Le divorce de mon frère.

 どうも弟が離婚したらしいのだ。原因がハッキリしないのでどちらが悪いとも現時点では言えないが、以前からそうした火種を抱えながらも、目をつぶって無理に続けてきた関係だったと知っているだけに、別にそれを聞いても驚かないし、行き着くべくして行き着いたのだと感じている。
 例えば弟が女を作ったとかに原因があるなら別に同情の余地もないが、身勝手な大人に振り回され、人生を大きく歪められる甥には気の毒な話だ。それに特に勘案されることもなく、こうした場合、無条件に親権は弟から奪われ、一生カネを吸い取られ続けるのだから、その点に関しては弟にも気の毒な話ではある。
 ただ一つだけ俺にとって言えることは、弟と絶縁にいたる原因の一部分をなしていた要素がこれで消え、俺の過去を知っている人間もまた一人消えたという喜ばしい事実だ。俺を殺そうとしたキチガイ女の言葉ゆえ、鵜呑みには出来ないが、義理の父親への悪口雑言を身近な人間に吹聴して平然としているような人間とは、義理の関係でいるだけでも面倒臭いし、少なくともキチガイにそう言わせる可能性や、脇の甘さを持つ人間は親族として必要がない。
 ちなみにこのキチガイ女は弟の結婚式に「出席」と提出しておきながら、前日痛飲していたことから寝坊したのを隠し、俺にそれを口止めした上で無断欠席した。恐らくこの事実を、離婚した二人は今も知らないはずである。ただ、その前に俺の祖母が亡くなった際、葬儀に出席していながら(沖縄出身であることを盾にしつつ)参列の次第が不明であることを理由として、それを誰にも告げず式の中途で突然行方不明になったのと同じパターンなので、注意深く見ていれば察しはついているかも知れない。
 まぁ、いずれの場合も、その尻拭いを俺がしたのは言うまでもないが、こういう異常者と表面上は親密にコミュニケーションしようとしていた元・義理の妹に対しても、このときは(その内容は知りながらも)そこそこ気の毒に感じていたことを覚えている。
 要するに、こうして書き連ねた諸々の事実に関しても、今後は思い出す機会も徐々に減り、やがて脳内から完全消滅するスピードにも、今回の出来事で拍車が掛かったわけである。結局生まれてから一度も対面することがなかった甥の件についても、そういう存在がいたこと自体、俺の記憶から消えて行けばいいことで、こうなった以上会わずに(変に情などを移さずに)いて本当に良かったと、一時的ではあるが自ら無意識に選んだ、“絶縁”という選択肢に納得が行ったわけさ。


 ファントム・フィルムさんのご招待で「プレシャス」試写へ。性的・肉体的・精神的虐待を生き抜く少女を描いた“フィクション”だが、同時に“ノンフィクション”とも言える。というのも、舞台が87年という、ニューヨークが荒廃していた時期が舞台なので、作品中登場する、プロジェクト、10代の妊娠、ギャング、文盲、エイズなどのキーワードは特定の個人に落とし込めるものではなく、同じ時と場所を生きた人間にはありふれた話でもあるからである。だから彼女が通うことになるフリースクールでの同級生たちの身の上も、程度の差こそあれ似たようなもので、内容的に扱う題材が観る側にハードに見えるなら、それは単に当時の状況への想像力が足りないことになってしまう。リアルタイムで情報を漏れ聞く中でも、かなり苛酷だとは薄々察していたし、ケータイ小説なんかとはワケが違うので、だからこそこの物語を表現として結実させた意味がある。ブサイク少女の惨い日常やら妊娠、ブラックの肥満女性を使ったりなどの不幸曼荼羅は、直感的にトッド・ソロンズの一連の作品を想起したが、こちらはやられっ放しじゃない。彼女も暴力で対抗するが、その暴力さえ、彼女の生きる世界ではあまりにもささやかと思えるほど、スローで重量感のある家庭内暴力描写は的確に急所を突いてくる。それでも彼女には妄想の世界へスイッチする力を持っているので、そのパートは作品のバランス上もゴージャスな演出で補われており独特である。こちらの妄想も彼女にとって武器であり安全装置であるため、風采の上がらない女が娯楽で消費するようなヤワなものではなく、あくまで自分主体の狂気にも近い世界。従ってヤケ食いから来る肥満という設定により、ヒロインの表情は乏しいが、全身の感情表現は申し分ないと来ている。またビジュアル面ではポーラ・パットンが、救いのない世界の良心にはレニー・クラヴィッツが貢献しており、特に前者には「ミラーズ」以来の再会なので激しく欲情してしまうのだった。


