結局、ピーター・ジャクソンが一番重要なわけ。

 もちろんそれは、「ラブリー・ボーン」のプロデュースをスピルバーグに任せ、「アバター」の特殊効果を自社のWETAに受注させ、果てはギレルモ・デル・トロに自分の仕事(「ロード・オブ・ザ・リング」)を引き継がせるという快挙のことでもあるが、それには確固たる理由があるからだ。なぜならこれら一連の仕事は、実は特撮などにも創作意欲を刺激されていたものの、“らしくない”ために資金が集まらず、これらの企画を泣く泣く諦めざるを得なかったという逸話もある、黒澤明のようにならないための自衛策なのだ。「今後も機会があればゾンビ映画を撮りたい」と度々発言している彼にとって、「アバター」による技術力のプレゼンテーションと、「ラブリー・ボーン」による、このところの作品に比べたサイズの縮小化は、いわば“ピーター・ジャクソン正常化計画”の大いなる布石であって、いくらこのところ大作が続いても、ピーター・ジャクソンは大作専門監督などではなく、“巨匠”に収まる気もない証明である。そして、この一連の仕事の成功や、「ホビットの冒険」のような大作が自分以外の監督にも務まることの浸透により、俺が彼の最高傑作群と信じてやまない、「ミート・ザ・フィーブルズ」や「ブレインデッド」のような、小汚くも愛すべき小品をモノにして欲しいもんだ。それは端的に言って、“ウンコをモリモリ食うハエ(芸能記者)”や、“ボコボコに殴られ虐待されるゾンビの赤ん坊”のようなエネルギッシュな描写ということである。だから、「ラブリー・ボーン」も、「さまよう魂たち」のようにはならないで欲しい!という願いも込めて…。


 一観客として「アバター」へ。敢えて3Dと通常版で、それぞれ一回ずつ鑑賞。確かに前者の方が経験としては圧倒的なので、本来は3Dとしてのみ楽しむべき作品なんだろうし、キャメロンの意図としてもそうなんだろうが、3Dで観てしまうと、その圧倒性故に、細部のディテール見落としの恐れがある。後者を観ると、特に惑星パンドラの植物の形状や、3Dだとガチャガチャ動き回ってばかりで、視覚的にも鬱陶しく感じられた動物たちの表情が良く分かる。
 一般的にはシガニー・ウィーバーとの再タッグや「エイリアン2」からの近縁性やその発展を指摘する向きは圧倒的に多いだろうし、物語の先が読めたりとかの指摘も色々あるだろうが、その辺に俺はあまり触れる気はない。「エイリアン2」は所詮は「エイリアン」の世界観を継承したものなので、キャメロンのオリジナルな過去の作品から言えば、その世界観をさらに自分寄りに再構成した「アビス」の発展形でもあるからだ。確かに企業の走狗となる軍人の暴走といった構造は「エイリアン2」だが、ファンタジックな色彩の異世界、そこに介入を試みる人間のガジェット、自然観やその観点に基づいて起きる奇跡、といった部分の共通点は「アビス」の方が多く感じられる。つまり、キャメロンという存在を“「タイタニック」の監督”という程度の認識しか持っていない向きにはその連続性が“陳腐なラブストーリー”としての関連性程度しか見出せないだろうが、むしろあの作品こそがキャメロンの異色作なのであって、あくまでジェームズ・キャメロン作品としての認識において鑑賞する分には、(3Dであるという以外には)突出したものもない代わりに、極めて居心地のいい作品世界が待っている。
 そして、その流れで言えば、最も強く感じるのが、ミシェル・ロドリゲスこそ、キャメロン作品に出演するために生まれてきたのだ、という確信である。今回のような物語上のオチであるならば、その成否によっては構想もされているという続編も行けるが、しかし、ミシェル・ロドリゲス級の逸材がいなければ、その必要はないな。とにかくそれほど重要で、強く美しい存在であるため、「エイリアン2」のバスケス→「アビス」のワン・ナイト→「ターミネーター2」のサラ・コナーと、口を酸っぱくしてキャメロンが提唱して来た、“あるべき正しい女性像”の最新・最強バージョンなのだ。まぁ5年以上もかけて地球外に出征するからには、予備でDNAのストックを残して置いていてもおかしくないので、続編でもできれば彼女をクローン化し、さらにDNAも使用して作り上げたアバターで再生して欲しいところだ。もちろん続編をやるからには、今回は完全に省略されていた、人類とナヴィのファースト・コンタクトも描いて欲しいし、次回はナヴィの(ロドリゲスに似せた人間型の)アバターを荒廃しつつある地球に潜入させ、地球を救うミッションなんてのがあってもいい。 
