死体とウンコの分水嶺について、など。

 例えば、よく行くファストフードのカウンターにいる女の子が可愛い。心が死んでいるのでそんな陳腐なシチュエーションしか思いつかないが、もしそこで本当に惚れてしまったとすればどうするか。それには彼女が死体になってる様を想像し、その死体が解剖されている様をさらに想像すれば、簡単にその想いを殺せる。面倒なことにも発展しないし、人間と触れ合おうという気持ちさえ減退するので非常に効果的だ。その効き目の理由としては、俺は死体が苦手だから、ということが大きい。故に即座に目の前に死体が現出する殺人とは、今後も恐らく無縁だろうし、その恐怖が今までも俺に潜む暴力への誘惑を抑制してきた。だがそこまでの想像力を高めるために積んできた精神的な研鑽を語る上で、弟の存在を抜きには出来ない。
 弟との絶縁については以前にも触れたが、それは関係していれば骨までしゃぶられるのは必至な上、弟には自分のような余剰物と関わる人生を送って欲しくないので切っただけで、究極的には確執があったり、弟の人間性を否定したりがあるわけではなく、むしろ非常に感謝しているのだ。ここで「続・夕陽のガンマン」的論法を展開すると、なぜなら「世の中には二種類の人間がいる〜」からである。それはこの場合、「死体が平気な人間」と「ウンコが平気な人間」だ。幸いにもどちらも大好きな人間に会ったことはないが、当然どちらも敬遠したいながらも、触れなけばないけないとしたら、どちらかといえばこっちなら大丈夫、というケース。誰でも大体思い当たるんじゃないだろうか?そう、世の中には二種類の人間がいる。
 その点で弟は死体が大丈夫だった。ネクロフィリアではないと思うが、ガキの時分は好んで観察していたほどであり、コレクションこそしなかったが、日野日出志作品に登場する少年のように死せるものへの冷静な視点を持っていた。度々外で轢かれた猫なんかの生き物の死骸を、事細かに観察してきては、図説してどのような死骸だったか説明してくれたもので、そのお蔭で間接的に死への想像力を高めることが飛躍的に高まり現在に至る。
 しかし後年、スカトロAVの話になった際、満足に話を聞くこともできないくらいの拒絶反応を示し、弟はウンコが苦手と発覚する。既に才能は枯渇したが、死体のイラストとは別に、オリジナリティの高い絵を量産していた弟のシリーズで、全身からありとあらゆる体液を滴らせ、ちぎれた肉体の切断面からスライムが流れ出しているという、「こじき」と題した異常な傑作を連発していたにしては意外な反応である。それが、「死体が大丈夫な奴は、ウンコがダメ」という図式を直感したきっかけとなったのだが、そこには前提として、俺が「死体はダメだけど、ウンコは大丈夫」だったからということもあった。そりゃ臭いし嫌には違いないが、眼にする分には全然平気で、臭ってまで来ないスカトロAVなら、俺は別に飯を食いながらでも笑って観られるのだ。
 恐らく、俺にとってウンコは、汚物には違いなくても生命の“生きる証”としてして見えており、死体から想起する“己の死”に直結して来ないから平気なんだろう。では、ウンコがダメな奴はなぜ死体が平気なのか?この視点において、以後出会う人には大体聞き、データを集積してきたつもりだが、まだその点は解明に至っていない。ただ、この分類は今のところ当たっており、外れた奴には出会っていないだけの成果は得てきたので、研究は続けるしかないだろう。
 ちなみに、ファストフードを例に出したおまけとして書いておくと、ファストフードで働く同僚に惚れてしまった、10代の俺(童貞)の類似経験では、まだ吐きそうになりながら死体解剖ビデオを観たりなどしていなかったため、彼女が辞めるタイミングで愚かにも告白してしまい、振られた数年後、1993.7.9.発売号の「週刊朝日」における、「紀信の女子大生シリーズ」の表紙として再会することになる(「インターネット篠山紀信 」→「フリーサロン」→「週刊朝日表紙館」参照)。また、さらに後になり、「塚本晋也読本」にて篠山氏のインタビューに参加したことで、因縁めいたものを感じたのであった。



