7/27、18:30、虹。+α

 生まれて初めてフルスケールで虹を見る。そこそこ近くにあるように見え、空を覆うそのカーブを実際にくぐれそうなので、反対側から見てみたいと思って近づこうとするが、近づいたと思った距離を歩んだ時には、その見上げた角度からは、既に虹は見えないものとなっていた。俺が動いたから見えなくなったんであって、虹に対する知識も大してないし、初めて見るものに対する畏怖もあったが、恐らくは消えたのではないはずだ。
 確かに世間一般で色々例えられるように、虹は美しく、その規模は圧巻だった。だが昔から美しいものが吉兆とされているとは限らず、虹自体への科学的な知識はなくとも、虹に対する一般的なイメージは、特に虹の正体が不明だった昔ほど、凶兆とされていた地域も多いようだ。何を言いたいのかというと、俺がその目撃と同時に想起したのは、「わたしは真悟」における“毒のおもちゃ”が発した虹であり、「その虹も恐らく、この虹と同じように美しく見えたのだろう」という考えに頭を占められ、視点は虹へと呪縛されており、“美しさに目を奪われる”という状況とは少し違っていたということだ。
 同時に、元々自分だけの夏の恒例として、「わたしは真悟」を読み返すという行為を繰り返しているが、またその時期が巡って来たことを思い出し、例年より早く着手する事にした。扉絵が「マトリックス」にパクられているとかの小さいネタは別として、本物の虹を体験してからだと、あの虹は“大人の世界”に力として打ち込まれた“こども性”の象徴であることが一層リアリティとして身に迫る。
 積極的に近づけば消えてしまうのに、理性的な解釈を拒む、圧倒的な“異物”であるが故に、世界にとっては悪意としてしか受け止められず、しかも残酷で美しい“こども性”。それでいて、冗長に語る人は多くとも、誰しも自分のそれを端的に語ることができないのは、自分の記憶に潜む体験や感覚ではなく、そうした具体性に顔を近づけると、たちどころに正体を失くしてしまうのが“こども性”だからなんだと分析している。
 シンゴはモンローの時代にプログラミングされてしまった“こども性”の産物として、“毒のおもちゃ”を知らずに作ってしまっていたことになるが、一応その落とし前に、行きがかり上自らの身体を犠牲にして、その力を無化しようと試みていく。そして、「幸福の王子」のようにその肉体が尽きたとき、“毒のおもちゃ”がバラ撒かれていたとき以上の規模で、地球を虹が覆って物語は幕切れとなる。それは世界が元来秘めていた“悪しき意志”の勝利としての虹なのか、“こども性”が世界を外側から永遠化して見守ることの象徴なのか。
 だが結局のところ、そんなに簡単に理解できてしまうものではないから、30年近くも飽きもせずに読み返しているわけで、それによって“こども性”を回復したいだとか、世界は汚くても自分は純粋でありたいとか、そんなものでは全くないが、本物の虹にいくら近づこうとしても届かないように、解けない揺らぎとして考え続けるしかなく、今年の進歩(錯覚)をもとに、来年の夏もまた読み返すんだろうよ。


 20世紀フォックスさんのご招待で、「ナイトミュージアム2」試写へ。今回は前作の収蔵品達が、館内整理に伴いスミソニアンの倉庫に移送される事から起きるドタバタで、前作で説明されている事は全部省き、大規模な展開に持って行くために話が進むから、開巻早々本題に入ってくれる。主人公ベン・スティラーと、前作に出演していたカーラ・グギノとの仲が気になるが、ビジョンを抱いていた発明家としてのキャリアが多忙みたいで、別れてしまったらしい。舞台に関しては単に収蔵物がより多数でも規模は大きい博物館だから、バラエティは増したがカオスは緩和された。それでもアメリカの近現代史にまつわるネタの的確な詰め込みは、ファミリー映画の皮を被った「ウォッチメン」への返歌かと勘繰ってしまうほどだ。なぜなら魔法の石版を今回奪取するのが、持ち主のアクメンラー王の兄であるからで、“エジプトの王を自称する悪役”に対し、最終的には“アメリカを象徴する巨大キャラ”まで動いて立ち向かうから、嫌でもダブって来る。ただ、重要なのは原作「ウォッチメン」にのみ登場した“あの存在”に匹敵するものを大活躍させている点であり、これは皮肉が効いている。実際に展示されているから出したと言えばそれまでだが、映画版で“初代シルクスペクター”も演じていたカーラ・グギノの不在も、この展開による可能性が高い。だって出ると完全なセルフパロディだから。彼女の不在を埋めるように、映画版「ウォッチメン」で、“ミニットメン”の一員、“シルエット”によって印象的にアレンジされていた、アイゼンスタットの写真「勝者のキス」がネタを引っ張るので、エンドロールも楽しみが持続する。代わりに登場したヒロインとして、エイミー・アダムス演じる飛行士、アメリア・イアハートはスティラーと行動を共にするので、恋に落ちてスティラー版「マネキン」になるかと期待したが、日本では知名度が高くないこの偉人と共に掘り下げずスルー。それは続編への伏線として次に期待するが、登場する悪役一名は、時期的にもトミーガン乱射用にも、カポネじゃなくジョン・デリンジャーがいいと思うが、唐突に登場するクリント・ハワードの配置は適切かつ異質で盛り上がったので、±0で構わないな。