 設定がサイバースペース等を介さないオーガニックなものになっている分、見え難くはなっているが、睡眠時の無意識領域(夢?)を使用しての人格スイッチなどは、「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕(あるいは『パーキー・パットの日々』)」におけるドラッグと人形を併用したトリップなどの、ディック的な匂いもそこそこ感じたのだが、キャメロンも過去には脚本として、ただ記録されていたものを仮想的に体験していただけであった、「ストレンジ・デイズ」がある。従って、その仮想空間の向こうに生きた世界が現れ、そちらのリアリティが強まり、現実感が揺らぐどころか、現実そのものがスイッチしてしまうという点では、ディックの向こう側へ突き抜けているとも言える。故に「マトリックス」のように、“向こう側での死”や“こちら側での強制終了”に関し、設定として危険ではあるようだが、“こちら側での死”には直結しない点が新しい。そういう意味ではシリアスかつ科学的な理論武装を施した(ように見える)、「クレオパトラだぞ」であり、「マルコビッチの穴」であるとも言える。 
 やや話は外れるが、最初に「サロゲート」の予告を観た時、設定がディックっぽく見え、さらには「T3」の監督としての自負から、「ターミネーター」への目配せもある程度の作品だと思っていたが、「アバター」を観ると余計に、その“代理”という意味合いの近似したタイトルも含め、「サロゲート」はジョナサン・モストウからのキャメロンへの愛が結晶している作品であることが早くも予感される。
 また、描写面で欲を言えば、「エイリアン2」の“パワーローダー”は細部まで見せていた分、今回登場する“AMPスーツ”の歩行機構についてディテール説明が欲しかった。さらには“アバターとナヴィはセックスが可能”という設定は入れないと、人間(である観客)レベルでの共感が呼べないため、多分無理に入れたんだろうが、異星人であるからこそ、セックスを超える生殖の設定を提示すべきだった、という心残りはある。“神経組織の通った髪”や、そもそもナヴィという舞台設定やヒロインの性格がそうだが、もろに「風の谷のナウシカ」入っている、“生命の樹”による部族全体の交感シーンもあるんだから、人類流の安直な愛情表現描写は、かつて「アビス」の異星人のような描写を提示できていただけに、こちらが観客に媚びただけの“非SF要素”に見えてしまうのだ。同様に、アメリカ大陸開拓時のネイティヴ・アメリカンと白人の関係を安易に想起させる構造のために、物語が平板に見えてしまうきらいがあるので、主人公となる男は白人でない方が(相手役が非白人のゾーイ・サルダナであることも大きく)展開に意外性は出たはずなのだが、現時点の話はともかく、「トゥルーライズ」でアラブ系からの抗議が殺到したことも考えると、今後人種的な観点から物言いがつくことは考えられる。
 加えて、キャメロンなら既に撮っていてカットしている可能性があるが、主人公のアバターへの“のめりこみ具合”の描写が、廃人化したネットゲーマーのように描かれており、主人公が事故により障害を抱えることになった設定ならば、アバターを得たことによる、その鬱屈からの解放がナヴィへの愛と錯覚しているのかも知れない“揺らぎ”も、より強めに描いても良かったはずだ。
 ちなみに主人公の脚の萎えようは「ミラクル・カンフー 阿修羅」も見まごうほどの弱々しさがリアルなことこの上ない再現度だし、アバターは五本指だが、ナヴィは四本指なので、日本のテレビ屋どもが安易に放送できない親切設計となっており、正直「臭いものには蓋をする」文化しかないこの国には有難い。結局のところ、「巨大プロジェクトでアクシデントが起きても、その穴埋めのための予算を浮かそうとするとロクなことにならない!」という、深いようで案外どうでもいい教訓はさておき、劇場で、それも3Dで観るに越したことはないのは間違いがない。アバター [初回生産限定] [DVD]ロード・オブ・ザ・リング スペシャル・エクステンデッド・エディション トリロジーBOX セット [DVD]ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス [DVD]ブレインデッド [DVD]さまよう魂たち [DVD]エイリアン2 完全版 [DVD]エイリアン [DVD]アビス 完全版 [DVD]ターミネーター [DVD]ターミネーター2 ダブル・エディション [DVD]ターミネーター 3 プレミアム・エディション [DVD]パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 (ハヤカワ文庫SF)ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々 (ハヤカワ文庫SF)タイタニック [DVD]ストレンジ・デイズ [DVD]マトリックス 特別版 [DVD]藤子・F・不二雄SF短編集<PERFECT版>6 パラレル同窓会 (SF短編PERFECT版 6)マルコヴィッチの穴 [DVD]風の谷のナウシカ [DVD]トゥルーライズ<DTS EDITION> [DVD]ミラクル・カンフー 阿修羅 [VHS]