心はまだ残っているらしい。黒く染める領域に踏み込んで、生きて死ぬ、その生から逃れられない俺の理想としては、もっと疑心暗鬼にならないといけないんだろうが。まだ、俺のどこかで「騙すより、騙されるほうがましだ」という言葉が根を張っているらしい。手術からの生還如何を抜きにしても、今度騙されたら俺は終わるけどな。


 一観客として「バンコック・デンジャラス」へ。かつて志村けんのものだった独占領域に、ニコラス・ケイジがじわじわ迫っている。それは本作が「コン・エアー」、「NEXT」に続く“ハゲ+ロン毛”路線第三弾であり、「ゴーストライダー」に続く“植毛+バイク”路線第二弾だからだ。志村とバイクは特に関係ないが、今回はケイジとか言うくせに初殺し屋役で、「志村けんのだいじょうぶだぁ」放映当時、エンディングで一時期殺し屋風扮装をしていたのともややダブる。一応、オリジナルの監督を起用したタイ映画「レイン」のリメイクなのだが、実はこのふやけた邦題に対して原題は同じなので、それは一発で分かる。それでも米公開版ポスターは、ケイジのどアップが効いており、生え際が良く観察できるため、危険度ではリメイクの勝利。とはいえ監督はオリジナルと同じで、既に「ゴースト・ハウス」でハリウッド・デビューもしているパン兄弟なので、わざわざバンコクロケで、ケイジ自身のプロデュースにより監督を招聘する意味はない。作品自体も情感の強いオリジナルから、単なるアクションになってしまっており、物語も“バンコクの殺し屋の話”である以外、共通点はほぼない程に解体されているんで、リメイクの意味があるのかも不明。単にケイジが殺し屋役をやりたかっただけだろう。所々にちりばめられた、少々高度な残酷描写のせいでR指定にはなっているが、アクションとしては失敗している。何よりも殺しの手際に一貫性がなく、依頼の方法も古いので、現代の映画とは思えないのだ。だがそのお蔭で、狭いビル内をカメラに追わせながらの銃撃戦とか、ケイジが地元のチンピラに殺しの技術を叩き込んでスイカを撃つんで、嫌でも「最も危険な遊戯」だとか「野獣死すべし」などの“優作作品”を思い出してしまう。ケイジが松田優作に見えると言う事ではない。乱暴にも「トム・ヤム・クン!」と同様のボート・チェイスを無理に作中突っ込んでいる点に、監督が必要のないリメイクを作るにあたり自棄になっている事が窺えるが、それでもリメイクならではの新味を出そうと意識したのが“優作作品”ではないか、と言う事だ。ところが結局一番得をしたのは、本作が一応ハリウッド・デビューとなる、“二代目・ジャッキーの恋人”ことチャーリー・ヤンだった。オリジナルにあった、聾唖の殺し屋という設定が、彼女の役に全部スライドしており、故にタイ語も英語も習得する必要がなくて済んでいるのだから。そんな彼女と仕事先とはいえ、弟子のチンピラにも見せない顔でデレデレしているケイジは非常に情けなく、本当に「ワイルド・アット・ハート」や、「リービング・ラスベガス」と同じ役者とは思えないのだが、ある種の強制力がそうした味を醸していたのであって、役者が自分の金でやりたい役を演じるとロクな事にならない好例である。しかし、その点でもトム・クルーズには勝てておらず、中途半端なので、「ノウイング」も期待しないわけには行かない。


 一観客として「ウォーロード/男たちの誓い」へ。 「英雄〜HERO〜」等を筆頭とする、アジア主導のジェット出演作は、このところリー・リンチェイではなく、まさしくジェット・リーにしか演じられない物語が用意され、ジェット自身の円熟と、物語に応えるようなジェットの熱演も相まって、相乗効果による作品が天井知らずに生み出され続けている。そこに刺激された狭い業界の同業者が刺激し合って、インフレのような豪華な共演を実現させ、作品全体のレベルを上げているのも、香港アクションに育てられた人間には嬉しい。監督は、パン兄弟のオリジナル版「the EYE(アイ)」のプロデュースもしたピーター・チャンだが、特に作家性がないだけに、力の入れようが異常で驚く。太平天国の乱を機に契りを交わした義兄弟が、功名心と欲望によって破滅していく(が、明朗な)、「ブラッド・ブラザーズ/刺馬」という旧作に対し、新作は戦場の不条理と悲惨さによって、種々の人間関係に狂いが生じていく様、その帰結を緻密に描き出しており、単なるリメイクには終わっていない。何より物語のほとんどを占める過酷な戦場場面に、マスキングとしてのCGを多用する事で、人体切断と貫通描写に非常に説得力を持たせており、体技の秀逸さも相まって、単に欲ではなく、戦闘から正常な判断力を失っていく人間が自然に浮かび上がるのが素晴らしい。迫力は時代考証の本気度によるところも大きく、見慣れた弁髪ジェットはともかく、ビジュアル面でも旧作とは別物に見えるほど際立って新鮮で、清の将軍の衣装をフル装備したジェットは、五月人形みたいで可愛いぞ。スチールからアンディ・ラウは、「墨攻」のように頭を丸めていない事を心配していたが、本編から弁髪に見えるように頭を丸めている事が確認でき、それだけでも本作への入れ込みようが分かる。ということは、残る一人、金城武も…と期待したが、それはやはり無理だった。後ろ姿から三つ編みが伸びている演出はされているが、劇中全く帽子を脱がず、とにかく頭頂部を見せない。その上激しいアクションが加わっても、全く脱げない帽子の違和感がひたすら残念である。また、兄弟の確執に女が関係している点だけは共通していて、今回アンディ・ラウとジェットの取り合いの対象となるヒロインが、「新宿インシデント」でジャッキーも執着したシュー・ジンレイなのが笑える。彼女が別段凄い美人でもないのも妙なリアリティがあるが、自身の行動原理に言明をさせない点と、関係の発端となるジェットの号泣が、開幕早々嫌でもその後の関係性を補強してくれるのだ。ただし、最後に罠があった。エンディングの日本版主題歌は、クサいだけで全く中身のない歌詞がとにかく愚劣で、本当に「寒い」の一語に尽きる。そんな単純な話じゃねぇんだよ。確かに昔の香港映画はとりあえず現場で一番悪い奴を倒して「劇終」みたいに、余韻も何もないものもあったが、そうした作品への口直しに主題歌が付くのは、まぁ理解できなくもない。だが主題歌を付けて作品の良さを半減させてどうすんだよ、日本よ。残酷な夜 (扶桑社ミステリー)ファイト・クラブ 新生アルティメット・エディション [DVD]異常性愛記録 ハレンチ [DVD]コン・エアー 特別版 [DVD]ゴーストライダー デラックス・コレクターズ・エディション (2枚組) [DVD]NEXT [DVD]レイン デラックス版 [DVD]ゴースト・ハウス [DVD]最も危険な遊戯 [DVD]野獣死すべし [DVD]トム・ヤム・クン! プレミアム・エディション [DVD]ワイルド・アット・ハート スペシャル・エディション 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]リービング・ラスベガス 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]香港国際警察 NEW POLICE STORY [DVD]英雄 ~HERO~ スペシャルエディション [DVD]the EYE (アイ) デラックス版 [DVD]ブラッド・ブラザース / 刺馬 [DVD]墨攻 [DVD]