 一観客として「トランスポーター3 アンリミテッド」へ。ジェット・リーとの出会いでアクション開眼した男、ジェイソン・ステイサム。以降の鍛錬による肉体の完成が、トリッキーな格闘術との融合で、作品のクオリティに貢献してきたわけだが、その肉体の完成が一つの頂点を迎えたことで、シリーズの務めは果たしたと言える。今回はステイサムの「アドレナリン」を意識してか、車から離れ過ぎると爆発する、ブレスレット型爆弾という制約が出るが、要するにもう“運び屋”単体アイデアでは話が持たないからで、シリーズは本作で打ち止めしていいや。ステイサムには次からは目先を変えたものを期待したいところだ。監督は代わりながらも、一貫して脚本を手がけてきたリュック・ベッソンも、薄々気付いているようで、私生活から女を遠ざけてきた主人公に、一応着地点を与えていることからもそれは窺える。しかし、そのヒロインが今回殊更酷く、以前からベッソンの女の趣味の悪さは指摘してきたが、今回は鶏ガラではないものの、ヤらせてもらった見返りの起用が露骨なソバカス女。首の後ろに漢字で「安」と彫っているが、まんまの安っぽさなので、いくらソバカスだらけでもジュリアン・ムーアにはなれないのは一目瞭然だ。映画における放尿シーンを重要視する立場としては、うやむやにしなけりゃ評価も向上したが、やっぱりベッソンは脚本どころか、黙ってアクション映画に金だけ出してりゃいいのが証明されたぜ。しかも業務遂行上の“ルール”がいちいち破られるのは、“ルール”があっても無意味な上、運ぶブツが実は一作目と同じオチという、設定上の限界も見えてきた。また、ウクライナ工作員がフランスの警官を殺し、お咎めなしに話が進むのもバカアクションとはいえ気になる。それでも、BMXを取り入れたアクションと、敵のロバート・ネッパーだけは破格に良かったが、彼が「The Expendables」出演を囁かれていたのは、本作でステイサムと共演しているからだな。ちなみにセーム・シュルトの無駄な使われ方も注目ではあるが、まずはシリーズお疲れさん、って感じ。



 一観客として「30デイズ・ナイト」へ。なぜ二年近くもお蔵入りしていたのかと言えば、女子供の財布のみを当てにしている日本の興行界において“全米興収一位になった暴力的なホラー”だったり、“製作サム・ライミ”といった、一見売りになりそうな要素など、全て切り捨てて後回しにした結果だろう。当然短期公開だが、それでも公開されただけマシだ。作品は、極夜に覆われたアラスカの町における、吸血鬼との30日間の戦いを描いているが、その間の生活的なサバイバル描写や、登場人物の外見上のダメージ表現が乏しく、設定は活きていない。だが、原作の再現にCGで顔面を変形させ、生理的嫌悪感を高める工夫がされた吸血鬼の造形は「デモンズ」風で、“捕食者”と呼ぶのが相応しく獰猛。従って吸血ではなく“噛み千切る”との形容が適切で、それでいて行動も知性的かつスピーディ、集団の統率が取れた中で増殖するので、ジャンル自体もゾンビ映画を意識した“あいのこ”と言える。また、対する人間がせざるを得ない対処法や、全体の出血量も含め、思わず自然な笑みがこぼれる凄惨さ。特に極夜という設定上、雪明りに映える鮮血や炎は、色彩設計として無条件に官能的だ。特に俯瞰で町中の大量殺戮をカメラが舐めていくシーンは、「ポスタル(一作目)」っぽく町の阿鼻叫喚が把握でき、この視点だけで一本作ってもいい完成度である。加えて、“捕食者”のリーダーを演じたダニー・ヒューストンは「プロポジション 血の誓約」で凶暴極まりない無法者を演じた辺りから注目しているが、“ストライカー将軍”を演じる「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」も立て続けに公開されるので、彼の持つ悪のカリスマ性に触れるいい機会ではある。ただし、最終決戦は、羽黒邸に潜入直後の「狼の紋章」風とでも言いたくなるアッサリ加減で、続編は楽しみだが拍子抜けした。ところで、俺を殺そうとした女が表面上偏愛していたせいか、近作はハズし気味に見えていたジョシュ・ハートネットだが、本人は望まずとも、ブラッカイマーやロドリゲス、そして本作のようなライミ仕事なら間違いないな。続 夕陽のガンマン アルティメット・エディション [DVD]地獄の子守唄 (マジカルホラー (3))地獄変 マジカルホラーシリーズ5 (マジカルホラー (5))塚本晋也読本―普通サイズの巨人 (キネ旬ムック)トランスポーター [DVD]トランスポーター2 [DVD]ASIN:B002AQTD14アドレナリン [DVD]デモンズ [DVD]デモンズ 2 [DVD]Postalプロボジション 血の誓約 [DVD]狼の紋章 (角川文庫 緑 353-51 ウルフガイシリーズ)ウルヴァリン:X-MEN ZERO <2枚組特別編>〔初回生産限定:デジタル・コピー付〕  [DVD]