“志村けん”に命がけのリスペクトを捧げたバカの肖像。

 最近何度か“志村ネタ”について触れたりしていたので、ここでだいぶ前から気になっていたことを記録しておく。別に俺は“志村信者”ではないが、その全盛期に直面しているだけあり、笑いの感性として避けて通るわけには行かない。ドリフのアンサンブルがなく少なくなってからというものの、志村には新ネタの頻度が少なくなったとは感じていたが、それでも使い回すに足るインパクトのあるものばかりである。
 志村のソロとしての最大の足跡は「志村けんのだいじょうぶだぁ」を田代まさしとのコンビで始めたことである。後に盗撮をする本物の“変なおじさん”を輩出することになったこの番組由来の大ネタはもちろん“変なおじさん”であるが、個人的には番組が87年に始まったことを考えると、どう考えてもその影響下にあるとしか思えない人物および事件があるのだ。
 鋭い人間にはもうお察しだろうが、その事件とは、いわゆる“東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件”であり、人物とはその容疑者として逮捕、起訴され、死刑執行された、“M君”こと宮崎勤のことである。この男は89年に逮捕されたのだが、逮捕された時の正面メガネなし写真をテレビで見て俺は凍りついた。それは宮崎のルックスが、それまで散々放送されていた“変なおじさん”が例のオチで決める「だっふんだ!」の顔にナチュラルに重なって見えてしまったせいである。
 さらに罪状は言うまでもなく変質者の凶悪バージョンであり、逮捕のきっかけもコントにおける“変なおじさん”的状況でのことだった。そもそも“変なおじさん”自体が、つまるところただの変質者を指すものなので、それをコントに持ち込み、ギャグとして昇華した上で時代を予見した(あるいは宮崎に啓示を与えた)、志村の天才性は、この部分だけでも後々語られるべき功績ではある。
 それはさておき、既にこうした時代的土壌があった上での事件である。俺が脳内で両者を結びつけなくとも、テレビ番組のビデオテープでのコレクションに執着していた宮崎が志村を通過していない筈はなく、同じような状況で捕まった自分の状況を省みて、観念の上、リスペクトを込めた「だっふんだ!」的“イイ顔の演出”を意図的にしていたのではないかという推測も成り立つのだ。
 まぁ真相はともかく、単純にビジュアルだけでもその相似については、賛同者してくれるやつが案外多いんじゃないか?嘘だと思うなら試しに見比べてみるといい。つっても長年、俺自身が単にそう見えて今まで信じ込んできた、それだけの話に過ぎないんだけどさ。


 一観客として「ニンジャ・アサシン」へ。主役のピは「スピード・レーサー」で日本名と朝鮮名がチャンポンになった名前で、国籍不明のキャラを演じたため印象が良くなかったが、今回は同系統のスタッフの中でも、設定だけは素直に受け止めているように見える。表面上は“雷蔵”という名前や肉体作りに関しても申し分がなく、“ニンジャ映画”として大いに期待をさせてくれるのだ。まぁ後から、日本人役をやったわけじゃないとか、「G.I.ジョー」のイ・ビョンホン的な言い訳をゴチャゴチャしているが、それはこの男を制止出来なかったスタッフの弱腰ゆえである。とりあえず作品自体は期待通りの“ニンジャ映画”特有の馬鹿馬鹿しさに満ちており、その残酷描写の徹底と共に素晴らしいとしか言いようがない。あまり必然性のないベルリンロケも、「〜レーサー」同様経費節減以外に、作品の血塗れ度が作中にも登場するご当地料理、“カリーヴルスト”と一緒であることから選定されている可能性も高い。事実ライトに手足や首が吹っ飛び、ケチャップをまぶすように大量の血糊が飛散し、少量のカレー粉のようにアジアンな風味が加えられている。しかもこれらの全てはどう見てもアクション向きではないピの薄い顔を濃い味付けで誤魔化すために機能しているのだから粋な計らいではある。単純に敵のリック・ユーンと争っているだけでは、ボンドの向こうを張った“将軍様の息子”が相手でも、珍妙な設定のローカルな民族の物語に過ぎないが、その上、ショー・コスギに出てもらったというのは、“ニンジャ映画”(注:いわゆる『時代劇』のことではない)の系譜として正しい。しかも今後復興して欲しい“ニンジャ映画”の国辱表現を引き継いで行こうという気概が感じられて頼もしいので、去年製作の「NINJA」共々、後に続く、バカバカしくも熱い作品を期待したい。だが、全体を通すとナオミ・ハリスの圧倒的な美しさに全ての描写がかき消されてしまい、彼女の単なるPVにも見えてしまうのだった。