 一観客として「ブルーノ」へ。劇場にて、かつて共著「アクション・ムービー・ジャンキーズ」を手掛けて以来の恩人・ギンティ小林さんと劇的な再会。曰く、心霊現象巡りの合間でも、これだけは観ないと!と駆けつけられたとのこと。確かにその価値はありましたね。前作「ボラット」を大きく本気で下回り、素晴らしいの一言に尽きる。恐らく「ボラット」にあった、一見カルチャーギャップのように見えた笑いがやや高尚に見えてしまうため、今回は反省点となっていたに違いない。今回は多言語を使いこなして外国人の振りをすることもなく、そうした作り手の知性を窺わせる要素を表面上全部排除した上で、純粋に下ネタと差別ネタのみで勝負しているのがひたすら好感が持てる。それでいてランニングタイムは90分行かない短さに凝縮しているのだから、その徹底ぶりもおおよそ分かるだろう。俺は別に芸人でないし芸人になりたいと思ったこともないので気付いても実行してはないが、本作で示されるような、「笑いを取るためなら何をやっても許される」などということは、笑いがそもそも(他人の不幸を笑ったり)背徳的なものである以上、実は当たり前の話である。だから特定の誰かだけを嵌めて笑わせるようなこともしてないし、そのためには自らも袋叩きにされるシチュエーションに身を置く姿勢は極めて正しい。笑いを取る以上は全てが標的で構わないし、そのために全てが敵に回っても、特定のイデオロギーに与しない孤立が需要なのだ。だから劇中の“チンコ出し”および“尿道口パク”なんかにしても、あんな場面で欲情する奴はいるわけがないし、そもそも笑わせるためにチンコだの(「ボラット」では)ケツの穴を晒しているわけで、しかもこれはテレビなんかの去勢された表現と同じく修正なんかする必要は1ミクロンもないのだ。個人的にはブルーノがゲイを“治す”ため、ゲイから身を護る術を習いに行った際、バイブを持って先生に襲い掛かる点にやたらこだわっていたのが一番爆笑であった。


 一観客として「マイレージ、マイライフ」へ。企業に雇われたリストラ宣告人の話だけど、(表面上は身軽にする必要性から)身内に累を及ぼさないために、家族を作らない暮らしは“山田朝右衛門”のようだし、必要のために殺すからには少しでも苦しませないという心意気は「子連れ狼」に登場する架空の職業“公儀介錯人”を想起させる。そうは言っても年中旅客機で空を飛び回り、自宅にほとんど帰れないというのは、キリスト教的な“災厄をもたらす役割を担わされた天の使い”のメタファーであって、実際は時代劇からの影響ではないと言っていい。それでもジョージ・クルーニー主演作なので、表向きはいつも通りニヤけて享楽的に生きているように見えるが、今回は確信犯であって、その軽妙さで主人公の悲壮さをカバーしようとして演じられている。しかしやはりテーマが深刻でリアル過ぎるため、今回はそのニヤけ方が“毒性の中和”と“空回り”という両方の効果を上げているのだ。それは、結局「ここでしか、生きられない。」という悲壮感あふれる物語を、クルーニーの現実のキャリアを利用することで迫真性を持たせている点からも当初の企画意図として窺え、「竜二」だとか「イースタン・プロミス」的な大人の辛さを重層的に味わわせる作りとなっている。クルーニーはいつも役作りで外見を変えないので、見た目の違いはないが、今回においては「フィクサー」より失うもののない、もう一つのプロとしてのあり方を、主人公の生き様と重ねて提示してくれているのは間違いがない。うっかり夢を見てしまい裏切られた大人がどういう行動を取るかが、まだ行き場のある若者との対比で静かに切り取られているので、知らずに身につまされた人は立派な大人(気持ちの上でも子供に戻れない)と思い知らされるだろう。また、使用曲の全てが無駄なく機能している点はジェイソン・ライトマン作品でも随一の噛み合い具合。ただ、ヴェラ・ファーミガの後姿ヌードは嘘だな。役柄に似合って卑怯なり。クロッカーズ 【ベスト・ライブラリー 1500円:第3弾】 [DVD]ウェルカム・ドールハウス [DVD]おわらない物語~アビバの場合~ [DVD]ミラーズ (完全版) [DVD]アリ・G〔ユニバーサル・セレクション2009年 第3弾〕 [DVD]ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 <完全ノーカット版> [DVD]爆走!!アクション・ムービー・ジャンキーズ―’90sアクション映画観戦ガイドマイレージ、マイライフ [DVD]首斬り朝 刀哭編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 残心編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 秋水編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 石火編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 刹鬼編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 無明編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 止心編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)首斬り朝 大道編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)竜二 [DVD]イースタン・プロミス [DVD]サンキュー・スモーキング (特別編) [DVD]JUNO/ジュノ<特別編> [DVD]