 一観客として「ノウイング」へ。一応映像派・アレックス・プロヤスに敬意を表して、ニコラス・ケイジ、今回はあからさまな増毛をせずに、剃り込み部分に毛を被せての熱演である。タイムカプセルから出てきた子供の予言どおりに災害が起きる話といえば、「20世紀少年」の影響が…とか言い出す奴は出るだろうが、そもそも発想の原点が根本的に違うので、観れば途中でオチは読める上、パクリですらない事は分かるはず。あんなに引っ張る話じゃない。確かに本作は予知能力だけでなく超常現象も出てくるし、その意味ではSFというジャンルには違いないのだが、ラストのオチにこそ意味があるという、所謂“どんでん返し映画”であるためである。さらに、そのオチに至る過程を俯瞰すると、科学を超えた“決定論”に支配されており、それがとりわけキリスト教的な形而上学に端を発する“決定論”なので、理解できない事はないが疑似科学にしか見えず、日本人には共感し難い。ただ、この宗教色の強さは、かつてアーサー・C・クラークが人類と宗教的な物の決別(進化)を描いたはずの「幼年期の終わり」が、皮肉にも終盤、観念的・宗教的様相を呈してくるのに似て、「幼年期〜」にモロに影響された作品としての宿命だろう。同様に、現時点ではビジュアルのみ(終末や観念的な部分以外)に影響が窺える待機作品に、「District 9」があるが、ピーター・ジャクソンのプロデュースなので、こちらはまた徹底的に茶化してくれる事を期待する。「ノウイング」に話を戻すと、夢オチというわけじゃなくてもかなり直球なので、好き嫌いは分かれるだろうが、思わせぶりなだけじゃない景気のいいカタストロフ描写は、一応サービスなのかも知れず徹底している。ローズ・バーンの老けメイクと同じに、CGの炎は分かる人にはバレバレだが、派手でも誰も死なない事故や災害ではなく、確実に人が死んでいる重みを数字の面だけでなく表現しようとは試みているのだ。その美しい終末描写は、「幼年期〜」と似た構造を持つ先達、「地球の静止する日」のリメイク、「地球が静止する日」には絶望的に欠落していたカタルシスがある。しかし、軽いのは分かっていても、終末への渇きは止むことを知らず、「2012」にも期待してしまうのだ。わたしは真悟 1 (ビッグコミックス)わたしは真悟 2 (ビッグコミックス)わたしは真悟 3 (ビッグコミックス)わたしは真悟 4 (ビッグコミックス)わたしは真悟 5 (ビッグコミックス)わたしは真悟 6 (6) ビッグコミックスわたしは真悟 7 (ビッグコミックス)わたしは真悟 8 (ビッグコミックス)わたしは真悟 9 (ビッグコミックス)わたしは真悟 10 (10) ビッグコミックスマトリックス 特別版 [DVD]幸福の王子・わがままな大男 (小学館世界の名作 10)ナイト ミュージアム (ボーナスDVD付)ナイト ミュージアム2 ブルーレイ&DVDセット 〔初回生産限定〕 [Blu-ray]ウォッチメン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books)マネキン [DVD]Public Enemiesノウイング プレミアム・エディション [DVD]幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))地球の静止する日 [DVD]