 一観客として「ハート・ロッカー」へ。もう散々“賞”云々という話はされ尽くしているし、受賞自体がキャメロンの肝煎り抜きには語れないので、その周辺には言及する必要はないだろうが、作品自体は単純にアクション映画とは割り切れない作品であった。爆弾処理のスリル・ジャンキーという、「ハートブルー」におけるパトリック・スウェイジ的な主人公が、イラクでの数々のミッションにより摩滅し、挫折し、残った自分の核に気付かされる過程を描くことで、作品を単に戦場を描いた映画とは言い切れないものにしているからである。また主人公がそうした心境に至るエピソードは断片的で、それぞれ独立した映画のようでもある。それでいて全てのエピソードに通底する主人公の心情が、戦場の中で屈折していく過程は丁寧に紡がれているのだから離れ業には違いない。所々では武器使用の爽快感といった描写もややあるが、全体としては現実に爆弾処理に携わる人間が感じているであろう重圧と不快感を疑似体験させられ、非常に神経が疲労する作品であった。このいい意味での裏切りは、作品中のアドレナリン中毒が、俺のような単純なアクションしか期待していないアクション映画中毒への揶揄のようにも思えてしまい、より疲弊度アップで身につまされる結果に。そして主人公が下す結論は、深読みしなくても後半ごく自然に台詞の中で語られるが、これは前作「K-19」の失敗でしばらく撮れなかった、キャスリン・ビグロー自身の心境でもあったはずで、そう見立てると各エピソードが監督のフィルモグラフィーの果てに主人公と同様の結論にたどり着くようにも見え、感無量である。久しぶりの監督作品に駆けつけたゲスト扱いの俳優陣が、ガイ・ピアースやらデヴィッド・モースに始まり、「ストレンジ・デイズ」つながりでレイフ・ファインズも参戦したりと、やたら豪華なところも印象的だが、描写の必然性からアップが多く、思わず目が行くのは、やっぱモンゴロイド以外は男もみんな睫毛が長いってことだね。


 一観客として「シャーロック・ホームズ」へ。そもそも“ミステリーなど糞食らえ!”と終わり果てたジャンルに興味のない人間としては、解体されればされるほど痛快なのだが、物語として完全に中断状態なので、本当は評価の仕様がない。この「次回に続く」的なオチは、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のマリファナ栽培人にニコラス・ロウを起用していたことから、ガイ・リッチーも絶対に観ている「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」そのものである。さらに内容についても、エジプト的なアプローチを含む黒魔術が登場するので、新解釈ジャンルとして強く意識されていることが分かる。なので、一応敵とされるブラックウッド卿はブラックウッド卿だったのか?も断定的な見方ができない構造で、そこには「リーグ・オブ・レジェンド(『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』ではない)」における“M”の影響も感じられるのだ。対するホームズ本人は科学的な思考とキレのある体技を駆使するマッチョで、ブルース・リー的(あるいはランボー3的)棒術も披露するので、共通の前科があるロバート・ダウニー・Jrを出しながら薬物関連の設定は一切カット。しかしワトソンに対し、焼きもちから来る意地悪の応酬みたいに中途半端な愛情表現が歯がゆい男であり、結局男同士の関係においては「ロックンローラ」と同じなのだった。それは同時に無理して出している女の造形がやっぱり薄っぺらいということで、リッチーは既に「スウェプト・アウェイ」でも現実の女(マドンナ)を描こうとして致命的な失敗をしているため、離婚後の展開を期待していたが、「スナッチ」に次ぐ犬いじりをやっている程度で、大した進歩には至っていない。現状、権利者の反対はあるが、ここまでやっているなら本来は、続編ではもう女は描かずに男同士のラブストーリーに再構築した方が違和感がないし、そこに因縁の敵となる男との愛憎を絡めればもっと盛り上がるはずである。志村けんのだいじょうぶだぁ BOXI だっふんだ編 [DVD]志村けんのだいじょうぶだぁ BOXII ウンジャラゲ編 [DVD]カトちゃんケンちゃん 【PCエンジン】田代まさしのプリンセスがいっぱいニンジャ・アサシン Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)スピード・レーサー [DVD]G.I.ジョー [DVD]ダイ・アナザー・デイ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]The Hurt Locker [DVD] [Import]ハート・ブルー [DVD]K-19 [DVD]ストレンジ・デイズ [DVD]ヤング・シャーロック ピラミッドの謎 [DVD]ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ [DVD]リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い ( 初回出荷限定価格 ) [DVD]ブルース・リー/死亡遊戯 [DVD]ブルース・リー・イン G.O.D 死亡的遊戯 [DVD]ランボー3/怒りのアフガン [DVD]ロックンローラ [DVD]スウェプト・アウェイ [DVD]スナッチ デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]